5.結婚までの短い時間

 ルーファスと結婚すると決めたわたしは、自室の窓辺で自分の魔力を使って小さな鳥を生み出した。

 わたしの瞳と同じ、青い色を纏った鳥は片方の羽を大きく伸ばしてからぶるりと体を震わせる。その頭を指先で撫でてから、手紙を託した。


 結婚の申し出を受けるという手紙だ。

 この後の婚約について話したいという一文を添えているから、きっと返事も早く届くだろう。


 わたしの手紙をくわえた鳥は、開け放たれた窓から飛び立っていく。

 いつも鳥に託して送る手紙は、ルーファスのお屋敷に着くように設定されている。でも彼はどこにいても受け取ると言っていたから、もしかしたらその設定を変えてくれているのかもしれない。

 


 冷たい風が入り込んでくる。見上げた曇り空からは灰雪がはらはらと落ちていて、差し出した手の平に触れた雪はあっという間に溶けていった。吐いた吐息が白く昇る。


 このまま少し空気の入れ替えをしよう。

 それから紅茶を飲もう。昨日ヘレンがお土産に持ってきてくれたフロランタンを頂こう。


 両手を上に大きく伸ばして、深呼吸を繰り返す。冬の空気が胸を満たして気持ちがいい。

 ふぅと息を吐いた時、赤い鳥がこちらに向かって飛んできている事に気付いた。

 あれは……ルーファスの鳥だ。


 鳥に向かって手を差し伸べると、指先に止まって羽を休める赤い鳥。艶やかで美しいその鳥は封筒を口にくわえている。それを受け取ってから首元を指で擽ると、目を細めてから光となって消えていった。


 窓を閉めて、ソファーに向かう。思っていたよりも部屋が冷えてしまっていて、早めに紅茶が欲しくなったわたしは、テーブル上のベルを鳴らした。厨房に聞こえる魔導具のベルを鳴らせば、メイドがお茶とお菓子を運んできてくれるだろう。


 深い青色のソファーに座り、手紙を開ける。随分早くに返事がきたことに、自分の口元が綻んでいるのが分かった。


【ありがとう。俺の方からドルチェネ家に対して正式に打診をするから、待っていて欲しい】


 短いけれど、丁寧に書かれた手紙だった。

 少し角ばっている文字は学院時代からそう変わっていないように見える。その手紙を封筒に戻そうとした時、ふわりと薔薇の香りがした。


 封筒を覗き込むと数枚の薔薇の花弁が入っている。まだ瑞々しいそれは、芳しい花香を漂わせていた。


「……こういう事をする人だったのね」


 学院時代から仲が良くても、わたしには婚約者が居たし、節度の在る友人関係を続けてきた。新しい彼の一面を見られた事に、笑みが漏れる。


 契約結婚も悪くないのかもしれない。

 ルーファスとなら、きっとうまくやっていける。赤い花弁からはそんな予感がした。



 *****


 ルーファスからドルチェネ家に手紙が届いたのは、その翌日の事だった。

 驚きに目を丸くしている父の手には白い封筒があって、端にはベルネージュ家の紋章である狼の横顔が描かれている。


「サフィア……ベルネージュ侯爵から、お前に結婚の打診がきたのだが」

「結婚? 婚約ではなくて?」


 父の書斎にあるソファーで、コーヒーカップに口をつけようとしていたわたしの手が止まる。

 動揺している父は何度も手紙とわたしに視線を巡らせて、浮かぶ汗をハンカチで拭った。


「ああ、婚約期間をおかずに結婚をしたいと。手紙にはずっとサフィアを想っていたと書いてある」


 カップを口につけたところでそんな事を言われては、コーヒーを飲む事も出来なかった。諦めたわたしはカップをソーサーへと戻す。動かす度にカップから立ち上る湯気が揺れた。


「ベルネージュ侯爵と友人だったのは知っている。この一年、彼がお前の元に通っていた事もな。それで……サフィア、お前はどうしたい?」


 ルーファスは、わたしの為にそんな一文をつけてくれたのだろう。

 わたしが彼に望まれていると示す為に。契約結婚だという事を家族に伝えるべきか悩んでいたわたしは、それを黙っておくことに決めた。

 折角彼が気を遣ってくれているのだ。有難くそれに乗せて貰おう。家族に余計な心配をさせなくても済むだろうから。


「わたしは……彼に嫁ぎます。彼がそう想ってくれているのが、とても嬉しいから」

「そうか……うん、分かった」


 何度も頷く父の瞳には涙が浮かんでいるように見える。

 思えばあの婚約解消から、ずっと父はわたしの事を案じてくれていたのだろう。


 塞ぎ込んで引きこもったわたしを責めるでもなく、追い立てるでもなく。

 ただ見守ってくれていた。


 葛藤もあっただろう。焦燥だってあっただろう。

 相手側の有責とはいえ、婚約を解消されたわたしに幸せな結婚は望めないだろうと父だって思っていたはずだから。


「お前がそう決めたのなら、私達は反対しないよ。ベルネージュ侯爵の誠実さはこの一年でよく分かっているつもりだ」

「ええ。……彼は、わたしにはもったいないくらいに素敵な人よ」

「お前だって私達の自慢の娘だよ。これから忙しくなるぞ」


 おどけたように笑う父は目尻を指先で拭っている。わたしも何だか目の奥が熱くなってしまって、堪えようとしたのだけど……無理だった。

 視界が滲んで、涙が溜まる。瞬きをしたら涙が一筋頬を伝った。わたしを見守ってくれていた父の愛が、真っ直ぐに伝わってきて。


 わたしの涙を見て、また父が泣く。

 母が書斎に入ってきた時には、わたしと父は抱き合って泣いていたのだから、きっと大層驚いた事だろうと思う。


 事情を説明したら、やっぱり母も泣いたのだけど。



 *****


 それから、父の言う通りに目まぐるしい程に忙しい日々を送る事になった。


 ルーファスのご両親と顔合わせをしたり、ドレスや装飾品の準備をしたり。

 今までずっと引きこもっていたわたしは体力が落ちてしまっていたから、お散歩などで外に出る時間を増やしたりもした。ずっと怠っていたダンスの練習をしたり、いつか教壇に立つことを考えて魔法の練習もした。


 大変な日々だったけれど、苦ではなかった。

 家族は皆喜んでくれているし、ルーファスのご両親もわたしが嫁ぐ事を歓迎してくれている。

 ヘレンは自分のメゾンでドレスの仕立を引き受けてくれた。ルーファスも時間を作ってはわたしの元を訪れてくれる。


 結婚の準備をしたら、胸が痛むのかと思っていた。

 ロータルとの婚約時にも結婚の準備を進めていたから。あの時の、何も知らずにただ幸せな未来だけを描いていた自分を思い出して、苦しくなってしまうのかと思っていた。


 でも、それは杞憂だった。

 彼との事は、わたしの中で少しずつ過去の事だと吹っ切る事が出来ているのかもしれない。


 そして──、一か月が経ち。

 わたしは今日、ルーファスの妻となる。



────────

本年も大変お世話になりました!

皆様の応援のお陰で、沢山の素敵な経験をさせて頂く事が出来ました。

来年もどうぞ宜しくお願い致します!

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