第3話 目覚めたその瞳が映すもの
―――
「う〜ん、ここ、は……?」
ぼんやりと目を開ける。一番最初に見えたのは白い天井だった。
「あ……僕、倒れたんだった。……はっ!」
勢いよく体を起こして慌ててお腹を撫でる。でもすぐにパッと手を離した。
「馬鹿だなぁ……」
いもしない赤ちゃんの心配なんかして……ホント、馬鹿だ。
きっとあの時森沢が言った通り精巣ガンで、これから主治医の先生が来て検査するんだ。手術したりするのかな?仕事はどうしよう……なんて考えてたら誰かがカーテンを開けた。
てっきり先生かと思って何の躊躇もなしに顔を向けた次の瞬間、後悔した。
「城田……さん。」
「おはよう。友成。」
僕は城田さんの目が見れなくて、病院の白くて綺麗な布団をギュッと握ったまま俯いた。
「救急車でお前を運んだ時、翠とあの眼鏡が精巣ガンかも知れないからって検査しろとやたらうるさかったが、事情を聞いて合点した。」
刺すような城田さんの視線が痛くて、僕はますます身を縮こませた。
「妊娠検査薬を使った男が、実は精巣ガンだったというニュースは聞いた事があった。お前の場合もその可能性はあるかも知れないと思って一応検査した。」
「……え?」
城田さんの言葉に勢い良く顔を上げると、彼の真っ直ぐで綺麗な瞳とバッチリ目が合ってしまった。
「安心しろ。お前は精巣ガンじゃない。」
「え……精巣ガンじゃ、ない?」
「あぁ。」
小さく頷く気配がして彼の方を見ると微笑んでいた。
そして、『倒れたのはただの過労だ。大人しく休んでいればすぐに良くなる。』
と言って、優しく頭を撫でてくれた。それに嬉しくなって僕も微笑む。だけど次の瞬間、その笑顔は凍りついた。
「だが、想像妊娠の可能性もある。」
「……え?」
「お前の体調が悪い事なんてとっくの昔に気づいていた。だけど妊娠したかも知れないって思い悩んでいたとは気付けなかった。すまない。」
城田さんから思いもよらず謝られて僕は慌てて首を横に振った。
「想像妊娠って……男でもなるんですか?」
「想像妊娠する男は稀にだがいるらしい。付き合っている彼女や妻が妊娠したとわかって、その後不安やストレスから吐き気や倦怠感などと言った症状が出るそうだ。」
そこで一旦言葉を区切ると僕の方をじーっと見ている様子。僕が相変わらず俯いていると、やがて諦めたようにため息をついて続けた。
「だが友成の場合、それはない。俺の他に付き合っている奴がいるというなら別だがな。」
「まさか!」
つい出た大声に城田さんはニヤリと笑う。
「友成の事を信じるとすると想像妊娠という結論は間違いだ。よって導き出される答えは?……検査薬が壊れていた。それだけの事だ。」
「!!」
至極真面目な顔で放たれた言葉に、僕は呆然とした。
「そんな!それだけの事で悩んでたの……?」
わかっていた、自分でもわかっていたんだ。検査薬が壊れていただけ。妊娠なんて僕が勝手に作り上げた幻想だって事。だけどそんなにあっさりと結論づけてしまわれたくなかった。
何の為に悩んでいたのか、僕がどんな事を考えているのか、城田さんに知って欲しかった。
だから僕は意を決して口を開いた。
「もしですよ?男性が自然妊娠する可能性はありますか?」
あの検査薬は正常で、精巣ガンでもなければ想像妊娠でもなかったとしたら?
万に一つの可能性に、僕は賭けた。
「残念だがそれはあり得ない。」
「……」
城田さんの言葉を聞いた僕の目から流れた一筋の滴が、静かに布団に吸い込まれていった。
「お前は、子どもが欲しいのか?」
「はい……僕は愚かでしょうか?こんな事を考えるなんて。叶うはずのない夢物語を願うなんて……」
「いや、その気持はわからなくもない。」
「城田さん……」
「俺だって、友成との間に子どもを持ちたいと柄にもなく思う時もある。」
彼の思いもよらない言葉に涙がまた頬を伝った。
「男が妊娠する方法はあるにはある。」
「え……」
「子宮外妊娠だ。男には子宮がない。だから女でも起こり得る子宮外妊娠を男にも応用するんだ。受精は体外受精で行い、腹腔に受精卵を移植する。まぁこの場合、卵子を提供してくれる女を探さないといけないがな。そして出産は帝王切開によって行う。しかしこの方法では妊娠・出産する側に危険が及ぶ可能性がある為、今まで人間での実験は行われてこなかった。しかし俺ならやれる自信がある。流石に産婦人科の知識は乏しいが、医学を学んできた身だ。国内外の文献を読み漁って技術を磨けばいつかは。だからもしお前がどうしても子どもが欲しいなら……」
「じゃ、ない……」
「ん?」
「そんな事が聞きたい訳じゃない!」
僕の突然の大声に城田さんは目を丸くして固まった。
「僕の気持ちをわかって欲しかっただけ。精巣ガンとか想像妊娠なんてどうでもいい。妊娠なんてする訳ないって自分が一番理解してる。」
そこで一旦城田さんを見る。未だに呆けている彼を見て微かに笑った。
「今まで男として育って、何の不自由もなく生きてきました。両親ともに揃っていて大学まで行かせてもらって。貴方に出会うまでは普通に過ごしてきました。僕は男です。当たり前に女性が好きで、結婚願望もそれなりにありました。でも、貴方がそれを変えたんです。」
「友成……」
申し訳無さそうな顔をした城田さんに、僕は首を横に振った。
「城田さんのせいではありません。むしろ貴方にはお礼を言いたいくらいです。僕と出逢ってくれてありがとうございました。」
深々と頭を下げた僕に城田さんは戸惑ったようだった。
「林崎友成として男として生きてきて、初めて自分が男である事を恨みました。女性の体を持っていたら貴方との証を産めたのにって。酷いでしょう?男として産んでくれた両親を憎んだんですよ。」
「友成、それは……!」
「何も言わないで下さい。そんな風に思ったのはほんの一瞬ですから。今は男に産まれて良かったって思うから。」
そう言うと、城田さんはようやく顔を和らげた。
「女になりたかった、なんて……貴方には言えないですよ。」
蚊の泣くような小さい声で言ったにも関わらず、彼の手がピクリと動く。
彼を見ると迷子になった子どものような途方に暮れた顔をしていて、胸が痛んだ。
「ごめんなさい、こんな事貴方に言っても仕方がないのに……」
無言で首を横に振る彼に力なく微笑むと、僕は勢い良く布団に潜り込んだ。
「友成?」
「一人にしてもらえますか?ちょっと……心の整理がしたくて。」
「……あぁ。」
硬い響きを纏った僕の声に小さく返事を返した城田さんは、そのまま静かに病室を出て行った。
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