第2話

 ――「SNSに蒔かれた恐怖の種:世界崩壊の始まり」リンダ・ディクソン


 SNSという充分に肥えた土壌に、その小さな種が蒔かれたのは、必然的な時代の、社会の流れだった。

 自国第一主義を唱えることが時代遅れになりつつあったとき、熟しきった種子である自動翻訳システムが、ネットワーク上にオープンソースで置かれた。既に各国でAI用に膨大な言語データが蓄積され、また、AIによってさらに多くのデータが蓄積されていた状況にあって、翻訳の精度は飛躍的に上がり、スピードもほぼリアルタイムと呼んで差支えのない速さになっていた。

 南北朝鮮の統一、中国からのチベット、ウイグル、香港、台湾の完全な政治的脱却。東アジアでの大きな流れは、一気に世界公正主義を広めさせ、中国、旧北朝鮮の制限無きSNSへのアクセス権は、新たな平和な時代を照らす光になると見られていた。

「私の言葉が、全世界の仲間たちに歪んだフィルターを通さず、同時に伝えられる社会の進歩に感動を抑えきれない」

 女性初の米国大統領となったリンダ・ディクソンは、自身のフェイスブックとツイッターでそう発言した。

 その発言に対し、誰もがコメントを寄せられるのがSNSだ。どの国籍を持っていても、子供でも、年寄りでも。男女も、犯罪歴の有無も関係なく。

 コメントの多くは、ディクソン大統領自身というよりも、彼女が発言した内容に共感するものが多かった。だが、いつまでも世界のリーダーを気取っているといった否定的意見も多くあった。

 だが、それも大きな問題にはならない。

 完全に全世界を繋ぐネットワークにおいて、国家元首の力は僅かでしかない。

 時間・距離・言葉の壁が失われたネットワークの世界に、国境は存在しない。現実世界にも影響するほどSNSでの交流が広がると、物理的国境が揺らぎ始めた。国家を形成する要素の、国土が曖昧になってゆく。主権が全世界のユーザーに流れ込んでゆく。

 ユーザー自身がどこの国民かも意識しなくなってきたときには、世界はある意味崩壊への道を進み始めた。

 国籍はネット上のアドレスやアカウント名よりも価値を失ったが、各国の参政権、特に投票権の価値は上がっていた。

 暴力への批判も当然のように高まり、その象徴的存在である核兵器、化学兵器などの大量破壊兵器の放棄が進み、「テキストは核よりも強し」という言葉が広がってゆく中、ディクソンは自身の国家を窮地に追い込む失言をした。

「我が合衆国には、歴史上唯一核兵器を実戦使用したという優位性があり……」といったものだ。

 当然「優位性」という言葉に多くの非難が殺到した。

 ディクソンは苦し紛れに、翻訳システムの不具合を言い訳にしたが、その言い訳もSNSこそ現実世界だと主張する、世界中の超進歩主義勢力からの批判を浴び、ついには合衆国を東西に二分する事態となった。


 映画の序盤、SNSの発達で米国が世界の中での力を失ってゆく様子が描かれていたが、既に生徒の半数は眠気に襲われていた。

 それも仕方のないことだ。この事件はことあるごとに崩壊の象徴として語られている。

 そもそも、ディクソンによる著書、およびこの映画のタイトルに「世界崩壊の始まり」とあるが、合衆国を世界と同視すること自体が皮肉めいている。

 合衆国崩壊前まで開催されていた、ベースボールの「ワールドシリーズ」は合衆国内の大会でしかないし、エンターテインメント業界での「全米ナンバーワン」は世界一を示す言葉ではない。だが、それがそうであった時代もあった。

 この「世界崩壊」というのも、ディクソンに染み付いた旧時代の思考の表れだ。


 映画が終盤に入り、超進歩主義勢力の実質的リーダーの二代目である日本人女性が本人役で登場すると、生徒たちは再びモニターに集中し始めた。

「世界平和とか、全人類平等とか、そんなのは難しすぎるって思いますよ。でも、公正っていうのは意外と簡単なんだなって。もちろん、前述のふたつと比べたらって意味ですよ」

 モニターには、CGで描かれた大きな目を輝かせる少女が、身体を揺らしながら合成された高めの声でそう話していた。

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