年始騒動 始末

 遠くで鈴の音ががらがらと鳴っている。

 額に触れた冷たい布の感覚に、うっすらと目を開ける。

「あ、気が付かれましたね」

「……卯月?」

 そうですよ、とうなずいて、卯月は白湯を差し出した。

 のろのろと身体を起こして白湯を受け取り、一口すする。身体が元に戻っていないかとわずかに期待したがそんなことはなく、身体は小さいままだった。

「怪我は治していますけれど、気分はいかがですか、竜胆様?」

「……わかる、のか」

 竜胆の言葉に、卯月はころころと、鈴を転がすような声で笑った。

「わからないでどうします。いえ、状況はまるで呑みこめていないのですけれど。いったい何があったのです?」

「……俺が知りたい」

 すっと竜胆が目を伏せる。

「呪詛の類かとも思ったんだが、そのあたりは?」

「特にそのような痕跡はありませんでしたが……。とりあえず昨日あったことで、何か普段と違うことはございましたか? 普段されないようなことをされたとか」

「ん、そうだな……。夕方に銀華を少し叱った、くらいか。朝に転んで汁物をひっくり返して、夕方にも転んで茶をひっくり返したから、足元に気を付けろ、と」

「他に心当たりはございますか? あとは……いつもは召し上がらないようなものを召し上がったようなことは?」

「他の心当たりか……。昨日はやけに早く酔いが回ったくらいしか……普段は潰れないんだが」

「お酒の用意はご自分で?」

「いや、銀華が持ってきてくれたんだ。俺が好きそうな菓子があったから、と」

「……言い辛いんですが、そのお酒か菓子に何か間違いがあった、とか?」

 ああ、と竜胆が半ば吐息混じりに声を漏らす。

「まあ、俺は嫌われているんだし、誰かが何かやったとしてもおかしくはない」

「竜胆様が? 嫌われていらっしゃるとも思えませんけれど」

 いや、と竜胆は小さく首をふった。

「顔を見るなり逃げていく者もいるし、逃げずとも顔を見れば怯える者もいる。……他の者も、良くは思っていないだろう。俺のような者が祭神など」

「常々不思議だったのですが、竜胆様。五宮の祭神として立派につとめを果たしておられるあなたが、どうしてそこまで自分を卑下されるのです」

「……事実、だろう。分家筆頭ならともかく、傍流の、それも末席の家の子供が、力があるからと祭神の候補に選ばれたのだ。よく思わない者も多かろう」

「まさか、そのような……。私は詳しくありませんが、そもそもある程度の神通力を持つことが、五宮の祭神となる条件だと伺ったことはございます。家格がどうであれ、その条件を満たしているのなら、快く思わないのは逆恨みというものではありませんか」

「仮に逆恨みだったとしても、俺が目障りなのは事実だろう。それに五宮の神使にしても、俺をよく思ってはいないだろう。あそこで一番嫌われているのは俺なのだろうし」

 ずっと、胸の奥に押しこめていた言葉が、堰を切ったように次々とこぼれ落ちる。

「俺が言うことはいつも厄介事の火種になる。あの人のときもそうだった。あの人は俺によくしてくれたのに、感謝をしていたのに……それを仇で返すようなことをしてしまった」

 卯月が眉を寄せる。

 竜胆がここまで感情的に内心を吐露するのは、それなりに長い付き合いの卯月にも経験がないことだった。

「卯月様、よろしいですか」

「樂、どうしました?」

「朱華様がいらっしゃっているんですが、どうお伝えしましょうか」

 朱華、と聞いて、竜胆がびくりと肩を震わせる。

「わかりました。すぐに行く、と伝えてください」


 朱華は本殿の前に立っていた。卯月を見つけ、ひらひらと手をふる。

 簡単に挨拶をし、卯月が小首をかしげる。

「お一人ですか?」

「そうだよ」

 本当は竜胆の神使である銀華もつれてくるつもりだった朱華だが、今の竜胆に会わせるのはよくないだろうということと、竜胆が五宮神社のどこかにいるか、あるいは何事もなくふらりと帰ってくる可能性を考え、銀華は五宮神社で竜胆の帰りを待たせている。

「卯月、竜胆はいるかい?」

「……ここでは何ですし、部屋に来ていただけますか?」

 自室に朱華を招き、卯月は普段の微笑を消して彼女と向かいあった。

「正直に言って、私はまだ状況が呑みこめていないのですが、一体そちらで何があったのですか?」

「どうも神使が粗相をしたらしくてね。竜胆がそのとばっちりを受けたらしいんだけど、あたしもそこまではっきりしたことは知らないよ。……ところで、竜胆はここにいると思っていいんだね?」

「……いらっしゃることはいらっしゃるんですが、少し取り乱しておられるようで」

「おや。……たぶんまた何か悩んでるんだろうね。あいつ、気にしてないように見えるけど、あれで結構溜めるほうだから。それで頼みがあるんだけどさ、竜胆のいるところまで案内してくれないかい?」

「それは……」

「部屋には入らないよ。少なくとも、あいつが言わないかぎりはね」

「そうですね。私より朱華様のほうがよろしいでしょうし」

 部屋の前まで朱華を案内する。

「竜胆、いるんだろ? 入っていいかい?」

 朱華が穏やかに声をかけ、襖に手をかけた途端。

「入るな!」

 悲鳴にも似た声が、響いた。

「そう。卯月、あんたの神社でこんなことを言うのも悪いんだけど、しばらく外していてくれるかい?」

「わかりました。部屋にいますから、何かあれば呼んでください」

 さらさらと衣擦れの音を後に引いて、卯月がその場を立ち去る。その姿が見えなくなってから、朱華は襖にもたれかかるようにして座った。

「あたしがここにいるのも駄目かい、無人なきと?」

 襖の向こうで、膝を抱えた竜胆が一瞬動きを止める。

 しばらくの沈黙の後、

「……いるのは、いい」

 小さな声が返ってきた。

「そっか。今度は誰に何を言われたの?」

「誰も。でも皆、俺を嫌ってるんだ。それくらいは知ってるよ」

「あたしは嫌ってないよ?」

「……でも俺は末席の子供で、あの人に受けた恩も仇で返すようなやつなんだ。そう聞いたら、お前だって俺を嫌になるだろ」

「あんたは自分を嫌ってほしいの、無人なきと? でもあたしは嫌いにはならないけどね。だって全部、あんたのせいでもなんでもない。それにね、無人なきと。あんたが優しいのも、あたしはよく知ってるよ」

 沈黙。

無人なきと、そっちに行ってもいい?」

 かすかに鼻を鳴らす音。

「……うん」

 小さな声が、返ってきた。


 しばらくの後、朱華が卯月の部屋に戻ってきた。

「竜胆のことだけどね、悪いけど戻るまで置いてやってくれないかい?」

「かまいませんけれど、竜胆様は大丈夫なのですか?」

「うん、今は落ち着いてる。あの様子なら大丈夫そうだね」

「それならよろしいのですけれど。だいぶ、追い詰められていらっしゃるようでしたから」

「昔、あいつは色々とあったからねえ。ああ、そうそう。今は竜胆は実家に帰省中ってことにしてあるから、そういうことにしておいてね」

「ええ、わかりました」

 微笑して、卯月は小さくうなずいた。



 竜胆が元に戻ったのは、正月三日の夕方ごろだった。

「面倒をかけたな、卯月」

「いえ、お気になさらず。お気をつけて」

 卯月に見送られて鳥居をくぐり、五宮神社への道を歩く。

 しばらく歩き、五宮神社の鳥居が見えてきたころ。

「竜胆様!」

 耳に届いた声に、少しうつむけていた顔をあげる。

「銀華」

 夕日を浴びて、名前の通りの銀髪が橙色に見えた。

 じわりと銀華の栗色の目に涙が浮かぶ。

「……悪かった。心配かけたな」

「ちが、違うんです、あの、私が――」

「話があるなら、部屋で聞く」

 はい、と銀華が肩を落とす。

 しばらくして、竜胆は自室で銀華と差し向かいに座っていた。

 熱い茶を飲みながら、泣きじゃくる銀華から話を聞く。

「――そういうことか。事情はわかったから、泣かなくていい」

「だ、だって……叱られた意趣返しをしたみたいで……」

「その気がないのはわかっている。酒も菓子も、俺の好きなものだっただろう」

 え、と銀華が顔をあげる。目の前に座る竜胆は、いつもの仏頂面をいくぶんやわらげていた。

「色々と面倒をかけたな。そろそろ年始の対応も落ち着くだろうし、三日ほど休むといい」

 優しい声。はい、と答えた銀華が、再びぼろぼろと涙をこぼす。

「銀華?」

「ご、ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい」

 眉を下げた竜胆が、ぎこちなく銀華の頭を撫でる。

「ほら、泣かなくていいから」

 こくこくとうなずきながらも、銀華の涙はなかなか止まらなかった。

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