Anh.2『星は光りぬ』

 ―第4場―

阿漕あこぎ繰返あこぎな酔いの街』


 ―2004.10.26 19歳―

 眠りから覚めた視線の先で、羽毛布団から胸元辺りまで素肌を晒した自分と見知らぬ青年の姿が、鏡張りの天井に映っていた。

モゾモゾと布団の中を確認しようとする私を遮るように、

「そろそろ出よか」と高い割にしゃがれた声が耳に触れる。


 自動精算機の前に立ち、財布を取り出した男性に、

「半分出します」と申し出ると、彼は小さく笑った。


「何なん、そんな喋り方して。ここは俺が出しとくわ。

いっぱい世話になってるし……。ホンマに絶対返すから」


 掛けられた言葉の意味を図りかね、小首をかしげて骨張った横顔を見上げる。すると彼も私の方に首をかたむおどけた。

「寝惚けとん?それか寝たら忘れたん?まあ、忘れてくれるんやったら俺はありがたいけど」


 ドアロックが解除され、エレベーターに乗り込む。

「何か怒っとんの?」

密室の中、彼は気まずそうに顔を覗き込んできた。きっと事態が飲み込めず、黙りこくっていたせいだ。

急いで笑顔を作り、首を横に振ると、香水の香りにぐっと抱き寄せられ、

「30万も用意してくれてありがとなぁ。ホンマ返すから、心配せんとってぇ。10万ずつにはなるけど」と可愛い微笑びしょうが軽いキスで甘えた。


 明け方の久左衛門町通りは静かで、汚れた空気も幾分か澄んでいる。

朝日を左から浴びながら原付バイクに跨り、御堂筋を走り去る青年に、……馴染みも無い四角い背中に、何故か永遠の別れを予感した。



 ―第5場―

光艶こうえんと幻影の儚き遊郭』


 ―2004.12.14 20歳―

 暖かい炬燵こたつの中で、こっくりこっくり船を漕いでいたのか、暖を求め入って来た誰かの足が当たって夢から覚めた。

「あっ、マスター。すいません。

あのぉ……。パスポートがまだ見つからなくて……」


 大正ロマンとも昭和モダンともつかない歴史の面影残る異彩な空間で、意識を取り戻すのは初めてではない。

以前、マスターからパスポートを早く持って来るよう叱られた記憶が残っているのだ。

何の為に必要なのかも分からぬまま、とにかく自宅を隅々まで探したが、結局見つからなかった記憶も――。


「はぁ?何言うとんねん。先週ワイが預かったやろが」

マスターは堅気とは思えないオーラを纏い、灰皿に煙草をこすり付ける。


「あっ、そうでしたね。うっかりしてました」

慌てて話を合わせる私をいぶかしみながらも、

「もうちょっとのぁ貸しといてや」と有無を言わさぬ威圧感を魅せた。


美嶺ミレちゃん、お願いします」

表から戻って来た愛ちゃんと入れ替わり、凛とした仮面ペルソナで素顔を覆い隠したのち、ピンクの光の中で綺麗に笑った。



 ―第6場―

『憂心と黄昏の住宅街』


 ―2006.5.11 21歳―

 あられもない姿で正気付くのは、記憶が残る内では2回目の事。

産婦人科の内診台の上で、大股を開いていた。


 女医は喋喋しい溜息をついてから、苛立ちを抑えずに問いただす。

「ただの生理ですよ。

何が心配なんですか?妊娠すること?流産すること?こんな夜遅くに来院して……」


 聞かれている意味は全く理解出来ないが、おそらく私は何かを心配して夜中の病院に来たのだろう。

(ひとまず何も問題無いって事……?)


「すいませんでした。ご迷惑をおかけしました」とだけ言って、投げかけられた質問には答えなかった。

手袋を取り、手洗いを済ませた彼女は、

「お会計はまた明日の昼間に来て下さい。今日はこのままお帰り頂いて構いませんので」と冷ややかな態度で告げた。

あからさまに眠そうに目を擦りながら、ツカツカと玄関口へ追い立てられ、さすがに恐縮仕切って何度も頭を下げながら病院を出る。

靴のかかとを直す背中に、ガチャリと錠が掛けられ明かりが消えた。


 タクシーを掴まえる前に、財布の中身を確認しようとバッグを探ると、見たこともないキーホルダーの付いた鍵が入っていた。

元々持っていたのはディンプルキーだが、手の中にあるのは旧型のノーマルキーだ。


(今私はどこに住んどるん……?)

必死で思いだそうとすればする程、何もかもが分からなくなる。


 そしてまた、記憶が途切れた――。






 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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