4.親友とのお茶会
昨晩、ルーファスとの結婚の事を考えてみた。
正直なところ、わたしにとってメリットしかないのだ。
家を出る事が出来て、多分家族にも安心して貰える。他のどこかにお嫁入りするよりも安心だし、ルーファスとならきっと友人同士で仲良く過ごしていけるだろう。
問題は……ルーファスに想う人が出来た時の事だ。
離縁をしてお屋敷を離れる事に問題はない。彼にも離縁歴が残ってしまうけれど、でもそれは彼にとって痛手になるような事はないだろう。
うん……問題なんてないのでは?
わたしが彼に助けられるように、わたしも彼の力になれるのなら、契約結婚だって悪くないんじゃないだろうか。
でも、もう少しだけ。
わたしとルーファスの事をよく知っている
*****
昼下がりの応接室は、冬にしては強い陽射しが入り込んでいるからか、ぽかぽかとした木漏れ日のような暖かさだった。
わたしと並んでソファーに座った友人──ヘレン・ホルシュはわたしの話を静かに最後まで聞いてくれた。きっと聞きたい事もあるだろうに、途中で口を挟む事もなく。
今までの感謝。
もうこれからは、前を向いて自分の未来を考えていきたいと思う事。
ルーファスに契約結婚を持ちかけられている事。
一気に話すと、さすがに喉が渇いてしまった。
コーヒーカップを手にして、口に運ぶ。ミルクをたっぷり入れてあるから、苦味はほとんど感じなかった。
隣のヘレンを見ると、その肩が震えている。
一体どうしたのかとそちらを見ると、ヘレンの眼鏡の奥で、ヘーゼルの瞳が涙に濡れていた。
「ヘレン?」
「ごめんなさい。この一年、ぼんやりとしているあなたをずっと見ていたから。何だか嬉しくて、胸が詰まってしまったの」
眼鏡を外した彼女がハンカチで目元を押さえている。顎の辺りで揃えられた癖のあるオレンジ色の髪が、震える肩に呼応するように揺れていた。
「心配させてしまったわね。でも、もう大丈夫」
カップをソーサーに戻したわたしは、ヘレンの細い肩を抱いた。押し殺した嗚咽を耳にして、わたしまで胸がいっぱいになってしまう。目の奥が熱くなって、堪えられない涙が頬を伝った。
ヘレンは学院で出会った友人だ。
わたしとヘレンとルーファスは同じような成績だったから、よく三人で行動する事が多くて、今もその付き合いは続いている。二人はわたしが婚約を破棄した後も、頻繁にわたしの元に訪ねてくれていた。
世界が水の中に沈んでいたわたしは、話の内容だとかをあまり覚えていないのが申し訳ないのだけど。それを謝るとヘレンは、可笑しそうに笑い飛ばしてくれた。
二年前にホルシュ伯爵に嫁いだ彼女は、昔からの夢であった服飾メゾンを王都にオープンさせた。伝統を大事にしながらも、新しいデザインを作り上げていく彼女はいつだってきらきらと、自信に満ち溢れている。
「瞳の輝きが違うもの。もう大丈夫って、その言葉も信じられるわね」
「どんな顔をしていたのか、想像もしたくないわ」
「お人形さんみたいだったわよ。とても綺麗で、儚くて。もしも私が画家だったらあの頃のあなたにも創作意欲を掻き立てられたでしょうけれど、デザイナ―としての私は今のあなたの方がずっと好きよ」
「ふふ、ありがとう」
冗談めかすヘレンの様子に、くすくすと笑みが零れてしまう。触れていた肩から手を下ろすと、ヘレンは眼鏡の位置をそっと直した。
「それで……ルーファスと結婚するっていう話よね」
「ええ。結婚する事に問題はないと思うんだけど……このまま頷いてもいいと思う?」
わたしとルーファスの事をよく知っているヘレンなら、公平な目で判断してくれるだろう。そう思って相談したのに──
「結婚するべきよ」
──あまりにもあっさりと答えが返ってくるものだから、思わず目を丸くしてしまった。
わたしが驚いているにも関わらず、ヘレンはテーブルに用意されたマドレーヌを手に取った。一口サイズに作られたそれは、貝殻の形が可愛らしい。
それを口に入れながら、ヘレンはうんうんと大きく頷いている。
「だってルーファスの事、嫌いじゃないでしょ?」
「ええ。友人として好ましく思っているわ。これからもずっと、同じように過ごしていけたらと思ってる」
「じゃあいいじゃない。結婚っていうのはあなたが思う以上に、あなた達二人を守ってくれると思うの」
「家庭教師をするにしても、学校で教師をするにしても、結婚していた方がいい?」
「結婚していないという事が仕事に関係する事はないわ。でも、あなたは今後結婚するつもりは?」
「特にはないの。
わたしもテーブル上のお菓子に手を伸ばす。
クッキーに載せられたイチゴジャムが艶めいていて、とても綺麗だと思った。ひとつを摘んで口に入れる。少し固めのざっくりとした生地に、甘さを控えたイチゴジャムが良く合っていた。
「じゃあルーファスと結婚でもいいじゃない。悩む事なんて何もないわ」
「そうなんだけど……」
「ルーファスと結婚する事に、何か不安はある?」
「いいえ。彼と結婚するという事が一番いいというのは分かっているの。あなたに背中を押して貰いたかっただけかもしれないわね」
「その役目は上手に果たせた?」
「ええ。こんなにも勢いよく、押して貰えるとは思っていなかったけれど」
二人で顔を見合わせて、可笑しそうに笑った。
ヘレンとこんなにも楽しくお喋りをするのも久しぶりな気がしている。
彼女はいつも沢山のお話をしてくれて、わたしもそれに返事をしていたけれど……それもどこかぼんやりとした泡に包まれているようだった。
「友人だっていうからじゃなくて、ルーファスは結婚相手に申し分ないと思うわよ。家柄も良くて、仕えているヴィント殿下からの信も篤い。他ではお目に掛かれないくらいに見た目だって美しいじゃない? それでいてあなたに優しいし……きっと幸せになれるわ」
コーヒーを飲みながらヘレンが紡いだ言葉に、わたしははっとしてしまった。
そうだ。ルーファスはとても素敵な人で、だからこそ彼に恋焦がれる令嬢達が多いのだけど……。
「わたし、彼の隣に居たら刺されてしまうんじゃないかしら」
ぽつりと落としたわたしの呟きに、ヘレンが笑いだす。あまりに大きな声で笑うものだから、わたしまでつられてしまって笑みが漏れた。
「あなたへの嫉妬は凄いでしょうね。でもそれも全部ルーファスが何とかするでしょう。心配しなくても大丈夫よ」
「ふふ、そうね」
「それに……きっとこれで良かったのよ。ルーファスにとっても、あなたにとっても」
そう口にするヘレンの横顔は、学生時代を思い出させるような懐かしさに満ちている。
よく三人で、時間も忘れてお喋りをしたものだ。あの時もヘレンはこんな風に優しい顔をしていた。
わたしとルーファスの事を良く知っているヘレンだって反対しないのだもの。きっとこの話を受けてもいいのだ。自分でも、そう思っている。
それならわたしは、わたしに出来る事をしていくだけ。
ルーファスの為に。わたしの為に。
そう決意しながら飲んだコーヒーはすっかり冷めていたけれど、ミルクの甘さが優しかった。
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