遊宴の裏側で
五宮神社を出た後、樂は
大通りは、本来車道である場所にまで人が溢れている。そのため祭りの間、夜は通行止めとなっている。
去年までの月見の宴でも、露店を見て回ることはあったが、それはどちらかというと見回りが大きな目的であって、樂が純粋に露店で遊ぶのは、ずいぶん久しぶりのことだった。特に、卯月神社に神使が増えてきてからというもの、卯月神社の神使の中では古参の樂は、自然、他の神使のとりまとめに回ることが多くなり、こうした催し事のときにも、仕事を離れて遊ぶことはなくなっていた。と言うよりも、そうすることに罪悪感を覚えるようになっていた。
今も、見回りと言いつつ遊んでいることに、後ろめたい気持ちがないわけではない。とはいえ今目の前で射的に興じている丙も庚も、見回りをないがしろにしてはいない。
――多少見回りに時間がかかるのは仕方がありませんが、帰りはあまり遅くならないように。
千草もああ言ったあたり、この双子が見回りを口実に夜店で遊ぶであろうことは想定しているのだろう。
ちなみに三人とも、今は浴衣姿である。神社を出るときは神使の装束姿だったのだが、いくら祭りでもそれでは目立つから、と、神通力で見た目だけ繕ったのである。丙と庚はそれに加えて、顕形符で姿を人前に現している。
一発ごとに当たった外れたときゃっきゃしている二人は、どう見ても人間の子供である。これでも自分のほうが年下なのだが、どこに差があるのだろうか。
「兄ちゃんもやるかい?」
「……え、」
ぼんやりと、とりとめのないことを考えていた樂は、露店の店主から声をかけられ、はたと我にかえった。
三段の射的台には、玩具や菓子の詰め合わせが並んでいる。一番上の段には景品のかわりに、番号が描かれた木札が並んでいる。
「樂もやれば?」
「……えっと、じゃあ、一回」
一回で五発。代金を払い、コルク銃を取り上げる。いつも使っている得物――日本刀――よりは軽い。
特に何を当てようというこだわりもなく、銃口を一番上の真ん中に置かれた三番の札――すでに何度か狙われたのか、他の札よりは傾いている――に向ける。
狙いを定め、引鉄を引く。ぽん、と軽い音とともに、銃口から飛び出したコルク弾は、狙った木札の端をかすめた。
外れ、外れ、当たり。
四発目が当たった木札は、ぐらり、と大きく揺らいだ。
そして、五発目。
慎重に、狙いを定めて放ったコルク弾が、木札に当たる。
ぱたり、と木札が倒れた。
「大当たりぃ」
店主がにっと笑い、裏手から景品を持ってくる。
「……」
「あっははははは!」
それを見て、樂が途方に暮れたような顔になり、丙と庚が笑い転げる。
「いや、えー……」
樂に手渡されたのは、小さな子供くらいはありそうな熊のぬいぐるみだった。
「えー……どうするんだよこれ……」
「卯月様にでもあげれば?」
「いやいや……卯月様も困るだろ、これ」
くい、と、袴の裾が引かれる。
「ん?」
首を傾けて見下ろすと、裾を一羽のカラスが嘴でくわえて引っ張っていた。
どうやっても視界にぬいぐるみが入るのは諦め、首を曲げながら視線を上げる。
樂の目の先には、十歳くらいの、青藤色に赤紫色の混じったショートヘアの少女が立っている。
「ああ、鴉か」
ラベンダー畑の鴉。卯月神社の神使の一人であり、樂にとっては最も付き合いが長い神使である。目こそいつものように閉じられているが、その顔はぬいぐるみに釘付けになっている。
「……あー。これ、いるか?」
こくこくと、ラベンダー畑の鴉がうなずく。
「じゃあ……っと、そうだな。これから卯月神社に戻るから、部屋に置いておくよ。適当なときに持っていってくれ……って、あー、そうだな、部屋の前にでも置いておいたらいいか?」
もう一度こっくりうなずいて、少女がぱたぱたと駆けていく。
「そういうわけだから、俺は神社に戻る」
「じゃあ行くー」
「見回りだもんな!」
「……それ口実に遊びたいだけだろ」
へへー、と双子がそろって笑う。笑った顔も、そのタイミングも、示し合わせたかのようにぴったりそろっていた。
卯月神社に戻り、ラベンダー畑の鴉の部屋の前にぬいぐるみを置く。
夜店からついてきていたカラスが、そのそばにちょこんと座をしめた。
これなら誰かが持っていくこともないだろう、と安心して、樂はその場を離れた。
卯月神社から月葉神社へ、三人で夜店を巡りながら町を歩く。
月葉神社から聞こえてくる祭囃子の音は段々と大きくなり、月葉神社の前に来たときには、五宮神社ほどのにぎわいではないにせよ、人々が境内に集まり、祭りを楽しんでいるのが見えた。
その雰囲気のせいか、樂も、ともすれば見回りのことがつい意識から離れるくらいには楽しんでいたのだが。
「うわ、妖かよ、最悪」
「だよなあ、せっかく祭りでいい気分になってたってのに」
前からやってきた紺色の袴姿の二人組が、樂を見て聞こえよがしに声を投げる。頭の耳とぴんと伸びた尻尾から判断するに、どちらも犬の神使だろうか。
この程度の悪口なら慣れているとはいえ、言われる側としては、当然気持ちのいいものではない。わずかに顔をしかめた樂の傍で、丙と庚がきっと二人を睨む。
「誰かと思ったら、
「妖だからって何が悪いんだよ。こいつはちゃんとした神使だぞ」
「うわあ、妖びいきが何か言ってら」
「千草様にひいきされてると思って……お前ら、五宮の神使って自覚ないの?」
「俺たち千草様の神使だし」
「妖の神使と仲良くしたって、千草様は別に怒ったりしないし」
ふん、と一人が鼻で笑い、樂にその矛先を向ける。
「その妖はずいぶん大人しいんだな」
「知ってるぞ。卯月神社の妖神使なんて、弱っちいやつばっかりなんだろ? ちょっと叩いたぐらいで倒せるような、さ」
「えー、笑える。じゃあそこの神様だって、どうせよわーいやつなんだろうな! うちみたいな由緒正しい神社の神様には敵わないような――」
「――もう一回言ってみろ」
それまで黙っていた樂の口から、冷えきった、低い声が落ちた。
腰に手を伸ばしかけて、刀がないことを思い出す。人目に触れる以上、刀を持ってくるわけにいかなかったのだ。
小さく舌打ちを漏らし、右手の甲に深々と歯を食いこませる。傷口から流れ出た血が、一振りの刀を形作る。
痛みは、まるで感じなかった。
刀と共に、怒気を通り越した、本気の殺気が、眼前の二人へ向けられる。
「ちょ、樂、待てって」
「さすがにそれはまずいって」
「何だ? やろうってのか?」
「どうせ態度だけだろー? やれるもんなら――」
「止めないか!」
一触即発の空気を破ったのは、異変を察して飛び出してきた月葉の一喝だった。
二人へ刀を向けたまま、樂がちらりと月葉を見る。
「樂、それを下ろすんだ」
ぎり、と歯を噛んで、それでも月葉に二度同じことを言わせることもなく、樂が刃先を下ろした。しかしその間も、彼の赤い目は、憤怒の色をたたえて二人組を睨みつけていた。
「まずそっちの二人。どこの神使だろうと、他の神使の悪口なんか言うもんじゃない。それは、その相手を神使に任じた祭神すら罵倒しているのと同じことだ。それから樂、腹が立ったのはわかるけど、手を上げるのはいけない」
そのとき、ころころと、鈴を転がすような、しかしどこか歪んだ笑い声が、月葉の言葉に続いた。
「ふふ。いいじゃありませんか。そこの二人は、私の神使に言いたいことがあるんでしょう? 言ってごらんなさいな」
夜闇の中から、衣擦れの音を立てて卯月が現れる。
瞬間、その場の空気が凍りついた。
樂からは、それまでの殺気が嘘のように一瞬で消え失せ、丙と庚にいたっては、卯月を見た途端、樂の後ろに隠れて震えあがっていた。
卯月の顔に血の気はなく、普段ならまとめられている髪は、さらりと広がっていた。心なしか、普段より髪が長い気さえする。
何よりも、今の卯月が放つ神気は、普段とまるで違っていた。
(これは……)
ちりちりと、樂の頭の奥で何かが疼く。
自分は、この存在を知っている。それが、怖ろしいものだと知っている。放っておいてはならないものだと知っている。
感情のうかがえない卯月の金の瞳が、じっと余計なことを言った二人組を見つめる。
「どうしました、言えないのですか? さっきはずいぶんと、威勢のいいことを言っていたではないですか」
「い、いえその……それは……」
「卯月神社の来歴も知らず、五宮神社との関わりも知らず、加えて言ってもよいことと悪いことがわからぬような頭なら、首の上に乗せておくだけ無駄というものです。それではただいたずらに重いだけですから、ええ、その首、軽くしてあげましょうか」
卯月が、つっと唇を吊り上げる。笑み、と言うにはその顔はあまりにも冷たく、そして歪んでいた。
「卯月」
顔を強ばらせ、冷汗さえ浮かべて、それでも月葉が卯月の前に立つ。
「卯月、僕の神社の真っ正面で、物騒な真似は止めてくれるかな」
卯月が、その視線を月葉に向ける。
月葉はいよいよ顔を強ばらせ、いくらか青ざめたものの、その場からどこうとはしなかった。
一瞬、二瞬……。
「……そうですね。月葉様に免じて、今は退くとしましょう。ですが、次はありません。その鈍い頭に、よく叩きこんでおきなさい」
卯月が二人組へ向けて、去れ、とでも言いたげにさっと手をふる。
直後、着物ばかりでなく下着までも断ち切られた二人が、腰を抜かしてへなへなとへたりこんだ。
「着物くらいは繕えるだろう。いつまでもそうしていないで、早くお帰り。今日のことは、五宮にも伝えておくから」
月葉が声もなく震える二人へ向けて、冷たい声でそう告げる。二人の顔が、よりいっそう青くなった。
その後、どうにか、かろうじてまとえる程度に着物を直し、二人がよろよろと五宮神社の方向へ歩いていくのを見ながら、月葉が懐から白い紙を取り出す。
何事か呟くと、白い鳥に変じた紙は、そのまま五宮神社へ飛んでいった。
「さて、と。卯月、ちょっとうちで休んでいかないか」
「……そうですね。甘えさせていただきます。そうそう、樂。常磐様は何かおっしゃっていましたか?」
「はい、『それで良いのか』とだけ」
「……そうですか」
その後に、目を伏せた卯月は何か呟いたらしかったが、樂にはその内容までは聞こえなかった。
「私も帰りが遅くなるでしょうし、あなたもたまには遊んでいらっしゃい」
いくらかいつもの調子に戻ったように、卯月がにこにこと言葉を続ける。樂の後ろからひょっこりと顔を出した丙と庚を認め、卯月はくすくすと笑った。
「ああ、そっちの三人もおいで。樂は傷の手当をしなきゃならないだろう?」
お菓子もあるよ、と付け足した月葉に、はーい、と早くも調子を取り戻した双子が声をそろえた。
そのしばらく後。
「月葉様」
卯月が帰るのを見送っていた月葉へ、葛がそっと声を投げる。
「あ、葛。何かあった?」
「いえ、そうではなく……卯月様、大丈夫なのですか?」
眉のあたりを曇らせた葛は、どことなく不安げである。
「まあ、今は落ち着いてるみたいだよ。それにあれはあの二人が悪い。五宮の神使、なんて立場、卯月には通じないしね」
(どうやら、本当に余裕がなさそうだ)
葛に、強いて笑んで答えつつも、月葉は内心そう独りごちていた。
それでも説得が通じたぶん、まだ踏みとどまってはいるのだろう。断崖絶壁の上で綱渡りをするような状態ではあろうが、祟り神としての側面がもう少し強く出ていたのなら、あの二人は間違いなくその生命を奪われていただろう。卯月の怒りを買った、その報いで。
どこの神使であろうが、卯月がそこを区別することはない。良く言えば平等、悪く言えば無慈悲。それが卯月だ。
早晩、あの卯月は保たなくなる。そのときに、選択を強いられるのは……。
「葛」
「はい」
「これからも、樂と仲良くしてあげなね」
「月葉様?」
きょとんと目をしばたたく葛へ、月葉はにこりと笑いかけた。
どういう意味かと問う葛には、それを答えることはなく。
うつろいの社 番外編 文月 郁 @Iku_Humi
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