第4話 恐る恐るでも

「おじ、さん」


 手渡された一枚の便箋にオラシオンの瞳が揺れる。そして恐る恐る文面に目線を落とした。


『拝啓、カリュクス・カクタス様

先日いただいたお手紙を拝見させていただきました。お知らせいただき、誠にありがとうございます。』


 正直、汚い字だ。文字と文字は繋がり、歪み、大きさもバラバラでお世辞にも綺麗とは言えない。しかし、その字にオラシオンはどこか見覚えがあった。


『正直、あまりの衝撃に言葉が出ません。王がこのことに気づいていないということは、きっと姉を死に追いやった犯人と同じです。』


 段々と激しくなる筆致は書き手の焦燥そのものを表しているようだ。


『オラシオンは私を覚えていないでしょう。けれど、オラシオンの記憶に私が無くとも、私はもう家族を失う痛みに耐えられません。

 村人たちに許可はいただきました。オラシオンの意志さえあれば、ヒーリィはオラシオンを受け入れる準備はできています。急ぎで書いたために乱文であることをお許しください。


ウィリアム・テルース』


 そう綴られた手紙には筆致にも、紙の煤汚れにも、感情が込められている。悪意ではない。善意を超えた何かであることはオラシオンにも分かっていた。


「ウィリアム・テルースさん。母上の、弟。私の、家族……」


 頭では理解していても聞き慣れない家族という言葉。オラシオンの表情は硬い。


「血の、繋がり」


 家族、父や兄姉には月に二回ほどではあるが定期的に会っており、幼い頃の記憶もあって信頼を置いているが、それ以外の親戚となるといくら血の繋がりがあろうと無条件の信頼を寄せることをオラシオンは恐れている。しかし、自身の叔父だという者が書いた手紙にはどこか馴染みがあった。安心すらするそれにオラシオンはどうにも何かが引っかかる。


「おわ、相変わらずウィリアムさんの字は読みづらい……読めてますか姫様?」


「大丈夫、読めて……る」


 手紙を覗き込むように顔を寄せるニカウレーに、オラシオンは違和感のヒントを掴む。


「この字、ニカウレーの字に似てる」


「うっ!」


 オラシオンの何気ない気づきがニカウレーの心に突き刺さる。

突然矢で刺されたような声を上げたニカウレーにオラシオンがオロオロとしていると、言いにくそうにアカネは口を開く。


「話しそびれてたんですが、ウィリアムさんは……その……私の育ての親でして……」


「⁉︎」


 オラシオンは言葉もなく鳩が豆鉄砲を食らったかのように目をまん丸にする。


「あはは、驚きますよね。すみません、すっかり話すのがすっぽ抜けてて」


 ニカウレーは気まずそうに頬を掻きながら話し出す。


「私、物心着いた頃にはいつの間にか孤児院にいたんです。出生も何もかも分からなくて、魔法も全く使えなくて、引き取り手も現れなくて」


 ニカウレーの言葉は弾んでおり、悲しいはずの過去がまるで幸せな思い出話のようだ。


「そんな孤児院の売れ残りだった私をウィリアムさんは引き取ったんです。きっとあの人に出会っていなければ、私は大人になれなかったと思います」


 決して頑丈で大きいとはいえないが、しっかり大人の手になった自分の手をニカウレーは見つめた。


「本当に感謝してもし足りないくらい良くしてもらったんですよ。エルフなんて息をするように魔法を使うのに、わざわざ魔法を禁止して生活をしたり」


 懐かしむように目を伏せるニカウレーの横顔は優しい。


「あっ、だいぶ前に話したんですけど、私は姫様のお世話をするためにお城に来たという話をしたのを覚えていますか?」


 オラシオンはこくこくと頷く。それはニカウレーがオラシオンを庇い怪我をして、どうして自分を庇うんだとオラシオンに問われた時だった。

 ニカウレーは笑って「姫様に健康に成長していただくことが私の目標なので。これくらいなんでもないですよ」と言い切ったことは、片手に収まらないほど年月が経った今でもオラシオンの記憶に強く刻まれている。


「実はウィリアムさんに頼まれて来たんです。『姉ちゃんに子どもが生まれるから世話を手伝ってやって欲しい。姉ちゃんも仕事があるし、親父は当たり前のように忙しいし、兄弟達も成人しちまって忙しいから』と。あ、ちゃんと試験は受けましたよ!」


 つまり、命を狙われる人物をと共に居る強靭な精神力のニカウレーを育てたのもウィリアムで、オラシオンとニカウレーを引き合わせたのもウィリアムなのだ。


————信じて、いいのかな


 オラシオンの詰まった喉に空気が通っていくのを感じる。


「絶対姫様にも良くしてくれます。あの人、世話好きですから。

ヒーリィもいいところですよ、近くの草原で走り回って、湖畔でお昼ご飯を食べて、森で昼寝して……」


 冷たい廊下の感触しか覚えていないオラシオンにとって、その情景は想像するだけで美しく、まだ行ってもいないのに心が浮き足立ってしまう。


————そんなひとがいるのなら、そんな世界があるのなら、会いたい、行きたい。日差しの下で、遊んでみたい。


 閉じこもった心の隙間から幼げな心が顔を出す。一言、「行きたい」と言うだけでその光景に触れられるかもしれない。しばらく唇を噛み締めた後、少女の細い喉がすぅと息を吸い込んだ。


「行きます。叔父さんの所に」


 僅かに震えているものの、透き通った声が彼女の決意を告げる。


「姫様……!」


「ニカウレーの話す顔が、幸せそうだったから」


 警戒心を如実に表していた口角が緩く上がる。

その大きな目には、いつか消えてしまった幼い少女の希望が僅かに戻ってきていた。


「では、ウィリアム殿には私が返信をしておきます。出立の日はおいおい連絡しますね」


 その後、出立可能な日付を割り出し、カリュクス医師は二人の目の前でウィリアムへの返事を書いてその日のうちに手紙を出しに行った。


————怖い。けれど、この感情は……。


 部屋へ帰る道中、あらゆる感情で心を溢れさせながらも、オラシオンの角や頬の鱗は廊下から差し込む陽光を反射して小さな輝きを放っていた。

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