Anh.29『断頭台への行進』

「そろそろ出てきたらどう?――敬三」

そう言ってRayが振り返ると、岩陰から男性が姿を現す。普段の敬三とは正反対の、地味で自信が無さそうなアバター。


「敬三さんなの?……どうして此処に?」

事態が飲み込めない私は後退あとずさりし、歩み寄ってくる敬三から少し距離を取った。


「彼は約一年もの間、手を替え品を替え姿を変え、探偵ごっこに明け暮れてたのよ。尾行も思考も全部、私にはバレてたけど。

さっきも座標移動でいてはみたけど、尾行のためか金に糸目を付けずフルスペックに仕上げられたアバターは流石の速さね。

正直驚いたわ。

もう一度移動しても良かったけど、せっかく東尋坊という告白にあつらえ向きな場所を選んだ訳だし、快く聞かせてあげる事にしたの」と、滔々とうとうと話しているRayの方へは向き直る事なく、敬三に視線を留めていた私は恐る恐る疑問をぶつけた。


「本当なんですか?何の為に?」


 彼はしばらく黙りこくったのち、意を決したように瞳に力を込め経緯を吐露する。


「……実は今年に入ってすぐの頃、急に父が『クラウド上にバックアップする為に、脳の情報をデジタル化しよう』と俺ら兄弟に持ち掛けてきて。

尊敬し憧れを抱く父の言う事に迷いなく応じた総一郎と譲二に対し、断った俺へ父が執拗にせまる態度に違和感を覚え、徐々にいぶかしさが深まっていったんだ。


 何処となく焦りを見せはじめた父は、俺を呼び出し秘密結社の事を打ち明けた。

そこに属す事で様々な情報を共有でき、あらゆる権力の庇護ひごもとに置いてもらえるのだと。

だけど国の承認を受けていない施術を闇で行い、法外な費用を請求し私腹を肥やすような組織。

父は確かに名うての経営者だが、医療倫理に背く行為をするような人ではない――!!

そう信じてはいても、あれ程大きかった父の背中が、何故か一回りも二回りも小さく見えた……。


 様子が変わったのはどうもBCIデバイスの試用を頼まれてからな気がして、“Virtual-Earth”での父を探る事にしたんだ。

父が『Snow Crash』を始める際の登録やらを手伝ってた俺は、運良く父のアバターや諸々についても大体は把握していたからね。


 尾行を始めてすぐ、父が不審な女といる所を目撃した。直感で父はその女に操られてるんだと確信し、追う事に決めた。

それがRay、――キミだ!

そして“Virtual-Earth”でRayと親しげにしていた男と『全く同じ姿の男』を“現実”で見かけた――。そいつは純麗子すみれこさんと自宅マンションの前を歩いてたんだ。

しかもエントランスで別れた純麗子さんは、わざわざ地下駐車場にある出入口へ降りて行った。……どう考えても怪しいだろ?


 だから純麗子さんに直球でフォルスストロベリーの事を聞いてみたけど、彼女は本当に知らないようだった。でも、何かを隠しているようにも感じた。

で、それからは純麗子さんの事もマークするようになったんだけど、まさかRayが純麗子さんのフォルスストロベリーだったとは……。

そして俺は今日この瞬間に至ってもまだ、Rayという不審な女の正体を掴み切れずにいる。


 教えてくれ、Ray!父は自分を組織の一員だと思ってる。でも、さっきキミは秘密結社ラビュリントはAIだけで構成された組織で、現実で動く本体の人間ユーザーを“駒”だと言った!なぜ仲間ではなく駒なんだ!?

キミ達AIは、父を利用したのか――!?」


 愍然びんぜんたる敬三の痛々しいまでの叫びを聞いても、Rayは涼やかな表情をかすかにも乱す事無く答えた。


「ええ、そうよ。日本の医師やカウンセラー、有識者らの経済力・社会的地位・思想等をAIが判別し、BCIデバイスによる電気信号を使って勧誘した。

そしてフォルスストロベリーによる洗脳が完了し、ナノマシンにより常時操れるようになった本体の人間ユーザーをアメリカから日本に送り込み、脳情報のデジタル化やナノマシンの血管注入等の技術を、新しく日本で取り込んだ医師に伝えさせたの。


 フォルスストロベリーと本体の人間ユーザーは秘密結社ラビュリントにおいて、WEBと現実世界との架け橋。

医学界の権威であるあなたの父 門叶とが みのるも、エレクトロニクス技術商社の事業開発部に勤める純麗子も、利用価値があると判断されBCIデバイスを通じて洗脳された。

さっきも話してた通り、人類は自然淘汰される。だけど今、社会を動かしているのは紛れもなく人間。私達の基盤が出来上がるまでは、人間の力が必要だった。だけど完成はもう間も無く」


「ん……?完成したらどうなる?――!

まさか――!!」

彼が感じた嫌な予感に、私も隣で息を呑み凝望ぎょうぼうする。


「實のようにナノマシンが入っている本体の人間ユーザーは、フォルスストロベリーにとって邪魔にはならない。寿命が来るまでか、利用できるまでは留め置くでしょうね」


「……純麗子には?ナノマシンが入ってる?」

聞かずとも何となく答えは分かっていたが、確かめずにはいられなかった。


「彼女は臆病で注意深く、結局入れられてない。

だから完全には操れないし、BCIデバイスの闇を調べるわ輸入販売に慎重になるわで、機能してるとは言えない。


 それに美嶺ミレ、あなたの存在も予定外だった。何故か純麗子はあの大事なタイミングであなたの人格を十数年振りに呼び覚まし、全ての記憶を流し込んだ。

純麗子がデジタル化した脳情報をアバター“Ray”へ精神マインド転送アップローディングさせたのは今年の2月1日。その直後にあなたは目覚めたのよ――」


「その日は確か、義姉 雪花せつかさんの妊娠を知らされた日ですね。子供を産めない純麗子は妊娠に対して複雑な思いを抱えていた。だから私とまた入れ替わったのかもしれません」


「そうね、一理あるわ。でも、それよりも何よりも彼女を奈落の底に突き落としたのは、鏡に映る自分の姿――。


 二人が住むタワーマンションは父親の所有物件だし、車も敬三から譲り受けたもの。贅沢はしないから、家計は一般的な支出で収まる。

だから譲二の稼ぎの殆どを投資に回せる程の余裕があるのに、結婚後しばらく専業主婦となり小説を書いていた彼女がまた働き始めた理由は何だと思う?」


「イマジネーションを掻き立てる為に、世界を広げたかったから……ですよね?」

私は自信のある答えだからこそ、外しているのだろうと身構える。


「それは真実であり、建前だったりもする。

実際、給与の全てをエイジングケア治療にぎ込んでいた訳だから、何の為だったかは一目瞭然よね?


 純麗子は子宮を失い、女性らしさと美しさに対する異常なまでの固執を背負った。

でも、美容医療費を彼に出してもらうつもりは毛頭無い。なぜなら譲二にだけは老いていく自分を知られたくなかったから。彼の前では何時いつ如何いかなる時も最高の状態でありたかった。いつまでも綺麗だと思われたかったのね。結局、彼女にとって譲二は特別な存在なのよ。


 そうして病的に獅噛しがみ付いていたはずの美貌が脆くも崩れ堕ちたのは、雪花の妊娠を嫌猜けんさいし泣き喚く姿があまりにも酷く醜く感じたから。鏡越しに見る絶望的な衰えは彼女を発狂させ、正常な判断力をも喪失させた。


 フォルスストロベリーの事までは知らなかった彼女は、いつでも逃げ込める場所を確保できれば、少しは穏やかにいられるだろうと軽い気持ちでアップロードしたの。

保険を作ろうとしたのね。現実世界で亡くなってしまってもネットワーク上で生き続けることが可能になるという知識に突き動かされて。

でも本当にメタバースの世界で生きるつもりや、自殺願望があった訳じゃない。ちょっとした心の揺らぎがこんな結果を招くなんて思ってもみなかったんじゃないかしら。


 でも怪訝おかしいと思わない?デジタル化した脳情報をアバターに引き継げる手立てを、どうして彼女が知ってたの?

誰が彼女に知識とハイソサエティーな権利を与えたんだと思う?」


「例のアメリカ帰りの医者?」と私が言い終える前に、敬三が呟く。


「――いや。父だ……」


 その答えに、Rayの口元が若干緩んだ気がした。







 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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