雪の女神の落としもの

半井幸矢

雪の女神の落としもの


 それは、とにかく真っ白で、とにかくふわふわしていて、とにかく丸みを帯びていた。

 森の中で、そこだけ光っているようだった。



 ちょうど両手に乗るくらいの大きさのそれは、目が合うと、ぎあ、と鳴いた。愛らしい見た目に似合わない、つぶれたようなガラガラの声。

 体を左右に揺らしながらよちよちと前進し、近付いてきたかと思うと、靴の先にちょこんと座る。ぎあ、とまた一声。

 トウキは、その足をそっと抜いて一歩下がると、しゃがみ込んでそれと向き合った。綿雪の精、にしては少し時期が早い。


「何だお前」


 ぎあ。また鳴く。初めて見る何かの獣の幼体かと思われるそれは、一生懸命身を起こして前足をトウキの腕に掛けた。喉を鳴らす音が大きい。


「え、ちょ、えっ」


 想定外の動きにトウキは焦った。甘えているのか。抱っこしてほしいのか。しかしこれは抱き上げてもいいものなのだろうか。愛くるしい幼獣が自分に対してしょぱなから懐いてくれるのは嬉しくないでもない、触ったら絶対にやわらかくて気持ちいいだろうことは理解できるが、下手に触るわけにもいかない。これが何かはよくわからないが、子にヒトの匂いがついてしまうと親が育児放棄をしてしまうという獣もいるのだと以前聞いたことがある。

 周囲を見回して確認するものの、親らしいものの姿はない。ということは、この小さき獣は迷子か。よく見れば、足と尻周りが枯葉や土で薄汚れている。好奇心旺盛で冒険に夢中になってしまったのかもしれない。


 どうすべきか――悩み固まっていると、


「た~ぁいちょぉ~?」


 副官の呼ぶ声が聞こえた。思わず真っ白いふわふわを抱き上げながら立ち上がる。

「チュフィン! ウァルト! ちょっと!」

「はいぃ?」

 国境警備隊の隊員一人を連れて駆け寄ってきた副隊長チュフィン・ワバール・ロウは、上官が胸に抱く白い生き物を見るなり、


「何すかそれめっちゃ可愛い!!」


 周囲に響き渡るほどの声で叫んだが、「めっちゃ可愛い」それは驚いたり怯えたりするでもなくトウキの胸元に、こてん、と身を預ける。

「わああぁ! 可愛い! いいなトウキ様いいな! 俺もそれほしい!」

「落ち着けチュフィン・ロウ。別に俺のものじゃ……ぅぐっ、こら頭突きするな」

「何ですかそれ! ねえトウキ様! それ何? 何ですか? すげぇ可愛い!」

「何、なんだろう……な……俺にもわからん……ウァルト」

 名指しされた警備隊最年少の少年ウァルトが、己の背丈以上もある術杖じゅつじょうのような細長い剣をぎゅっと抱き締めながら近付いて、トウキの腕の中の謎の獣をじっくり観察する。まだ十歳の子どもだが、銀冠をいただく高位術士の孫で自身も国境警備隊の中では随一の術の使い手、龍や獣に関する知識も豊富だ。

「龍……じゃないとは思います」

「そうか」

「山、で、白いっていうと……まず思い付くのは雪獅子ルイツですね」


 雪獅子――名前を知らない者はいないといってもいい。雪の女神スニヤのつかいとされており、スニヤ絡みの神話や伝承にはほぼ必ず出てくる。しかし伝説上の生き物ではなく実在する獣で、雪深い山奥にまい人間の前には滅多に姿を現さない。ある意味龍よりも遭遇率が低いともいわれている。


 そんな獣が、このウェイダ領内に? 三人は同じように首をかしげた。

 確かに都などと比べれば高地で雪は降るが、降雪量は多くはないし、隣国ファンロンとの国境にあたるこの一帯は雪が残りにくい。現在地も街道からさほど離れていない。こんな幼い子を連れて、こんなところまで遠出などするだろうか?


「雪獅子とはこんなところにいるものなのか?」

「わかりません、僕も本で見ただけなので」

 ウァルトはかぶりを振った。

「そもそも雪獅子は、昔から生態がよくわかっていない獣なんです。目撃されているのが雪が多い山ってことぐらいしか……でも、言い伝えとかで話が多く残ってるってことは、ヒトに対して危害を加えない、気性の穏やかな獣なんじゃないかって言われてますけど」

 長身のチュフィンが小柄なウァルトの頭にあごを置く。

「お前んち爺さん、雪獅子見たことねえの? 軍の北の支部って雪多い山じゃん」

 ウァルトの祖父は軍属の術士であるが、兵士ではなく獣を研究している学者である。兵士は獣害などにも対処しなければならないので、武人だけではなくウァルトの祖父のような専門の人材も多く軍に所属している。

「聞いたことないってことは、見たことないんだと思います。っていうか、爺ちゃんが見つけてたら絶対そういう本出してるんじゃないかと」

「そっかー、だよなー」

「……雪獅子、だとしてだ」

 トウキが咳払いする。

「とりあえず、親を探したい。これ……いたっ、いたたたた爪を立てるなこら! むな! これ、を、返してやらないと」

「そうですね。じゃあ、付近の人たちにも知らせて協力してもらいましょう」

 ウァルトは手を合わせ、小さくそして短くしゅを唱えると、人差し指と親指の間にできた三角の空間越しに幼獣が見えるように手を開いた。

「この子の親を探しています。それっぽいのを見掛けたら、至急隊長か副長か、ウァルト・サミまで連絡下さい」

 再度手を合わせてから、

「……よいしょっと」

 今度は手の中のものを空に放つようにずらす。うっすらと光るもやのようなものが散っていく。簡単そうにしているが、複数人に音声と映像の情報を直接与える高等術だ。

 部下が伝言を飛ばしている間に、副隊長がウキウキ顔で隊長に訴える。

「ねぇねぇトウキ様ぁ、俺も抱っこしたいですぅ」

「お前な」

「ちょっとだけ!」

 仕方なく手渡すと、雪獅子のと思われるそれはチュフィンの顔の匂いを嗅いで、頬をべろべろと熱心に舐め始めた。

「わーっ! いてぇ! 舌ザラッザラ! 痛ぇ! 何だこれ可愛い! ほわっほわ! エシュに見せてやりたい!」

「お前、最近エシュと仲がいいな」

「あれはいい女になりますからね、ゆくゆくは嫁さんになってもらおうと思って……んっふふ、カミカミしゅるんかお前、カミカミか~? 生意気な~痛くねぇぞ~お前まだおっぱい吸ってる赤ちゃんだろ~」

「ウァルトとそう変わらん子どもじゃないか」

「あと五、六年も経てばイケますでしょ。なー? うっひひ吸うな吸うな、あ~、んっひひひひ」

 デレデレニヤニヤしながら幼獣と戯れる副官を、トウキは少しだけ気持ちが悪いと思いつつ続ける。

「ずっとこんな田舎にいるつもりか? 都に帰った方が」

「あんたがここにいるんなら、俺も帰る気はない。言ったじゃないですか」

 気が済んだらしいチュフィンは、幼獣を返却した。

「うちは兄ちゃんたちいるから安泰ですよ、だいじょーぶだいじょーぶ!」

 後押しするように、腕の中の小さな獣が、ぎあ、と鳴いた。



 それからほどなく、そう離れていないところにいた隊員から、「でけー白いのがいます」と連絡が入った。発見したのは双子のオリウ・バンタールとシェーダことシェスクリーダ・バンタール。ウェイダ領の術医者の家の息子たちである。

 三人が双子の待つ場所へ急いで向かうと、ファンロンとの国境にもなっているウーリュン川に注ぐ小川のほとりに真っ白くて大きな獣が――


「…………寝てるな」

「寝てるんすよ」

「めっちゃ無防備ですよね真っ白で目立つのに」


 表面がなめらかな大きな岩の上に気持ちよさそうに横たわり、すやすやと寝ている。せせらぎと小鳥の声、あたたかな陽差しが心地よい。昼寝するにはぴったりだ。

 トウキ含むウェイダ領国境警備隊の五人の若者は、少し離れた茂みに身をひそめて、白い獣の様子をうかがった。

「でっか~……二人くらい乗れるな。ウァルト、あれってやっぱり雪獅子?」

「多分そうだと思います。本で見たのと同じ……すごい、本物だ。たてがみないからメスかな……オスもいないかな、オスも見たいな……隊長、あの、映写珠、一番小さいの、一個使っていいですか? 爺ちゃんに見せてあげたいです」

「一番大きいの使え」

「やった」

「っていうかのんきなもんだよな、子ども迷子になってんのに熟睡とか」

「寝ちゃって気付いてないんじゃない?」

 全員で、そのまま無言になって見つめ続ける。珍しいのもあるし、新雪のような美しい白色に見入ってしまう。今傍にいる幼獣と同じような毛並みは、是非とも触ってみたいと思わせた。

 しばらくして、ようやくチュフィンが呟いた。

「…………やべぇ、いつまでも見てられる。見ちゃうなこれ」

「とはいえ、いつまでも見てるだけというのもな。そっと置いてくるか」

 トウキは腕の中にいる小さな方の雪獅子に目をやった。トウキの手を舐めたり甘噛みしたりしている。

「お前、あれと関係あるな?」

 目が合った仔雪獅子は、ぎあ、と鳴いた。

「いや、俺じゃなくて」

 ぎあ、もう一声鳴くと、よじ登ってきて肩に乗った。体を擦り付けてくる。

「ちょっ、おい、こらっ……誰か、剥がせ!」

 シェーダが、失礼しまっす、と小さな方の雪獅子を抱いて上官から引き剥がそうとするが、小さな方の雪獅子はいやいやをするように全身でこばみ、トウキの肩にしがみつこうとする。

「離れたくなさそうですよ隊長」

「困る! 何とかしろ!」

「って言われても俺も困るんすけど!」

「ちょっと、隊長、シェスクリーダさん!」


 ウァルトができうる限り小さな声でたしなめたが、手遅れだった。


 全員がはっとして大きい方の雪獅子に注目すると、緑がかった金色の目が、じ、とこちらを見ている。


「起きた」


 オリウがぽつりと言うと、隊長以下その場の国境警備隊員は雪獅子を刺激すまいとわめいてしまいそうなのを何とか我慢して、一斉に茂みに身を寄せ合った。何しろその場にいるのは全員術剣士ではあるが、残念ながら個々の能力に偏りがある集団だ。襲われたらひとたまりもない。

 しかし雪の化身のような獣は特に警戒する様子もなく、起き上がると大きなあくびをしながら、前足後ろ足と順に伸びをして、その場にちょこんと座った。とても大きな体だが、「ちょこん」という表現がよく似合う。トウキの腕の中の小さなものが、ぎあ、と鳴くのを聞いて目を細めたその顔は、微笑んでいるようにも見えた。

「……隊長。もしかして、近付いても、大丈夫、なのでは?」

 ウァルトがそっと進言すると、皆無言で頷く。確かに伝承通りであるのなら、雪獅子は雪の女神の遣いとしてヒトを助けてくれる、心優しい獣のはずではあるが――

「本当に、いけると思うか」

 念を押す。また一同無言で頷く。

「信じるぞ」

「イケるイケる!」

「隊長なら大丈夫です!」

「たいちょぉ!」

「頑張って!」

「……よし」

 部下たちの声援を後に、トウキは小さく白いふわふわを肩に乗せたまま、見事な置物のように座っている女神の御遣いにゆっくりと近付いた。先端にみどりの房のついた長い尾がゆらゆらと揺れるが、不機嫌というわけでもなさそうだ。

 どのくらいまで近付けるのか、まだいけるか、と考えているうちに、とうとう目の前まで来てしまった。手を伸ばせば触れる距離だ。雪獅子と思われるその獣は、身構えたりせずに目をぱちぱちと瞬かせ、また細める。

「あ……あの……」

 言葉が通じるかどうかわからない、通じていないのかもしれないが、とりあえず話し掛ける。

「この、子が……その、いたので……いたっ、いたたおい爪を立てるなと」

 未だ降りたがらない小さきものを何とか捕えて、そっと足元に置く。雪玉のようなそれは、一声鳴いて親とおぼしきものに近寄っていくと、見るからにふんわりとやわらかい被毛に包まれた腹部に顔から突っ込んでいった。かと思えば、親の前足の間から出てきて後ろに回り大きな尻尾に飛び付いたり、勢い余ってそのまま転げ回ったり。親の方も、楽しげなその子の動きを見守るように目で追う。隊員たちはおぉ、と歓声を上げ、トウキは安堵した。大丈夫そうだ。

「え、……えぇと、それじゃ」

 小さく告げて立ち去ろうと後ずさりを始めたそのとき、雪獅子がぐるる、と鳴いた。大きくはないがはらの底から出た地響きのような音に、思わず静止する。後方の隊員たちも揃って短い悲鳴を上げる。


 雪獅子が、立ち上がってゆっくりと近付いてきた。


 固まっているトウキの匂いを嗅ぎながら、周囲をぐるぐると回る。とても念入りだ。そのうち、仔の方も何か楽しいことをしていると思ったか、一緒になってトウキの足元を跳ね回る。ときどき親の長い尾が鼻先に触れてくすぐったい。


(一体……何をされているんだこれは……!?)


 品定めしているようにも見える。もしや自分は獲物判定されてしまっているのか。しかし先手を打つにしても逃げるにしても、雪獅子の方が素早く動くだろう。後方に控える部下たちに助けを求めることもできないし、恐らく一番簡単な水の術で隙を作ることすらかなうまい。


(どうしよう……どうする……)


 すると雪獅子は――仔の首元をくわえて、トウキに差し出すような仕草を見せた。


「え、んん?」


 想定外の動きに驚きつつ両手で受け取ると、雪獅子は仔の頭、顔を舐め、受け取ったトウキの手もひと舐めする。仔と違って力強い。

「お……え、っと、そのっ、」

 それだけでは飽き足らず、雪獅子は自身の頭をトウキの手にぐいぐい押し付けてきた。撫でろというのか。慌てて小さいのを片手で抱きながら、空いた方の手で親の頭を撫でる。頭頂部、眉間のあたりの短い毛すらもやわらかい。


 と。



〔貴方にこの子を託します〕



 女の声が、微かに聞こえた、気がした。


「え?」


 手を止める。


 今の声の主は彼女か?


 呆然としていると、雪獅子は動きを止めたトウキの手に一度挨拶をするように顔を擦り付けてから、ゆっくりと背を向け走り去った。一跳びで軽々と小川を越え、あれだけ神々しく目を見張るような純白だというのにあっという間に森に馴染んで見えなくなる。


 川べりにぽつり、一人と一匹。

 思わず顔を見合わせる。


「……どうする。お前、親に置いていかれたぞ」 

 仔獅子を改めて両腕で抱きかかえ直すと、仔獅子は甘えるように身を任せた。別段何をしたわけでもないのにすっかり懐いているその子の狭い額、頬、頭と撫でる。ぐるるん、と大きく喉を鳴らしながら、仔獅子はご機嫌そうに目を細めた。

「何も考えてないな?」

 溜め息が出た。そしてどうしようと思った。託すと言われても、馬はともかく雪獅子の飼い方など皆目わからない。


 が、何故か、この仔獅子が傍にいることが、しっくりきた。

 この感覚は、何なのだろう?


「隊長! トウキ様!」

 安全とみたチュフィンが駆け寄ってきた。ウァルトと双子たちも後に続いてくる。

「何で! その子返さないんですか!?」

「いや、返した、んだが……何か、もらった」

「は!?」

「俺にもよくわからない……どうやら、託された、らしい。そうだな?」

 返事をするように鳴いて、仔獅子はまたよじ登っていって肩に乗り、全身をトウキの顔に擦り付けた。チュフィン以下部下たちは驚愕した。

「はぁ? 何それ、どう、いうっ……!?」

「飼うんですか隊長!? その子っ……雪獅子を!?」

「雪獅子ですよ!?」

「そんな、謎の生命体を!?」

「託されたからには、育てるしかないだろう。おいで」

 一声かけてから降ろそうと手を掛けると、今度は素直に従って腕の中に収まった。ぷすん、と鼻を鳴らして、どこか満足そうな顔をしている。

「何だ、お前。もしかしてさっきは無理矢理引き離されると思って嫌がったのか? そういうのは普通親の方に――」


 そうだ。親子の割に、妙にあっさりした別離ではなかったか?



 まさか、



 だとしたら、あの女の声は――そんなことがあり得るのか?


「トウキ様」

 副官の声に我に返る。少し羨ましそうな顔で仔獅子を撫でている。

「託されたはいいけど、こんなのいきなり連れて帰ったらシウルねえさんに怒られるんじゃないですかぁ?」

「あ」

「絶対『自分で面倒見なさいよ』って言われるやつぅ~」

「あ……わ……どうしよう……」

 と、興味津々の顔でウァルトが進み出た。

「え、と、育てるの、僕にも手伝わせて下さい! あっ、できたら観察記録をつけさせてもらえればっ」

 その後ろ、左右から更にオリウとシェーダが覗き込む。

「だったら、隊長が出勤する日は一緒に詰所に通ったらいいんじゃないすか?」

「待機組に面倒見させましょーよ。使えるもんは使わなきゃ。隊長は領主の仕事もあって大変なんだから」

「こんな可愛いのだったらみんな喜んで面倒見るっしょ、なー、雪玉ちゃん」

「ふっふふ、かぁわいいな、この雪玉ちゃん」

「うん、そりゃいい」

 チュフィンが同意した。

「また警備隊の人員追加するってキクロ様言ってましたしね。警備隊全員でこいつ育てて結束固めてく、ってのもアリだと思いますよ」

「そういう、ものか」

 ウァルトもいいですね、と頷く。

「穏やかな生き物とふれあうのって、精神的な沈静作用があるそうです。ウェイダの警備隊、ささくれ立っている人多いから、効果あるかも。……ふふ、雪玉か。雪玉ちゃん」

 さっそく雪玉と呼ばれ始め撫で回されている毛玉を見る。今共にいるウァルトや双子たちは穏やかな家庭で育ったらしく比較的良心的だが、ウェイダ領国境警備隊の隊員たちは諸事情によりやさぐれている青年・少年が多い。設立初期からいる隊員たちも今では打ち解けているが、当初はかなりギスギスしていた。

「これが、そんなふうに……まとめてくれるだろうか……」

「スニヤ様が遣わして下さったんだから、大丈夫ですよ。多分」

「……そうか」


 女神が遣わした。

 理由はわからないが、そうなのかもしれない。


 トウキは何故か、すんなり納得できた。

 そうでなければ、こんな奇妙な出会いは説明がつかない。


「じゃあ、これの名は、スニヤだな」

 聞いたオリウとシェーダがけらけら笑った。

「そりゃまた」

「でっかく出ましたねぇ」

「授かった神の名を付けておけば粗末に扱う奴も出ないだろう」

「なーるほど」

「流石に女神様に無礼は働けねーもんなー」

 トウキは、小さくてふわふわの女神様を両手で掲げた。

「スニヤ。いいか、これからはこれがお前の名だ」

 返事をするように、ぎあぁ、とスニヤは元気よく鳴いた。



 バンタール兄弟の提案が功を奏してか、その後のウェイダ領国境警備隊は共に雪獅子スニヤの世話をしていくうちに、何となくまとまりがよくなっていった。

 スニヤに接していた者から「怪我けがの治りが早くなった」「沈んでいた気持ちが楽になった」という言葉が聞かれるようになったことから、観察を続けているウァルト・サミは「雪獅子は心身を癒すちょっとした治癒能力のような力を有しているのかもしれない」という仮説を提唱した。もちろんそれは、ただの学者の孫にすぎないウァルト少年の全く確証の持てない説ではあったが、隊長トウキはそれを参考にして、新規の隊員が配属された際には必ずスニヤと共に詰所に通い、研修期間にスニヤの世話を任せるようになった。その慣習は、スニヤがすっかり大きくなった今日も健在である。



 女神スニヤが小さな雪獅子を遣わしたとされる数日後、その女神の名を付けられた雪獅子が実はオスだったと判明することと、数十年後にウァルト・サミが雪獅子研究の第一人者といわれるようになることを、このときの彼らはまだ知らない。




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雪の女神の落としもの 半井幸矢 @nakyukya

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