Anh.15『夢のあとに』

 ―第9場―

『喪失と零落れいらくの魔都』


 ―2009.1.19 24歳―

 暗澹あんたんたるクリスマスイヴの後、恭弥きょうやは姿を消した。

闇金への返済が滞り、マグロ漁船に乗せられたなんて嘘みたいな噂を、純麗子すみれこは耳にする。

じんもレストランに来なくなり、月2回の送迎についての連絡も無く、もちろん純麗子からもしなかった。


 年末から彼女は咳が止まらない。咳をしながら接客する訳にも行かず、市販薬を飲み出勤していたが、長引く症状に風邪ではないなと思い始めていた。


 恐る恐る彼女が向かったのは、内科ではなくレディースクリニック。性病検査を受ける為だ。中学生の頃に見た“援助交際が原因でHIVに感染した女子高生と人気音楽プロデューサーの恋愛ドラマ”が、脳内でループ再生された。


「この検査で喉の性病も分かりますか?」

カーテンの向こう側で膣分泌物を採取する医師に尋ねる。

「喉は分かりません。口腔性交オーラルセックスの経験が?」

「はい……」

「では、咽頭検査もしておきましょう」


 帯下おりものと血液による検査を受けた記憶に対し、不鮮明な感情に苛まれる。

意識を失っていたはずの彼女がなぜ咽頭感染を疑うのか――。

私は彼女の故意を疑い始めた。


 もしもHIVに感染していたら……と、検査結果が出るまでの間中、最悪のシナリオが頭を占拠し、彼女の心臓は乱れる。

結果的にHIV感染は免れたが、咽頭クラミジアとの診断を受け抗生剤を服薬し、その完治。


 横矢にはピルを飲む事でコンドームの不使用を許し、迅の事も危険な男性だと分かりながら境界線をぼかしたと、彼女は過去を振り返る。

不特定多数の女性と関係を持つ男達と、無防備に接触するリスクに、彼女は今更ながら気がつく。


『反省して、これからはもっと自分を大切にせなアカンで!』

純麗子の慚愧ざんきの中で、あの日の忠文の声が反響し続けるのだった……。


 ―2010.1.28 25歳―

 純麗子がチャイルドマインダーとして、24時間保育を行う新宿の認可外保育施設に採用が決まり上京してから、1年が経とうとしていた。

夜勤をする保護者にとって深夜預かりは必要とされており、彼女も大きな遣り甲斐を感じていた矢先、不幸な事件が起こる。


 事件当日、遅番のシフトに入っていた職員は3名。純麗子は入っていなかった。

21時に消灯し、床に敷いた布団で園児は就寝。23時頃、母親がお迎えに来園。職員が起こそうとしたところ、1歳男児がうつぶせ寝のまま嘔吐し、ぐったりしていた。

就寝後も2名の職員が同室にいたが、異常には気付かず。

救急隊が駆けつけた時には心肺停止状態で、病院に運ばれ死亡が確認された。


 司法解剖し死因を調べた所、窒息死と乳幼児突然死症候群SIDSどちらの可能性もあるとの鑑定により、 園長や担当職員へ業務上過失致死容疑での捜査が始まる。

認可外保育施設だった事もあり、報道によって強く糾弾され、担当職員は鬱病を患い園を去った。


 しばらくして施設は買収され、園内の様子をネットで確認できる監視カメラの設置など、経営方針も大きく変わる事となり、雇用契約を結び直すか退職するかの二択が迫られる。


 乳幼児突然死症候群SIDSは、予兆や既往歴もないまま乳幼児が死に至る原因不明の病気。

純麗子はシフトが違えば自分が見逃していたかもしれないという恐怖で、退職を選んだ。


 ―2010.3.1 25歳―

 夢ついえた彼女は、大学病院でドクターズクラークとして勤務を始めた。

実務経験を積みながら、6ヶ月間の研修を受け、認定試験、検定試験に合格し、医師事務作業補助者の資格を取得する事が、新たな目標となる。


 主に外科外来のクラークを担当し、資格の取得も順調に進んでいった。

彼女の仕事は丁寧且つ迅速で、対応はホスピタリティマインドに溢れていると、医師や看護師、患者様からの評判も良い。流暢に英語を話せ、スペイン語やイタリア語など幾つかの言語を少しは扱える点でも評価が高かった。


 しかし順風満帆とは行かず、彼女の身体を病魔が襲う。体内に巣食い蔓延はびこる病が、彼女の心をおかし、未来までをもむしばんでいった――。





 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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