Anh.9『花から花へ』

 ―第5場―

阿漕あこぎ繰返あこぎな酔いの街』


 ―2004.1.5 19歳―

 秋の終わりに突然、サトルと音信不通になった。

彼がいつも誰かからの電話に怯えていた事が頭をぎる。

純麗子すみれこは彼の失踪を機に、サクラから足を洗う事に決めた。……はずだった。


 宗平とサトルを同時期に失い、高校の頃から通っていたbaseよしもとで再び出待ちなどをしてみたが、推していた主要メンバーは夏の『サマスマ03』で卒業していて、熱狂的な古参ファンの空気にももう馴染めなかった。


 部屋の前で膝を抱え座る宗平の幻を見る自分にも、不二家前でサトルを探してしまう癖にも、疲れ果てる。

平坦な日々も悪くはないと言い聞かせ、道頓堀橋北詰に駐輪した彼女の隣で、天使のラッパが鳴り響いた――。

放置自転車の雪崩の音だ。


 半年前にも同じ場所で、原付バイクを停める男性のリュックが自転車に引っ掛かり、将棋倒しになったのを思い出す。

2人で並べ直した後に手渡された、ギラギラと輝く名刺を彼女はまだ持っていた。


 引っかけ橋の北詰グリコ側で“原付の彼”と待ち合わせ。りにもって客を呼べないホストがたむろする場所だ。

「何しとんの?待たされてんなら俺らと行こうや」

絶えず掛かる声に、不機嫌な顔で無視を決め込む。すると颯爽と迎えに現れた綺麗なスーツを着こなす男性が、彼女の真っ白な手を引いた。


 顔立ちが優れて美麗な訳でもなく、身長も170台前半と飛び抜けて高い訳でもない。

しかしながら彼の発するオーラのせいか、洗練された風貌からか、並んで歩けば皆の熱視線を浴びる事となる。彼女はとても気持ちよく、誇らしかった。


 彼はホストクラブの雇われ店長で、もちろん人気も高く、あまり席についてはくれない。

「今日は珍しくオーナーが店に来てて」と、妙に若作りが似合う男性を紹介された。愛車のフェラーリを“跳ね馬”と呼ぶ様なブルジョワだ。


「じゃあサクラ頼もうかな。仲介が捕まったら芋づる式に摘発されるんが怖かったんやけど、個人間の遣り取りやったら安心やね。後は店長の奈緒斗に任せるわ」と、雑談の流れからオーナーは簡単に決めた。


 ホストクラブでのサクラの仕事は、飾りボトルを入れる、カラオケで盛り上がる、ヘルプ指名を大量にするなどの煽り行為だ。

サクラとホストが飲むのは中身が水のJINROや、カクテルに見えるジュースのみで、フルーツ盛りやシャンパンタワー等、実費が掛かる事は基本しない。

帰りは伝票の後ろに裏書きをし、売掛を装って店から出る。支払いはオーナーが後で行う流れだ。

しかし今回は個人間の遣り取りであり、リスクを排除する為オーナーと店長しかサクラの事は知らず、ヘルプにはきちんと酒が提供された。


 サクラは女性客の闘争心に火は着けるが、ギリギリ怒らせないラインで留める事が重要。

仕事中は全てのお客様を不快にさせないよう、細心の注意を払いながら煽情しなくてはならず、余計な事に気を取られるべきではない。

しかし純麗子はルールに反して私情を持ち込み、次第に演技を越えて奈緒斗の事を本当に好きになっていく。


 彼は「純麗子の事は好きやけど、オーナーとの約束があるから付き合えへん」と言った。

ホストとして巧くかわしているのだろうが、純麗子は内緒の待ち合わせや、エレベーターでの秘密のキスで十分……。

そして店の外では本名の“達之”と呼ぶことによる背徳と高揚に、充足を得るのだ。


 ―2004.10.15 19歳―

 達之との関係が1年近く経ち、お互いプライベートな事も話すようになっていた。

彼が小学校に上がる前に母親が失踪した事。

父親は咽頭癌で闘病中だが、酒も煙草もやめない事。

彼の夢は小学校教諭で、教育大学に通いながら学費を支払う為にホストをしている事。

11月1日から教育実習が始まる事。


 それらの身の上話が本当かどうかは分からないが、純麗子は彼を信じていた。

後期の学費が足りないからと30万円貸す事も、すんなり了承した。


 ―2004.10.26 19歳―

 ホテルのバイトの給料日、25日の夜、純麗子は30万円を持って入店。

“奈緒斗”の隣で“美嶺ミレ”としてサクラを演じる最後の日になるとは、思いもせずに。


 営業終了後の翌26日、いつものネットカフェのカップルシートで達之を待つ。

30万円を受け取った達之は、珍しくずっとくっついて離れなかった。

いつまでも手を握り、何度もキスをし、切なげに純麗子を見つめる。

「なぁ、ホテル行こ?」

いつからか期待していたはずのセリフだったにもかかわらず、いざ達之から発せられれば、彼女は途端に不安に陥った。


 ベッドの上……、全ての愛を捨て去るように抱く彼の吐息に、真贋しんがん寂光じゃっこうに、純麗子は別離を諦観ていかんする。

……そして、愛する男の腕の中、甘い首元に顔をうずめ、彼女の意識は消失した。


 明け方の御堂筋で私が感じた別れの予感は、当たっていたのだ――。


 奈緒斗もとい達之は、前もって25日付での退店を申し出ていた。25日……、ある意味では信頼関係が本物だったと言える。

純麗子もサクラを辞め、彼らが二度と会う事は無かった――。






 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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