年始騒動 支度
頭ががんがんと痛んで、竜胆は目を覚ました。
ひどく喉が渇く。どうやら酔い潰れて眠っていたらしい。
ちゃぶ台の上には、まだ酒が半分ほど入っている徳利と、つまみの豆菓子が入っていた小皿が並んでいる。
昨晩寝酒はやったが、ここまでひどく酒が残るほど飲んだ覚えはない。そもそも竜胆は酒には強いほうなのだ。徳利に半分ほどで酔い潰れることなど、普段はまずない。
(何が……?)
記憶をたどっても、潰れるような心当たりはない。
痛む頭を抱えて立ち上がり、竜胆はぴたりと動きを止めた。
やけに視点が低い。まるで子供の目線のようだ。
ずるずると寝巻きを引きずりながら、部屋の姿見に自分を映し――竜胆は息を呑んで凍りついた。
鏡の中からこちらを見ていたのは、紛れもなく幼いころの自分だった。
しばらく呆然と鏡を見ていた竜胆だったが、やがてどうにか自分を取り戻した。
とにもかくにも、今のこの姿を誰かに見られるわけにはいかない。
年始早々、しかもこれから初詣の対応で忙しくなるときに余計な厄介事を持ちこみたくない、というのもあるが、単純に竜胆が今の状態を他人に知られたくなかったのだ。特に、五宮の祭神や神使には。
寝巻きを身体に巻き付けた竜胆は雨戸を開け、外へ滑り出た。
人目を避け避け、五宮神社の物置、神使用の装束がしまわれている部屋に入り、着られそうな装束を見繕う。
そのとき。
「誰かいるんですかー?」
誰何の声。
頭に響く声に顔をしかめつつ、とっさに物陰に身を隠した竜胆は、声の主が自分の神使・
中に入って来るかと思ったが、入り口のあたりできょろきょろと部屋を見回していた銀華は、首を傾げて物置から去っていった。
ほっと胸を撫で下ろす。
足音が消えるまで待って着替えた竜胆は人目を忍びつつ物置を出、初詣の参詣者にまぎれながら神社を出た。
行き先はもう決まっている。この状況で竜胆が頼れるのは、朱華を除けば一人しかいない。そして朱華には頼りたくない今、その相手以外に頼れる者はない。
一歩一歩、足を踏み出す度に頭に走る痛みを顔をしかめてこらえながら、竜胆は卯月神社へ向けて走り出した。
「竜胆がいない?」
慌てた様子の銀華から報告を受け、朱華は怪訝な顔で銀華を見返した。
「竜胆のことだし、見回りにでも行ってるんじゃないのかい?」
「いえ、私は何も聞いていないです。それに部屋の様子が、どうもおかしくて……」
状況が呑みこめず、どういうことかと訝しげな朱華は、銀華に案内されるまま竜胆の部屋を訪れ、半分開いた雨戸を見ていよいよ眉根を寄せた。
「何も言わずにどこかへ行きはしないだろうに……」
「それと、朱華様、先程物置で妙な物音を聞いたんです」
「物音? ああ、ちょうどよかった。千草、ちょっと」
そばを通りがかった千草は、朱華に呼び止められ、どうかしましたか、と足を止めた。
「竜胆を見ていないかい?」
「いえ、私は見ていませんが……貴方達は?」
連れていた丙と庚も、千草に聞かれて同時に首を横にふる。
「それで銀華が、物置で変な音を聞いたって言うんでね、ちょっと見てきてくれないかい?」
「ええ、わかりました」
部屋は雨戸が開いていることをのぞけば、特に変わったところはない。
がらんとした物の少ない部屋。最近修繕が終わったばかりの太刀が部屋の片隅に置いてある。
「ふむ……まあしばらく様子を見ようじゃないか。案外見回りにでも行ってるだけで――」
そのとき、ちゃぶ台の上の小皿を見た銀華が、喉の奥であっと声を立てた。
「銀華?」
「ちょ、ちょっと失礼します!」
血相を変え、ばたばたと飛び出していった銀華に、朱華は目をぱちくりさせていた。
「朱華様」
物置を見に行っていた千草が、難しい顔で戻ってくる。
「これ、竜胆様のものではありませんか?」
千草が手にしていたのは、草色の寝巻きであった。
「そうだね。物置にあったのかい?」
「ええ、隅のほうに隠すように。それと朱華様、丙が神使の装束が一着足りないと言うんです。昨日は確かに棚に五着積んであったのが四着しかないと。それに積んでいた装束がずいぶん崩れていまして……誰かに引っ張られたようで。新しい神使が入ったという報告は聞いていませんが、朱華様は何かお聞きですか?」
「何にも聞いてないけどねえ……」
朱華が首をひねっていると、戻ってきた銀華があの、と声をかける。
「銀華、なにかわかったかい?」
「その……」
言いさした銀華が、言葉を詰まらせて泣き出した。
「……つまり、調合に失敗して処分予定だった丸薬と菓子とを、昨晩酒を運んでいったときに、間違って竜胆様に供してしまった、と?」
その後、泣きじゃくる銀華からどうにか話を聞き出し、呆れかえった千草がため息をついた。
「全く――何をやっているんですか、貴方は」
「まあまあ、千草。それでその丸薬、効果としては身体の幼児化、だけでいいのかい?」
「おそらく……すみません、はっきりと言えなくて……」
「ふむ……千草、悪いけど年始の対応、今年はあんたに任せるよ。何、毎年同じことをやってるんだし、勝手はわかるだろ。なにか特別なことをするわけじゃないし、もし何かあったらあたしの神使に聞いてもいいし、こっちの手が空いたらあたしも対応に回るしさ」
「わ、わかりました。朱華様は?」
「この子と竜胆探しやら根回しやら、ね。下手にあいつ探すのに人数割かないほうがいいだろうし」
「しかし、それでは……」
「下手に人数割くと、本来の仕事が滞るでしょ。三が日は忙しいんだし。それにあいつ、あれで結構意地っ張りだから、下手に同情されるのも注目されるのも嫌いだしね。あたしのとこに来てないんだから、竜胆が行くとしたらまあ……卯月のところだろうね」
さすがに付き合いの長い朱華は落ち着いている。
「なら卯月に聞きに行けば、竜胆様の居所はわかるわけですね」
「そうだね。こっちで根回ししてから聞きに行ってみるよ。爺さん婆さんにも竜胆は実家から呼ばれて一旦帰ってるって言っておかないといけないしね」
笑ってそう言った朱華は、おいで、と銀華に促して立ち上がった。
子供の身体は、案外不便だ。
肩で息をしながら、そう胸の内で独りごちる。
五宮神社から走りとおし、とうとう息を切らして足を止めた竜胆の眼前に、ぞろりと数匹の妖怪が現れる。
妖怪はきいきいと甲高い、笑うような声を立てた。
反射的に腰に手を当て、今の状態を思い出して舌打ちをする。せめて短刀の一本でも持ってくるべきだった。
(逃げ――)
踵をかえそうとして、さっと背筋に悪寒が走る。
反射的に地面に伏せ、そのまま転がる。妖怪の爪が肩口をかすめた。
立ち上がろうとした途端、足に熱。一瞬おいて、熱が激痛に変わる。
膝をつくと同時に、今度は腕に痛みが走る。
明らかになぶられている。
きいきいと、周囲から声があがる。ひどく楽しげな声が耳を打つ。
ぎり、と歯を噛んだとき。
笑い声が、悲鳴に変わった。
「まったく、年明け早々、たちの悪いモノが出ましたね」
落ち着いた声とともに、薙刀が一閃された。まばたきひとつほどの時間で、妖怪は次々に霧散する。
狭まっていく視界に、朱い袴の人影が映った。
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