第2話 乙女よ、眠れ


―――


「妊娠検査薬で陽性が出たぁ!?」

「ちょっ、ちょっと翠さん!声が大きいですって……」

「ふ〜ん、成程ねぇ……それで元気がなかった訳か。」

「森沢も冷静に分析してないで、僕の話ちゃんと聞けよ。」

「聞いてるって。でもほら、黒木さんがどっか行っちゃってるじゃないか。何とかしろ。」

「あ、そうだ!翠さ〜ん、戻ってきて下さい!」

「……あら、ごめんなさい。あまりの事に私とした事が取り乱しちゃったみたいね。」

 翠さんがハンカチで額の汗を拭いながら僕の方を見た。



 黒木翠さんは、以前僕が城田さんの浮気相手なんじゃないかと疑ってしまった女性だ。そんな人と何故こんなに親しくしているかと言うと、城田さんと同棲を始めてすぐに翠さんの方から僕に連絡があって誤解させてしまったお詫びにとお茶に誘ってくれたのがきっかけだった。

 最初は身構えたけれど翠さんはとても気さくで優しくて気も合ったので、たまに会ったりしていたのだ。ついでに森沢も紹介したりなんかして、こうして三人で居酒屋に集まってお酒を飲む事も珍しくなかった。


 今日は昨日の出来事を自分一人の胸の内に閉まっておく事が出来なかったので、こんな時は翠さんに相談しようと僕が誘ったのだ。森沢には流石に隠しておけないだろうと思って用事があるとさっさと帰ろうとしたところを無理やり連れてきたのだけど……

 早速とばかりに昨日の事を口に出した瞬間響いたのが、翠さんの大声である。



「で?どうしてまた妊娠検査薬を使おうという気になったのかしら?」

 翠さんの勢いに押されながら僕は口を開いた。


「最近ちょっと体調が悪くて……吐き気がしたり胸やけがしたり。」

「ふぅ〜ん、それで妊娠の初期症状だと疑って検査薬を使ったっていう訳ね。」

「乙女か。」

「か、からかうなよ!僕は真剣だったんだから。昨日は酔った勢いだったけど、そうでなくても同じ事をしたかも知れない……だって不安で。」

 僕の真剣な顔を見た二人は、笑顔を引っ込めた。


「城田さんとそういう関係になって、男同士で付き合うという事がこんなに大変なんだと初めて知りました。僕は教師で城田さんはお医者さんでカウンセラーでしょ?二人とも世間体を気にする立場だし。まぁ僕は万が一バレたりしてもいいけど城田さんは……」

「……」

 息を詰めた翠さんと森沢を見て僕はちょっとだけ笑ってみせた。


「翠さんは最初から僕達の関係を知ってたし、森沢も偏見持たずにいてくれた。僕には二人がいてくれれば他の誰に何と思われようと気にしない。だからありがとうございます。」

「林崎……」

「お礼を言われるような事は何もしてないわ。」

 翠さんらし言い方に、いつの間にか緊張していた肩から力が抜けていくのを感じた。


「実は……生徒たちの間で僕と城田さんの事が話題になってるみたいなんです。」

「え?」

「この間の日曜日に一緒にでかけたのを誰かが見ていて、写真を撮ったらしくて。今時の子どもって恐ろしいですね。僕達の雰囲気を敏感に感じ取って付き合ってるんじゃないかって噂になってるんですよ。なぁ、森沢。」

「ん?あぁ、そうみたいだな。」

「さっきも言いましたけど、僕は僕自身の事なら何を言われようと構いません。ただ、城田さんが悪く言われるのは耐えられないんです。」

「それは章くんも同じ事思ってると思うわよ。」

 そう言ってくれる翠さんに、僕は力ない笑みを浮かべた。


「こんな事になって……なるべく距離を置いた方が良いんじゃないかって思うんですけど。僕はズルいから、自分からは彼の傍を離れたくない。かといって城田さんの方から決定的な言葉を聞くのも耐えられない。ずっと一緒にいるためには、何か証が欲しい。僕と城田さんを繋ぐ確かな糸が。……僕は城田さんの子どもが欲しかった。」


 僕は男。そんなのわかってる。将来は普通に結婚して子どもを授かって、幸せに暮らすもんだと信じて疑わなかった。

 それが城田章という人に出逢い、人生が変わった。こんなにも人を好きになれるんだって事を彼から教わった。

 愛に限界なんてない。けれど愛を持続させるには、証と代償が必要なんだ。


「私はまだ妊娠した事ないからわからないけど、妊娠したからって愛を得られるとは限らないんじゃない?」

 突然の翠さんの言葉に僕は勢いよく顔を上げた。


「証って友くんは言うけど、何をもって証?それは確かに子どもかも知れない。二人の血を分けた宝物よ。だけどそれだけが真実じゃないと思う。世の中には子どもを授からなくても生涯幸せに連れ添った夫婦もいる。逆に子どもがいても上手く行かなかった人達もいる。」

「翠さん……」

「証がなくても貴方達はきっと大丈夫よ。私が言うのも何だけど、章くんをただ信じればいい。」

「城田さんを信じる……」

「てかさぁ、すげぇ脱線してるけど。検査薬で陽性って出たんだろ?」

「うえぇっ!」

 翠さんの言葉にほろっとしていたのに、横から森沢が空気を読めない発言をして思わず変な声が出た。森沢の方を見るとグラスを揺らしながらつまらなさそうにこっちを見ていた。


「そうそう、忘れてたわ。実際のところデキてるのかしら?」

「うっ……翠さんまで……」

 翠さんがニヤニヤした顔で迫ってくる。


「聞いた話なんだが。男性がジョークのつもりで元カノが忘れていった妊娠検査薬を使ったら陽性って出て、一応病院に行ってみた結果、精巣ガンだった事が判明したらしいぜ。」

「え……?精巣、ガン?」

「それって大変じゃない!もしかしたら友くんも……」

 心配そうな顔の翠さんと何処までも冷静な森沢の顔を交互に見た僕は、ゴクッと一口ビールを飲んだ。

「行ってみたら?病院。」

 翠さんの一言に僕は決心した。


 こうとなったら恥を忍んで病院に行こう。妊娠してなくてもいい。いや、そもそも男の僕が妊娠なんてする訳がないんだ。

 そして妊娠なんてお気楽な僕が夢想した夢物語で、真実は森沢の言う通り精巣ガンだったら?

 ふるふると頭を強く振って、恐くて震えだした手にギュッと力を込めた。

 こうやってグズグズ悩んでいるよりもはっきりさせようじゃないか。


 そう思って二人を見た瞬間、とてつもない目眩に襲われた。体から徐々に力が抜けていく。

 翠さんと森沢の足が見えた刹那、僕の意識はブラックアウトした。


『友成!!』


 何故だか彼の声が近くで聞こえた気がした。



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