『メタバース不倫』

LILUA

第1幕『美嶺の回想録』

Anh.1『道を踏み外した女』

 ―Preludeプレリュード

Memorieメモーリエ


 つたない手記を書き終える日が来れば、復讐の叙唱レチタティーヴォ を彼女に捧ぐ――。


 然れど、目紛めまぐるしく転調を繰り返す不安定な旋律に乗せ怨恨のアリアを歌い上げる前に、己の断末魔の叫びが轟かぬとも限らないのがはなはだ恐ろしい。


 最後の幕が下りた時、私ではなく彼女の為の葬送曲レクイエムが完成している事を、今はただ、願ってやまない。



 ―第1場―

寂滅じゃくめつ出顕しゅつけんの手術台』


 ―2003.8.5 18歳―

 目を覚ました時、私はあられもない姿で手術台に横たわっていた。


蔵埜くらのさん。100からカウントダウンして下さい」


(クラノ……?)

おそらく私の苗字なのだろうが、何も思い出せない。

仕方なく、言われたままに数え始める。


「100、99、98、97、96、95……、94…………」

抗うことの出来ない睡魔に襲われ、数えるのをやめた。


 意識が回復したのは、安静室のベッドの中だった。

様子を見に来た男性医師が持つカルテには、『人工妊娠中絶に対する同意書』と印字された用紙が貼り付けてあり、配偶者及びパートナーの欄には“岡 忠文”と署名されている。

全く覚えのない名前、今置かれている状況、何もかもが他人事の様だ。


 ベッドから起き上がり、

「お母様が来られてますので、お薬を受け取って帰って下さいね」とナースに声を掛けられた所で、また意識が消失した。



 ―第2場―

まやかし侮蔑ぶべつの歓楽街』


 ―2003.8.27 18歳―

 暗い小さな部屋に鳴り響く着信音に、連夜叩き起こされる。

ケータイを開き、通話ボタンを押すと、

「もしかして二度寝しとったん?遅刻やぞ。早よういって」と焦るサトルの声。


 気が付けば、いつも夜だ――。


 地下鉄御堂筋線でなんば駅まで20分揺られ、千日前通りに繋がる出口から、太左衛門橋を渡って2、3本目の通りへ向かう日々が1週間程続いている。


「まだ記憶戻らんの?もうだいぶ経つやん?」と、サトルは心配しながら煙草の煙を吐く。

彼は私を『美嶺ミレ』と呼び、私は以前にも彼に『記憶障害』を打ち明けていたらしい。


 ―2003.9.14 18歳―

 ハッと気が付いた時、視界には珍しく日が差していた。

すぐに待受画面を見ると、2週間以上経過した日付が表示されている。


「なぁ、聞いとる?このバッグ可愛いない?」

目の前には同い年くらいの女の子が立っていて、親しげに話しかけてくる。

「うん、可愛いなぁ」と言った後、¥248,000-の値札が目に入った。


 心臓が飛び出しそうな高級ブランド店を出て、当ても無く心斎橋筋商店街を歩く。

適当に合わせながら話している内に、彼女の名前がサエで、セクキャバやデリヘルの体験入店荒らしをしている子だという事が分かった。


「せやけど、体験入店たいにゅうしてるだけの私の方が、れーちゃんよりマシやわ」


 突然、隣から浴びせられた侮蔑ぶべつに苛立つ理由も無く、私はどんな人間で、何をしたのだろうかと不安に陥った後、結局知る事から逃げた。



 ―第3場―

『不実と保身の悲愴な家』


 ―2003.10.11 18歳―

 グラスがテーブルに置かれる音で意識を取り戻す。

すぐさま日付を確認する事が、身に付き始めていた。

(1ヶ月飛んどる……?)


 手掛かりを探し窓の外に目をやる。どうやら分譲住宅地の戸建ての中にいるようだ。

テーブルの向かいに座り、お茶を勧めてくれている40代前後の女性の家なのだろう。


「急に座らしてごめんよ。宗平との事やけど、別れてくれへんかなぁ……?」


(そうへい?別れる?何の事……?!)

全く話が見えないままの私に、彼女は喋り続けた。


「宗平なぁ、解離性同一症やぁ言われてしもてん。今日かてまたあの子が約束すっぽかしたんやろ?そういう事やし、許したってぇ?


 あの子から何て聞いてるか知らんけど、小っちゃい頃、前の父親から暴力受けてて……。

今の父親とも結局上手くいかんくてな。私も助けてやれへんかったんやけど……。


 中学卒業したら住み込みで板前修行に出たんやけど、ひどいイジメにうて。

戻って来たら父親から休んどらんとさっさと働け言われて。

今は16やのにホストしとるとか言うてるけど、よう休んどるらしいし、またイジメにうてるんちゃうかなぁ……。

本人は可愛がられてるんやて言い張ってるけど。どんどん症状も酷うなってるし……」


 宗平の母は一気に捲し立てたかと思えば、私の出方を伺っているのか、ジッと見つめたまましばらく黙り込んだ。

しかし、私に返す言葉などない。


「アンタにこんなん言うんは、イジワルしてるんちゃうで?他に家連れて来るぉらぁとアンタは違うやろ?ちゃんと大学行きながら、高級なホテルでバイトしとんやろ?

他のぉらぁは、学校も仕事も行かんと朝から晩まで汚い格好でフラフラしとる。挨拶もせえへん。

アンタ見とったら私、何か罪悪感感じるねん。

あの子に振り回されて、人生棒に振って欲しない。私も娘がおるから、アンタのお母さんにも申し訳ないんよぉ。

お願いやから別れてくれへんかな?この通り。お願いします」


 涙目で話し、私を思い頭を下げてくれる女性を、訳が分からなくとも無下には出来なかった。

ただ、私は彼女が言うように真っ当に生きているのだろうか?

サエに蔑まれた事を思い返すと、自分を疑うより他なかった。





 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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