伝達ツールの奴隷たち

里塚

伝達ツールの奴隷たち

 2080年夏、最後の戦争が終結したと同時に、この地球上において言葉を使用する者はいなくなった。言葉は伝えるのに時間を要するうえに誤解も生みやすい最悪のツールだ、と、そんな言説が流行ってしまったがために世界中で言葉狩りが行われた結果、ついに言葉は絶滅してしまったのだ。


 代わりに人類は情報を直接相手の脳に届ける装置、テレパスを使用するようになった。見つめるだけで伝わる真意。離れていていてもIDを合わせれば会話一時間分の情報を一瞬で伝えられる脅威の利便性。文字などという無機質なものではなく、映像や匂いや質感をリアルタイムに届けてみせるのだから、老若男女全人類、使わない手はなかった。


 そういうわけで、より具体的な情景をイメージできることが頭の良さの条件となり、相手を脳髄から快楽の虜にすることがモテる条件となった22世紀初頭。空想に割く時間が増えたことにより人類の運動能力は著しく低下し、平均体重の激増から独身者の増加まで世界は様変わりしたものの、人類の頭のなかでは依然として、着飾った美男美女が綺麗な町を練り歩き、醜い有象無象を成敗するような空想が繰り広げられてあった。


 そんな折、突如としてテレパスが使用できなくなった。全世界のテレパスネットワークが予備回線ごと停止してしまったのだ。修復するには世界中にある中継拠点を点検しなければならない。しかし伝える力を失った人類にそんな芸当ができるわけもなく、その日を境に、人類は旧石器時代ばりのコミュニケーションを求められることとなったのだ。


 すべてをひとりでやらないといけない時代の到来である。それまでの文明的な生活は一週間も保たずに崩壊し、電気ガス水道が無くなった都市部では毎日のように略奪が横行するようになった。また、意思疎通の手段が鳴き声しかなくなってしまったことにより、薄い繋がりのコミュニティは軒並み崩壊。至るところで婦女暴行や殺人が多発し、瞬く間に世界は地獄となった。


 しかし不幸中の幸いといったところか、戦争や虐殺といった類のものは起こらず、人類はしぶとく生き残った。洋服を繕い自転車を自作できる元ホームレスが重宝され、顔と声の良い男女が人を束ねるようになり、小規模ながらも繋がりの深いコミュニティが山間部に形成されるようになった。コミュニケーションツールとしては声のほかにも絵や楽器が使用されるようになり、人々は音楽と視覚情報をもって交流し、コミュニティの規模を大きくしていった。次いで原始的ではあるが交換経済も発生した。そして伝わりやすい音楽を作れてかつ、上手な絵も描けることが頭の良さの条件となった23世紀初頭。人類は荒廃した都市の遺構から言葉なるものを発掘した。


 同時多発的に発掘されたその言葉なる概念は瞬く間に広範へと普及していった。伝えるのに時間を要さず、詳細かつ正確に相手の意図を理解できる奇跡のツール。いつしか世界中のコミュニティは言葉を使える者たちによって回るようになっていき、音楽と絵画は徐々に人々の頭からその存在を消していった。


 そして2280年、夏。巨大な戦争が発生した。言葉を使う者と言葉を使わない者の間で勃発したその戦争は熾烈を極めたのち、言葉を使う者の勝利で幕を閉じた。以降、この地球上において音楽と絵画を使用する者はいなくなった。音楽と絵画は伝えるのに時間を要するうえに誤解も生みやすい最悪のツールだ、と、そんな言説が主流となってしまったがために、ついに音楽と絵画は絶滅してしまったのだ。


 言葉をたくさん知っていることが頭の良さの条件となった24世紀初頭。そこには絵も見ず音楽も聞かず、ひたすらに労働に打ち込み、休憩時間中は脳を保護する優しい言葉だけを読み漁るという一日を過ごす、煤けた背中の人類たちの姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

伝達ツールの奴隷たち 里塚 @hontohonto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ