追憶の旅路で —Lost Legend of World—

アルマキ アルマ

朝の兆し

第1話 王を待つ声

 「げほっ、ごほっ」


 息苦しさに起こされ、少女は思わずむせ返る。ゆっくりと目を開くと、右手が天井に高く上がっていることに気づく。


─── 今のは……


 軋む朽ちかけのベッドの上で抜けない疲れを感じながら、春先の肌寒さに少女は鱗の浮かぶ腕をさする。


────悪い夢……いや、あれはいずれ現実になる。悪夢だと思ってはいけない。


 少女は夢の情景を思い出す。人々から見上げられ、「お救い下さい」と乞われ続ける夢だ。


────無理だ。私にはできない。私は父上たちのような王族にはなれない。


 竜が統べる万年王国アマルギートの末姫、オラシオン・アマルギートは掌の鱗に写った血色の悪い自分の顔に力なく項垂れる。

 しばらく浅い呼吸を落ち着かせていると、古びた扉がコンコンと軽く叩かれた。


「姫様、起きていらっしゃいますか?朝ごはんもうすぐできますよ」


 扉の向こうから、聞き慣れた女性の声がオラシオンの耳に届く。焦っているのか少し早口だ。


「ごめん、まだ着替えていない」


「あっ、いえ!ごゆっくり!」


 そう言われても、オラシオンは急ぎ足で準備を始める。長い髪を簡単な一括りに纏め、寝巻きを脱ぐ。そこには、薄い背中に似つかわしくない火傷跡に似た大きな傷跡があった。その傷痕を特に気に止めるでもなく、装飾の一切を排除した服に腕を通す。最後に 、使い込んだ編み上げブーツの靴紐を結んで、扉を開けて声の主に顔を見せた。


「申し訳ありません、急かしてしまって……おはようございます、姫様」


 扉を開いた先にいたのはセピア色のまろやかな瞳をし、長い髪を後ろで束ね、足首ほどまであるスカートの支給服を身に纏った年若い女性だった。


「大丈夫。おはよう、ニカウレー」


 オラシオンが落ち着いた様子で挨拶をすると、ニカウレーと呼ばれたその女性は、青くなっていた顔を柔らかい血色に戻し、不安げに揺れていたセピア色の目をとろんとさせてはにかむ。彼女は母亡きオラシオンの母代わりであり、多忙な兄姉の姉代わりであり、唯一の侍女だ。


「珍しいですね、姫様が私より遅くに起きられるなんて。夢見でも悪かったのですか?もしかしてまた毒でも……⁉︎」


再びニカウレーは顔色を七色に変える。


「ゆ、夢は見てた。でも悪い夢ではなかった。毒の症状でもなさそう。大丈夫」

「それなら良いのですが……」


 ほっと息をついてニカウレーの赤くなったり青くなったりしていた顔色が穏やかな血色に戻る。ニカウレーがここまで身を案じるのも無理もない。オラシオンは逃げようのない王位継承候補者。王の子だからだ。


『王は民の声によって選ばれる』


 この伝統の元、王位継承権は兄弟に平等に与えられる。功績によって決められるそれに、例え当事者たちに玉座に座る気がなくとも、将来の王からの恩恵を欲する者は多い。争いが起こるのは最早必然と言えよう。


――――私を殺しても、意味などないのに


 まだ齢十四であるオラシオンは、四人兄弟の末。姉や兄との年の差は優に百を超える。兄姉たちは優秀で誇り高き人望ある王の子だ。しかし、オラシオンは閉口しがちの引っ込み思案で臆病者。誰も彼女が王になると思ってもいなければ、それを望んでもいない。

 それでも、王の権力のお零れに目が眩んだ者たちから「念のため」と幾度命を狙われたか分からなかった。刺客は姿かたちも見せずにオラシオンの命をいつも影から狙っている。オラシオンがヒトの姿を模せるようになる前から傍にいる侍女の心臓は日々心労で爆発寸前であった。


「では、朝ごはんを頂きましょう。精をつけるのに朝食は必須です。今日はお出かけしなければなりませんからね」


「……うん」


お出かけという言葉にオラシオンは小さく鱗を軋ませて薄い手を握り締める。

じわりと侵食する痛みを見ないふりをして、かび臭い部屋の中で二人は一緒に朝食の準備に取り掛かかった。


フローガ燃えよ


オラシオンの静かな声に呼応して、心臓から沸きあがる熱が指先で炎に変わる。

 油断するとすぐに大火になってしまうそれを、農作物を捏ねて熟成された生地が入った窯の下に慎重に入れていく。しばらくするとふんわりとした香ばしい香りが部屋に広がった。そして、表面がこんがりと茶色く艶だってきた頃にそっと力を抜くと、ふっと炎は姿を消した。


「ふぅ……」


 オラシオンの額にはわずかに汗が滲む。焼き上げたのはブロアと呼ばれる腹持ちのいい主食だ。アマルギートにおいては朝食の定番である。


「だんだん日常魔法も上手く扱えるようになってきましたね。もう少し弱火を保てたら完璧ですよ」


「難しい……」


「こればかりは慣れだそうですからね。本当は、私が手本になれれば良いのですが……」


 どれだけ眺めても火が付かない指先を見つめながら、ニカウレーはとろりとしたスープが入った深皿を机に置く。それに続いてオラシオンは先ほど焼いたものを机に運ぶと、物寂し気に食器を置いていくニカウレーの横顔をその鮮烈な赤い瞳でまっすぐに見つめる。


「その、魔法使えるだけじゃできないことをしてくれている。と、思う……。ニカウレーは、えっと……ニカウレーは強い。すごい」


 オラシオンが不器用にも言葉をかけると、憂気に俯いていたセピア色の瞳が僅かに見開かれた後、柔らかく三日月の弧を描いた。


「ふふっ、ありがとうございます、姫様」


 ころころと鈴が転がるように笑うニカウレーに、オラシオンは返事をする代わりにゆらゆらと穏やかに大きな尻尾を揺らす。その様子にニカウレーはまたころころと声を漏らした。

 そして、二人は席についていただきますと、ゴロゴロと具材の入ったスープと、香ばしくサクサク食感が心地いいブロアを口に運ぶ。


「ん!このジャム、ブロアによく会いますね」


「ん、少し、すっぱい。でも、甘い。美味しい」


「レシピによると、少し置くと更に甘くなるとか。少し多めに残して保存しておきましょうか」


 穏やかな時間が流れる。しかし、料理が減っていくに連れて、オラシオンの手先の動きが鈍くなる。


「姫様、大丈夫ですか?」


「だい、じょうぶ」


 オラシオンは詰まったような声を発する。

 彼女は部屋の外に出るとなると、毎度喉の奥が詰まるような感覚に襲われている。それをよく分かっているニカウレーは、オラシオンの机の上で固く握られた手にそっと手を添えた。


「あり、がとう……」


 冷たい鱗に慣れた体温がゆっくりと染み込んで、震えを押さえ込んだ手が最後の一口をしっかりと口に入れる。


「ごちそうさまでした」


「はい、ごちそうさまでした。大丈夫ですか?もう少しゆっくりします?」


「……大丈夫、間を空けると動けなくなる」


「わかりました。準備をしましょう」


 席を立つと、穏やかだったニカウレーの表情も緊張を含んだものになり、二人の警戒心は研ぎ澄まされていく。


「今日はこのルートを通ります。この前までのルートはもう使えません。以前通ったときに怪しいひと影がありました」


 広い王城の内部図を広げ、本来王族どころか業務に追われる国議会議員や、見回りの騎士ですら通らない場所を指で辿っていく。その最終地点には、医務室と書かれていた。


「今回は医務室の裏口を利用させていただくので、少々迂回はしますがこの通路を使って窓口を避けます」


 城内の密集地を避けることは常となっている。以前にひとが行き交う中を通って、背中に痛い目を見ているからだ。しかし、症例が少なく治療法が確立していないのもあり、その傷を負って七年が経ったものの、経過観察のために彼女たちは危険を犯して部屋の外へ出向かなければならない。


「何か気になる点はありますか?」


 赤い目を光らせて地図に記したルートに目を通すと、オラシオンは静かに首を横に振る。


「では、行きましょうか」


 キツく口を結んでオラシオンは頷いた。ゆっくり立ち上がると、扉に手をかける。


アマルギート名無しの王


 王の血族の声に応えて、扉に光が流れていく。ぎぎぎと鈍い音を立てて開く扉の先には、白い石が敷き詰められた地面が広がっていた。その上にどこまでも平等に敷かれた青い絨毯が姫の通る道を開ける。


「行こう」


 静かに息を吐いて、少女は力の入った足を地面に下ろす。絨毯が足音を殺すのをオラシオンはただ受け入れるしか無かった。

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