第2話 溶けていく心。繋ぎ止める手

 二人は廊下を不自然な程に警戒しながら歩いていく。ひとがいないのだ。いくら目が泳いでいようと誰も気にする事はない。そして、医務室まで残り三分の一と言ったところの地点。通路が交差する広間に出た時、オラシオンの足が止まった。


「姫様?」


釣られてニカウレーも足を止める。


「いる」


 オラシオンの額に汗が伝う。本能的に感じ取った殺意の悪寒 。無言のまま、オラシオンが瞳孔を開いて辺りを見回していくと。


「っ、上だ!」


 自身達の頭上に不自然に浮かぶ花瓶の底が目に入った。

 それはオラシオンに気づかれたと同時に手が離されたように真っ直ぐに自分たちの頭上へと降り注ぐ。間に、合わない。


「ニカウレー!」


「きゃっ!」


 オラシオンは咄嗟にニカウレーを限りなく手加減した力で突き飛ばした。


「うっ、ぁ、姫様っ⁉︎」


バリンッ、ビシャァッ。


「う゛っ……」


 オラシオンは、自らに落下してくる花瓶を辛うじて右腕で叩き飛ばす。しかし、割れた花瓶の中から飛び散った紫色の液体が、白い細腕にまとわりついた。それはジュウと音を立て、瞬く間に服の原型を奪い、透き通る鱗を紫色に蝕む。更に蒸気を発し、泡を立てて鱗の下の肉を抉るように侵食していった。


「これは……‼っ、ひとまず応急処置をします!」


 迅速にニカウレーは背負っていたリュックから水筒型の容器に入った透明な液状の薬品を取り出す。


「う゛、ぁ……よ、うかい、えき」


「急いで流します!歯を食いしばってください!」


 溶解液と呼んだその液体を洗い流すように、ニカウレーは透明な液体を惜しみなくオラシオンの泡立つ右腕にかけていく。


「う゛ぐっ!ぎっ‼︎」


 まるで傷口を焼いて塞ぐような激痛に、オラシオンの喉からは金属が軋む音に似た唸り声が漏れ出る。


「痛いですよね、ごめんなさい、ごめんなさい、もう少しですよ……」


 ニカウレーの柔らかい声と背中を撫でる手に宥められながら、段々と毒々しい色の液体が洗い流されていく。そして次第に低く掠れた声はなりを潜めていった。


「はぁっ、はぁっ」


 そして、溶解液が全て流れ落ち、包帯で止血し終わった頃には強ばっていた肩も呼吸に合わせて上下し始める。


「応急処置はこれでいいはず……申し訳ありません。私が……」


 ニカウレーが俯くと、オラシオンは首を横に振った。


「違う。間に、合わなかった。私は、脚が遅すぎる。でも、ニカウレーは間に合う可能性があった。だから、突き飛ばした」


 燃され続けているような痛みが続く右腕を庇いながら、オラシオンは息も絶え絶えに立ち上がろうと足裏を地面につけた。その僅かな動作に堅牢な白亜の石でできた床が軋む。


 王族は巨体で有名なであるドラゴン族の巨体種、ロストドラゴン古代竜族と呼ばれる種族に属している。

 鋭い鉤爪に、鋭利な牙。岩をも容易に噛み砕く顎に、火薬程では決して傷つかない鱗。何よりもその山と見違える巨躯こそが古代種といわれる所以である。


加えて、王族はそのロストドラゴンの中でも頭一つ抜けた巨躯と強靱な鱗を誇るのだ。

 それは俗に霊峰と評される。一見敵う者などいないような巨躯ではあるが、その巨躯を維持する分、一般的な生命たちと生活するには支障が出るほどに重い。そして、その質量は人の姿に身を収めようと変わらない。


 重力を制御する魔鉱石も存在するが、オラシオンの唯一手元にある母の形見である幼児用の小さなものでは、成長に伴って増した体重を制御しきれない。踏み込めば床が抉れて避けるどころの話ではなくなってしまう。


 この現実が彼女にこのような決断をさせたのだ。


「ニカウレー、膝、打ってる。ごめんなさい」


「これくらいあなたの傷に比べたら‼︎」


 オラシオンは、ニカウレーを突き飛ばした拍子に膝を強く打ってしまったのを見ていた。


「私はこれくらいじゃ、死なない。でもニカウレーはこれを浴びたら……」


「それ、は……」


 ドロドロといとも簡単に溶けて消えてしまうニカウレーを想像しながら、オラシオンは足裏で地面を掴む。今も虎視眈々と弱った自分たちを、ニカウレーを狙っているであろう不届き者。その影を見逃さないよう、オラシオンの目に恐怖に優る熱が宿る。それは、雨の中で今にも消えそうになりながらも、燃え続ける篝火のように力強いものだった。


「……ぁ」


 しかし、どんな勢いづいても所詮は虚勢と罵るように、神経を焼切る痛みがオラシオン意識を曇らせる。


「っ、姫様!」


 体を持ち上げようにも崩れ落ちてしまうその肩をニカウレーが支える。それはオラシオンの体重には木の枝のような支えであったが、オラシオンはその支えでどうにかその両足を地面につける。


「ありがとう……」


「いいえ、いいえ、それは私のセリフです。ありがとうございます、姫様。

ひとまずは医務室に急ぎましょう。いくら王族の鱗でも、死ななくても、痛いままなのは絶対いけません」


 オラシオンは薄い意識のままニカウレーに支えられ、飛び散った溶解液で溶けた絨毯の上を越えて行く。


「すみません、最後にこれだけ」


 綺麗な状態の絨毯の上に足を乗せると、ニカウレーは先程薬と一緒にリュックから出していた白い宝石をふたつに割り、片割れを溶解液が飛び散り無惨にも溶けた絨毯に投げる。

 すると、白い床が顕になっていたそこは瞬く間に元に戻った。


「それは……記憶結晶メモリアルストーン?」


「広まり過ぎてる隠し方ですが、折角の証拠は消させないようにしないと。魔鉱石を投げるだけですが、これくらいは私でもできますから」


 ニカウレーは投げた石の片割れとして残ったぼんやりと光る石をリュックにしまい、再びオラシオンの肩を持つ。


「解除にはやけに音が大きい解除魔法か、私が持っている片割れ石が必要ですからね。コソコソする卑怯者が尻尾を出したのです。これ以上同じ轍は二度と踏みません」


 二人は再び歩き出す。

ニカウレーの芯を感じさせる真っ直ぐ前を見据えた横顔を見て、オラシオンは爛れるような痛みが僅かに引いたような気がした。

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