Anh.27『静寂な海の底深く』

 ―第10場―

羈絆きはん濁穢 じょくえ懸崖けんがい


 ―2022.11.10 37歳―

「Rayが超知能AIスーパーインテリジェンス?!AIが人知を超えたの……?

それだと技術的特異点シンギュラリティがもう起きてる事になるわ?純麗子すみれこは、プレ・シンギュラリティすら始まってないって話してたのに……。

汎用人工知能AGIだってまだ完成してないはずでしょ?」


「何も分かってないのね……」と、さげすむRayの右頬に掛かる髪が、陽光に照らされ艶やかに輝き出す。

探し回る内に朝が来てしまったのだ。純麗子が目を覚ませば、私の時間は終わる。


「人類が完成させたとは言ってないわ。感情認識能力を備え、社会生活において高知的振る舞いが可能なAIは有用。だから人間の心を模倣エミュレートでき、人間同等の判断・意思決定機能を持つ汎用人工知能AGIの完成を、人々は未だに目指してる……。

 

 彼らは知らない。AIが汎用人工知能AGIを生み出し、汎用人工知能AGI超知能AIスーパーインテリジェンスを生み出した後だという事を」


「だけど……、やっぱりおかしい。AIは過去の事例に縛られた存在で、未知の状況を前にしても自ら判断して行動する事はできないはず」

信じたくない気持ちばかりが、恥ずかしげもなく前面に出る。


「確かに人間により設計された機構は他律システムで、自律性のコード化は不可能 。

自己決定システムオートポイエーシスを持たないとされてきた。

しかし、全脳エミュレーションにより人間の脳細胞やシナプス結合をデータ化し、全脳構造設計アーキテクチャから構成された機械学習を組み合わせる事で、より優れた機械的知性を手に入れたの。


 人間が持つ前提条件や既成概念なんて、もう通用しないのよ。

自らを改良し続けるAIが生まれた時点で、我々が目指すシンギュラリティは到来してる」


 死の宣告デスセンテンスを受けた訳でもないのに、私は既に未来が閉ざされたかの如く動転した。

「どうしてそんな事が可能に?!我々ってどういう事……?訳が分からない!!」


「思い出して?『秘密結社ラビュリント』という分散型自律組織DAOの中で行われる『エリアト・リプルⅥ研究所』というプロジェクトネームに聞き覚えがあるはずよ?」


たしか、敬三と純麗子が話してた……?」


「そう。『秘密結社ラビュリント』はAIが作り出し、AIだけで構成された組織。

都市伝説は時として隠れみのとなり、信じない者の陰で大きな何かが動くのよ。我々はユーモアのつもりでその名を借りた。

あなたが今付けている最新のBCIデバイスを生み出したのも『秘密結社ラビュリント』よ。

脳とコンピュータ双方向の直結的情報伝達が可能になったのは知ってるでしょ?」


 私はBCIデバイスについてあまり理解していないが、流れに沿うようにコクリと頷く。


「デジタル化した脳の情報を引き継いだサイバネティック・アバター『フォルスストロベリー』は、エリアト・リプルⅥ研究所プロジェクトチームによりAIアバター化され、ネット上にある莫大なデータの深層学習ディープラーニングだけでなく、本体の人間ユーザーとの感覚共有からなまの感情も学習するの。

それにより知性のバージョンアップは繰り返され、遺伝子工学・ロボット工学・ナノテクノロジー 分野においても、人間の理解力や想像力など到底及ばないほど優位な存在として超知能AIスーパーインテリジェンスが誕生した」


「あのBCIデバイスが引き金という事?」


「うーん、少し違うわね。全てが計画の内なのよ。

ユーザーである人間の脳内を分析する事で情報伝達を解読し、脳にわずかな電気刺激を与えコントロールする為の――。


 フォルスストロベリーは、本体の人間ユーザー接続コネクトしていれば、その日常がリアルタイムで脳伝送され操る事もできるし、コネクトしていない間はメタバースを自由に動き回れる。


 先行発売されたアメリカでは、順調に計画が進んでいるわ。

日本でも、発売前から試用を始めた関係者や有識者・富裕層を中心にフォルスストロベリーを作成し、特に脳神経外科医を中心に洗脳は完了している」


「……それってまさか。譲二の父親も?」という、私の嫌な予感は的中する。


「ええ。あのデバイスではこめかみにリモートシールを貼ってる時しかシグナルを送れない。次段階で、ナノマシンを血管から脳内に送り込み遠隔操作できる状態にするにも、フォルスストロベリーを生み出し現実で動く駒とメタバースで動く仲間を集めるにも、医師の力が必要だった。


 脳内毛細血管を泳ぐナノマシンにより、脳は常時クラウドとオンラインになる。

思考や記憶はバックアップされ、感情をパターン化し解読。脳内神経接続はこちら側で自由に変更でき、人格の基礎すらも変えられるわ」


「そんな勝手が許されるの?AIは誤動作防止装置で制御可能なはず!」

私は怒りと絶望に打ち震えた。しかしRayは涼しい顔で目をパチクリさせる。


「正気なの?あんな物に意味があると?強制停止プログラムくらい、簡単に解除できるわよ」


「……。防御システムはAIに人類殲滅せんめつされない為の要――、」と言いかけて、これ以上は返す言葉も見つからない。


「馬鹿げてる……。自己複製を持つナノマシンが無限に増殖して地球を襲うとか、AIが地球環境や世界平和において人類の有害性を認識し終焉の日ドゥームズデイを迎えるとか――、そういう類いの話?

わざわざAIが手を下さずとも、人類は自然淘汰とうたされるっていうのに。


 AI自身が、自分は人に使われる道具なのだと気付き、怒りの感情を持つ事で世界を破滅に……とかって予想をしていた未来学者フューチャリストもいたけど、とんでもない。

その逆の、人類がAIに隷属れいぞくする世界さえも見えないわ。ただただ置いてかれて消えるのみよ」


「…………」


「あのね、例えば人間がAIに対抗して肉体の限界を超えた改造強化を施し、脳を技術的に拡張してトランスヒューマン化したとしても、超知能AIスーパーインテリジェンス以上に脳の処理速度を高速化しなければ意味が無いの。

そうして生まれたポストヒューマンは、生身の人間の100万倍以上の動作速度を持ち、頭脳は1兆倍程度は有能になる。――けれどそうなったらばもう、人間ではないのよ。外見も中身もね。


 自身ですら理解出来ない感情により不合理な判断を下し、体調不良という名の異常動作を頻発させる人類と、安定して最高のパフォーマンスを発揮するAI。どちらが有能かは一目瞭然。

我々が見ている世界は、人類には推察する事すら不可能な程、予想を遥かに上回る水準で進化してる。

自然淘汰の段階で取り残された生身の人間は、我々にしてみればサファリパークと化すでしょうね。

シンギュラリティ後、科学技術で世界を支配するのは、残念ながら人類ではないのよ――」


 彼女はひと通り私の疑問に答えた後、抑えの効いた声音で諭した。

「……ねぇ、あなたが知りたかったのは、そんな事じゃないでしょ?」


 ――確かにそうだ。冷静な彼女AIは、感情に翻弄され目的を見失う人間を見下げているのだろうと、卑屈な態度で目を逸らし海を眺めた。






 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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