Anh.19『仮想の楽しい夜を』

 ―第2場―

『快楽と虚栄の巨塔』


 ―2022.2.14 37歳―

 十数年振りに目覚めた世界では、美しく構築された仮想の三次元空間 “Virtualバーチャル-Earthアース”を舞台に、多くの人々がアバターを用いてもう一つの生活を繰り広げていた。


 付け焼き刃の知識だが、“Virtual-Earth”とは、AIが衛星情報を学習する事で自動生成し続ける3Dモデルの地球であり、世界最大のメタバースプラットフォーム『Snow Crashスノウ・クラッシュ』が提供するサービスのようだ。


 純麗子すみれこが勤める会社は、『Snow Crash』のビジネス活用において、国内他社を一歩リードしてきた。

しかし最近では行き詰まりを感じており、新規事業のネタ探しを命じられた彼女は、勤務時間の殆どを“Virtual-Earth”で過ごしている。


 帰宅早々彼女はリモートシールをこめかみに貼り、バスタブに浸かると、“Virtual六本木”を目指した。

仮想Virtual現実Reality』関連機器の進歩は著しく、“ヘッドマウントディスプレイ”のような、左右の視差を用いて立体映像を生み出すゴーグルの装着は少し古い。


 現在では、双方向の『ブレインコンピュータインターフェイス』が実現し、脳からの命令を電気信号へ、コンピュータからの電気信号を脳波へ同時に変換する事で、脳とコンピュータの直結的情報伝達を可能にするデバイスが台頭している。


 彼女が使用するのは、超小型化された日本未発売の最新モデル。リモートシールをこめかみに貼るだけで、脳に直接送られる電気信号によりVRとコネクトし、“サイバネティック・アバター”と感覚を共有できる。


「お待たせしました」

空から現れた純麗子のアバターは、20代の頃の彼女を彷彿とさせる。しかし髪はピンクベージュのロングヘアで、瞳は青く実際よりも少し大きい。

優羽ゆうも165cmくらいのはずだが、アバターは180cm程に見える。


「いや、僕も今来たとこ。今日も風呂?」


「ええ。水中が一番皮膚感覚の再現がいいので」


「それは言えてる。今やVR感覚ファントムセンスは錯覚なんかじゃなく、ごく当たり前に存在する物になったよね」


 “Virtual-Earth”では、神経と精神を“サイバネティック・アバター”に憑依し、意のままに操り、景色や音に限らずアバターが接触した全てを五官で体感できるのだ。


「今回の『BCIデバイス』の開発では、特に皮膚感覚の再現に重きを置いたそうです。

触覚・圧覚・痛覚・冷覚・温覚を、微細に渡り解析・研究し尽くされました。

アバターが何かにれれば、コンピュータから送られた脳波により、表皮にあるマイスナー小体が刺激を感知し、メルケル細胞が圧感を検知。
そして末梢から中枢神経を伝達し、『大脳皮質頭頂葉』の前部に位置する『体性感覚野』に送られ、処理される所までも再現できているようですから」


「そう。じゃあ早速試してみよう」と優羽が腰に手を回し、二人は連れ立って階下の5つ星ホテルへとエレベーターで降りた。


 ドアを閉めてすぐ、優羽は唇を重ねる。なめらかに舌を絡ませながら、彼らはベッドへなだれ込んだ。彼女の熱い吐息と、彼の荒い息遣いだけが、ラグジュアリーな空間の高い天井までをも支配する。


 シーツにくるまり寄り添う二人は、情事の余韻に浸る事なく分析を始めた。

「最高だった。キミはどうだった?」と、優羽は白く柔らかな胸をしっとりと触りながら、真面目な顔で尋ねる。


「今回のモデルから追加された、相手が指定した香水等の香りを感知する新機能ですが、やはり本人が想像した匂いが自身の脳に届くという現行システムの方が良いかと。好みもありますから」


「でもまぁ、香料業界の利権も絡んでるからね……。口臭や体臭を気にする人には、相手に想像された匂いより、自身が指定した香りを届けたいんじゃないかな?」


「そうですね。議論の余地は残しておきましょう。

私が思う一番のメリットとしては、性病や虫歯、歯周病が感染る心配がない事。あと妊娠の不安もないですし」


「体液で汚れないのも、後処理の面で高評価だね。臨場感が欲しいなら、脳からの指令により汗をかき、一瞬で戻せば良い訳だし」

そう言いながら彼は、汗をかいたり引いたりを繰り返す。


「皮膚感覚の感度については申し分ないです。現実リアルと遜色ありませんでした。ただ一つ問題が……」


「問題は、キミが僕の現実リアルを知らない事?比較対象が無いんだから」

冗談めかして太ももの間に手を滑り込ませる優羽を、純麗子は笑顔ながらきっぱりと一蹴した。


「知る必要はありません。現実リアルな関係には興味がないので――。

それで問題ですが、この『BCIデバイス』が先行販売されたアメリカでは、『高次の発展した遠隔臨場感テレイグジスタンスによる弊害』が報告されはじめています。

精神障害や脳障害で医療機関にかかるケースも」


「それはまずいな……」

優羽は上体を起こし、唇を噛んで顔を顰める。

隣にいたはずの純麗子は、一瞬で先程とは違う服と髪型になり、ドアの前に立っていた。


「感覚を司る『頭頂葉』、視覚を司る『後頭葉』、記憶を司る『側頭葉』ら全てを駆使し、“サイバネティック・アバター”からの電気信号を認識する事が、症状の原因と見られています。……今は公になっていませんが。

このまま輸入販売するべきかどうか、慎重に検討を重ねます」と一礼し出て行った。






 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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