幕間 黒に染まる絶望


 差し出した手は、ほんの僅か距離が届かず。


「スグル様! 必ず、必ずや貴方の側に──」


 一瞬触れた指先が、虚空を掴む。


「ラスター! 僕は、僕は……!!」


「スグル様!!」

 喉が震えるほど彼の名を叫んでも、溶けるように消えていった彼にはもう届かない。


 どさりと、土色の戻った地面に崩れ落ちる。

 衝動的に地面に爪を立てれば、掴んだ砂粒が爪の間に入った。


 どうして。どうして……。

「大樹の精霊よ……なぜ、あの方を……あの方を……」

『役目は果たされました。世界に色が戻り、希望が紡がれました』

 空気が震え、微かに応えた。


「あの方は……世界に居場所がないと……。この世界で生きて……くれると……私を、私の側を選んで──」

『世界は、均衡が保たれなければなりません。一つ増えたモノは一つ減らさないと』


 虚空を見上げる。ならば、彼は本当にこの世界に【使われる】為に呼び出され、不要になったから追われたのか。

 そんな……そんな事……。


『貴方も善く導いてくれました。貴方の国には実りが多くもたらされるでしょう』

「待ってください、まだ話しは終わって──」


 どれだけ呼び掛けても、声はもう響く事はなかった。





 心にろを抱えたまま国に戻ると、名誉騎士の叙任式やらが待ち構えていた。

 王や騎士たち、人々は朗らかに笑い、色の戻った世界は鮮やかな喜びに包まれていた。


 暗い表情のままの私を気遣い、友が声を掛ける。

「良かったじゃないか。無事役目を果たせて」

「……」

「お前だって言っていたじゃないか。異邦人を接待するために顔だけで選ばれるのは御免だって。上手くやったな。たった三日間の辛抱だったじゃないか」

「……あぁ、言ったな。確かに……言った」


【世界が赤に染まりし時、異なる世界より招いた異邦人によって、再生の灯火ともしびが点けられるであろう】


 古くから伝承に残されていた碑文に従い、召喚の儀式が執り行われる。


 その招いた異邦人に快く働いてもらうために……儀式の際には見目麗しい騎士たちが選ばれた。

 護衛の腕ではなく顔で。

 そう役目を告げられた時、確かに友人に愚痴を吐いたのは事実だ。私はそんな事のために剣技を磨いた訳じゃないと。


 招かれる異邦人は女性の場合が多い。

 その為に……召喚の儀式にてそばに侍るのは男の騎士の方が多いのは確かだ。


 だが、召還されたのは小さな少年だった。


あんな……あんな不安そうな子どもに世界を救えと。

 いきなり元の世界から呼び出して、しかも見知らぬ世界を救えと言わないといけないなんて。

 最初は……罪悪感を強く感じた。


 優しく接すれば、あまりにも素直に言うことを聞いて。

 見知らぬ赤い世界に不安はあったのだろう。

 なのに、それよりもこの世界を救いたいと願ってくれて。

 いきなり呼び出して、訳もわからず旅に送り出されて、赤い魔物の闊歩する世界を巡るなんて。

 それも、争いの少ない世界から来た本当に本当にごく普通の少年が、使命なんて大義を背負わされて。

 ……どれほど過酷な事を要求していることだろう。


 なのに貴方は怯えを隠し、慣れぬ旅でこさえた足の豆を潰し、純粋無垢なる情愛をこちらに寄越して。

 この世界は、彼にどう償えるだろう。

 その優しさに、勇気に、何をもって示せばいい。


 私は……私は……彼にどう償えるだろうか。




 薪の付け方さえわからない彼と火を囲んだ夜。寒いだろうと毛布にくるめばあまりにも小柄で腕の中にすっぽりと収まった。


「僕、両親から……嫌われていて……どんくさいから学校でいじめにもあっていて……その……」

「お辛い状況でしたね」

「あの……だから……裏の雑木林で泣いていたら、いきなりここに呼び出されて、吃驚したけど嬉しかったんだ」

「そう……でしたか」

「僕は、この世界なら必要としてもらえるって。ねぇ、ラスター。僕は、ここでなら“必要”とされるよね?」

 胸が、締め付けられる。

 唇を噛みしめ、やるせなさに叫び出しそうな想いを殺してから言葉にする。

「……ええ。もちろんです。貴方様が必要です」

「本当? 本当に? 僕はここにいていいの? ……ラスターの隣にいていいの?」

「……もちろんです」

 迷子の仔兎のように不安そうに呟く少年の身を抱き締める。

 傷つき、不安そうに見上げる彼を、強く強く抱き締める。

 違うんだ、世界は君が思うよりもずっと打算的で。君の善意を利用して。醜く汚い、この赤に染まる世界ほどに救いはないんだ。


 君がそんな世界のために必死になる価値なんてない。


 あぁ、どうか、どうか世界を統べる者達よ。

 こんなにも愛しく優しい彼に祝福を。

 こんなにも寂しく傷ついた彼にさいわいを。


「一生僕の騎士でいてくれる?」

 貴方が、それを望んでくれるのなら。


「もちろんです。世界を救う救世主、私のすべては御身のために」

 私か貴方に捧げることができるすべてを。


 この優しくて寂しい少年を守ることができるのなら。





 なんて、生涯を捧げる誓いを立てたのに……。


 この世界は彼を、使い終わったのだと放り出したのだ。





「待てよ! ラスター! どこへ行く!」

「世界の境界へ」

「爵位だって、地位も富もなんだって放り出して何しに行くんだ!!」

「彼を呼び戻す」

「貧相なガキじゃないか! なんでお前がそこまでするんだ!!」

 そこまでだって? 何もかも知らないくせに。ただの道具としてしか見ていない癖に。


「私は、約束した。必ず、あの方の側にいると」


 友の制止を振り切って、馬を駆ける。


 あの方と辿った道を、今度は一人きりで。


「大樹の精霊よ! どうすれば良い! どうすればあの方を再びこの世界に招くことができる!!」

『……芽生えた森の息吹を燃やす者は誰かと思えば。……愚かな事を』

「あの方を呼び寄せる方法を教えろ!!」

『この世界に一つは多い。けれども、私の願いを100叶えれば、あの子の側に行く方法を教えてあげましょう』

「……っ。方法があるのだな。わかった。条件を飲もう」



 大樹の精霊が願った事は途方もないものだった。

 恐ろしき魔獣を殺し、いにしえの異物を集め、世界を軋ませ歪ませる事象を一つ一つ解決していった。




 全ての願いを叶え終わった時、彼と別れてから数十年の月日が流れていた。


「大樹の精霊よ、全て叶えたぞ」

『ははっまさか全てを叶えるとは』

「約束を守れ」

『たった刹那の出会いのためにここまでするとは。ふふっ人間というのは面白いですね』

「さぁ、早く。……あまりにも、あまりにも時間が掛かりすぎてしまった……」


 もしかしたら、もしかしたら大人になった彼は、もうあの頃の事を覚えていないのかもしれない。

 それでも、それでも私は……。


『一つは多い。けれとも一つは減らせることができます。貴方の命を捧げ、肉体をここで捨てるならば、彼方かなたの世界の神に貴方の魂を預けましょう』

「…………」

『彼方の神も、貴方達にとても興味を持っています。彼方の世界でも、貴方は何度も何度も生まれ変わり、あの子の近くに産まれるでしょう』

「それは、確かか」

『ええ。ふふっ。虫けらに生まれ変わり、あの子に踏まれるかしら。小さな生き物として、食べられるかしら。ふふ、あははっ産まれても産まれても、あの子に気付かれない、そんな生を得るかも知れないわね』

「…………」


 世界はずっと打算的で、醜く汚い。

 この世界に……救いはない。


 けれども、けれども一目、君を見れたら。

 ほんの少しでも、君の側に行けるのなら。


 その為なら私は……。


「胸を貫けば良いのか」

『それでも良いと言うのですか?』

「一生出会えないこの世界から、彼のいる世界に行けるのならば」

『……約束しましよう。貴方の魂を彼方の世界へ』



 私は目をつぶり、胸を剣で貫いた。





 意識が消える瞬間、大樹の精霊の囁きが聞こえた。


『彼方の世界の神が、貴方達の絆を見続けたら、もしかしたら……』



 ──いつかは同じ生き物に成れるかもしれないわね。





 










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