人身御供
四角く切り取られた光が、小屋の床に敷かれた茣蓙を照らす。
陽光が射し入ってくるとはいえ、季節は冬。加えて火の気のない小屋の中は、骨まで冷えるようだった。
小屋の中には白い着物の男が一人。男は着物と同様、その髪も肌も白かった。
「■■」
外から自分を呼ぶ声に、床に座って瞑目していた男はわずかに身じろいだ。
「なんだ?」
「本当に、妻子に会わなくていいのか? 儀式は明日だぞ」
気遣わしげな声の主は、男の親友だった。
会いたいと言えば、親友は妻子を連れてくるだろう。だが男は小さくうなずき、会わなくていい、と声に出した。
「会えば覚悟がにぶる。だから会わなくていい。……ただ、俺が死んだあと、彼らが暮らしに困らないようにしてくれ」
「ああ。大丈夫だ。心配するな」
親友の言葉にわずかに口元を緩め、男は再び目を閉じる。
昨日は白湯をもらっても寒くて仕方がなかったが、今日はもうその感覚も麻痺したものか、気温は昨日より低いにも関わらず、さほど寒いとは感じない。
明日、この地の祟り神を鎮める儀式が行われる。
三十年に一度の儀式で、贄とされたのが、この男だった。
本来は別の人間――男の兄の子――が贄となるはずだったが、一族の話し合いの席で兄の顔が歪んだのを見て、男は自ら身代わりを名乗り出たのだった。
もとより野良仕事も満足にできぬ蒲柳の質の自分が、ここまで生きられたのはきっと、贄となるために生きよという神の思し召しだったのだと、そう言って。
妻子に別れを告げ、贄となる者が儀式まで過ごす小屋に入ってからは、他人と接触することはほとんどなかった。
小屋の見張りには、村の若衆が交代で立つ。その見張りに親友が立つときだけ、男も短く言葉を交わした。
小屋で斎戒沐浴して身を清め、儀式の日を待つ。それが今の男の仕事だった。
近付く足音。親友が驚いたような声を漏らす。
「あなた」
少しかすれた、しかし凛とした、妻の声。
「……ここには来るな、と言ったはずだ」
「申しわけありません。……どうか、こちらをお持ちください」
小さな包みが、窓から差し入れられる。
包みを開き、息を呑む。
細いかんざしが一本。妻がいつも身につけていたものだ。
「……わかった」
顔を上げ、妻を見る。
赤く腫れた目。潤んだ瞳が、じっと男を見返した。
一言、一言、区切るように、唇を動かす。
妻が目を大きく見開いた。
親友がその肩を支え、そっと遠ざける。
包みを懐にしまい、男は再び茣蓙の上に座った。
山中の池のほとり。小さな祠の前に、額づく老女が一人。
「おばあちゃん、どうしてここにお参りするの?」
小さな孫が無邪気に訊ねる。
「ここにはね、お前のおじいさんが祀ってあるのよ」
村のために、自ら贄となった夫。
そのおかげで、戦の多い世の中でも、村は大きな災いに襲われることはなかった。
――好いている。この先も。
最後に囁かれた言葉は、その口調まではっきりと覚えている。
水面を渡ってきた涼風が、女の頬を優しく撫でた。
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