Anh.28『妙なる調和』
―第11場―
『献身と信義の愛巣』
―2022.11.10 37歳―
「知りたいのは、
「違う!」
不思議なくらい強く素早く否定した自分に対して内心驚く。
「そうかしら?まぁ、いいわ。純麗子が抱える病について話しましょう」と
何もかも全て見透かされているんだという気恥ずかしさに、今度は何も言えず
「譲二は2020年5月、純麗子に自身が勤める大学病院への受診を勧めた。その年3月からのうつ病発症率は、前年に比べかなりの増加傾向だった事もあり、譲二は純麗子の様子を心配して精神・神経科へと連れて行ったの。
強迫性障害と診断され、自臭症や異臭症などの病気も見つかり治療を受ける中、7月には解離性同一性障害の可能性がカルテに示唆された。
あなたが今、宗平を思い浮かべたように、『虐待や犯罪被害といったトラウマを負った人に解離症状が生じる』という理屈は、短絡的であり誤解を招くわ」
やはりリモートシールをこめかみに貼っているせいで思考が読まれてしまっている?と、気も
「ありふれたストレスから解離症状が生じる事もあるの。診療やカウンセリング経験豊富な治療者ならば、よく心得ている事よ。
気付いての通り、患者は自身のキャパを超える状況にぶつかった時、防衛として現実と離れる。
純麗子のトリガーはおそらく、“喪失感”。
パナマで生まれ、4歳の頃にメキシコへ移り住んだ彼女は、大きな環境の変化に幼いながら必死に順応しようとした。
そしてようやく自分の生活圏として社会と関わりが持てるようになった8歳、今度は日本での暮らしが始まる。
幼少期から勉学を厳しく叩き込まれていた為、様々な言語を習得してはいたけど、ついこないだまでスペイン語で友人と話していたのに、急に日本語でとなってもなかなか輪に入る事はできない。
子供の世界は意外と残酷で、言葉は理解できたとしても、ノリや流行りが分からなければ話にならないから。
海外では異相、日本でも異質――。
やっと手に入れた安定が掌から
物心がつく頃から、何処にいても自分の居場所ではないような感覚が潜在的にあって。それでも周りに心配をかけないよう馴染んでいるフリを一人続け、胸に孤独を仕舞い込む日々。
幼少から思春期にかけ、繰り返される両親の喧嘩や、大切な人との別離。安定した環境で過ごせなかった彼女は、他人の顔色から感情を読み取る『過剰同調性』が板に付いた。
そんな純麗子にとって、唯一離れる事なく側に居てくれたのが、
「ミレ……?」
「そう。純麗子はサトルが冗談めかして付けた源氏名を聞いた時、子供の頃いつも一緒に過ごした
その名前に運命めいたものを感じて、サトルに心を許したの。
あなたはパスポートの件から純麗子を疑ってるみたいだけど、あの頃は彼女自身よく分かっていない。
堕胎をきっかけに記憶障害がみられるようになった時も、ストレスから来る一時的なものとの診断により精神安定剤を処方されただけだった。記憶が抜け落ちる日々を不安に思った彼女は、貴重品をサエに預ける事にしたのよ」
(サエをそんなに信用していたなんて、信じられない……)
私が心に浮かべた雑念に、Rayはすぐに反応を示す。
「そうね、でも事実よ。結局譲二との結婚を機に疎遠になったけど」
「……!?そうなの?」
「サエが結婚を前提に交際していた彼は、イベント警備のバイトに呼ばれたらたまに行くくらいで、その上寝坊や無断欠勤を繰り返すからほぼ無収入だった。
それで純麗子が、『“結婚したら変わる”とか“子供が生まれれば変わる”とか、根拠の無い期待を持つのはやめた方がいい』ってアドバイスをした事で別れたの。
その直後に純麗子の結婚が決まって、しかも相当ハイスペック。
サエからハッキリ『素直に祝福できない』と告げられ、純麗子は友人を失ったわ。
でも元々純麗子はサエを騙していたし、サエも純麗子を見下して安心してた。失ったも何も、そもそも相剋の関係にあった訳だけど。
あと、親友と呼べたはずの
話を戻すと、純麗子本人が意図的に人格交代などの症状を作り出したり、コントロールしたりしていたんじゃないって事。
あなたに苦難を押し付けた形にはなってるけど……」
だからさっきRayは“違う”と言ったの?
純麗子が目の前の辛い現実から逃れるために、わざと入れ替わっていた訳ではないと。
でも、人格統合で私を消そうとした事は……?
「純麗子はいつから私の存在に気付いてたの?」
「2021年10月、デジタル化した脳情報のデータを見た時よ――。
実は、医師が解離性同一性障害の疑いを持ってからも、治療は上手く進まなかった。
なぜなら記憶障害は過去の症状であり、結婚後は安定していたから。
それに人格交代している間の純麗子は記憶喪失を起こしている為、他人格である美嶺の存在に気付いていなかったし、治療関係が深まり医師が他人格との接触を試みた時も、あなたは一度も出て来なかったしね。
譲二は当初から職権で純麗子のカルテを見てたのよ。
過去に記憶の欠損が多発していた事は気になるけれど、解離症状は明確には見出せないという状況が1年以上続くと、譲二はアメリカでの臨床留学経験を持つ有名医師が開業した病院へ彼女を転院させた。
転院先の有名医師は、純麗子の知り得ない記憶や人格の有無を確かめる為に、脳情報のデジタル化を勧め、彼女は自分とその医師以外は見ない事、カウンセリング以外には使用しない事を条件に、その治療方法に応じ、その時美嶺の事を知ったの。
医師は、データ化した脳情報から美嶺の人格を削除し人格統合するという確立されていない治療法を、譲二には言わず純麗子にだけ提案したけど、彼女は怖くなってそれを拒絶し、データだけを持ち帰った。
純麗子は譲二に、『人格は既に統合されていたから治療の必要はないみたい』と説明したけど、譲二は念の為医師に確認。
もちろん医師は後ろ暗さから、純麗子の言う通りに話を合わせたわ。
譲二は完全に納得した訳ではなかったけれど、無理に別人格を消去する事による悪化の懸念から、人格統合が最善の治療ではないのかもしれないと考えを改め、別人格の必要性を認め始めていたタイミングだった為、そのまま二人は治療から遠ざかった」
「…………」
彼女の長い話の中で、譲二が別人格の必要性を認め始めていたという部分だけが強く心に残る。純麗子の為だとしても、どうしようもなく嬉しかった。
「本来は、別の人格が抱える心的外傷も癒しながら、じっくり治療を進めるべきであり、主人格の知らない交代人格の記憶を無理に引き出し患者に知らせる事は、心理的に非常に不安定な状態にある患者をさらに追い詰め、パニックや自殺などを誘発する為、適切な治療とは言えない。
だったらなぜ信頼されていたはずの医師が、そんな強引な手段に出たのか。
彼はおそらくフォルスストロベリーに操られていたのね。
そんな矢先の2022年1月、例のBCIデバイスの試用が始まった――」
この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。
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