第5話 ゆーちゃんはかわいかった



夜だけなら、まだ誤魔化しもきくか。

ちょっとほっとしてると、トントンとノックの音。


「兄ちゃん、ご飯。キモい」


呼応、用事、感想を述べた蜜柑。


「あー、いま行…」

返事に答えようとして気がついた。


ダメじゃん!僕今ダメじゃん!


ご飯に行きたいのは山々だけど、女の姿で行ったらさすがに変だ。誰?ってなる。


あたふたと急に焦りだした僕に、小さくスズが耳打ち。


「…今風邪ひいてるって言え、人間」

「…なるほど」


それならご飯も出なくていいか。


「蜜柑、いま」



女声だったぁあああああっ!



ダメだよスズ!怪しまれるよ!

どうし…どうしよう!


スズを振り返ると、見事にいなかった。


「逃げ、た…?」


苑雛くんもいない。


アカネは…無視してんなこりゃ。


皆勝手に女にしておいて酷すぎだろ。


もう、なんだか泣きたくなってきた。


一人ぼっちで、勝手に体も変えられて。


器とか鳳凰とか、本当は関わりたくない。

静かに好きな子のことだけ考えて穏やかに過ごしていたいのに。

みんなただの高校生に自分勝手だ、本当に。



「…うぅ…ひどいよぉ…」



……。

本気で弱音を吐いたのに、可愛い声だと説得力にかけた。



「たっく…きしょいよ兄ちゃん?早く出てこないと、腐向け掲示板に兄さんの全裸画像流すよ?」


なにいってんだこの妹は。

てか、僕にこの状況をどうしろと言うんだ。

困って、冷や汗がだらだらと出てきた。

このまま去ってくれることを祈る。


…が、期待とは裏腹に、ドアが当たり前にあいた。


「……ぁ…」

「え?兄ちゃん?」


薄暗い部屋の中。


女の子となった僕を、蜜柑は目を見開いてみた。


兄ちゃんに女装趣味が!と出るか?

それとも、兄ちゃんが女になった!とか?

いや、兄ちゃんは両性具有だ!か?


いずれにしても、反応は蜜柑に任せるしかない。


「に、ちゃん……」


大きい胸に目をやり、顔をまじまじと見られる。


なんだか首の裏が痒くなったけど、それどころじゃない。


呆然と僕を見て、あんぐりと口を開けた。

そして、蜜柑の行動が始まった。


「きゃぁああああっ!」


突如、妹の悲鳴が部屋に響いた。



「どうしたの蜜柑!」



バタバタと階段を上がる音がして、母さん登場。


なぜか白い粉が髪にかかっていて、たぶん小麦粉と推測。


「お、おかぁさ…!に、にににいちゃんが!」


「柚螺がどうかしたの?」


「えっろい彼女部屋に連れ込んでる!」


どたどたと部屋に侵入した母さんは、まじまじと僕をみて。



「本当だ!えっろい!」



「…え?」


なぜか楽しそうに笑って、蜜柑をみた。

「ヤバイよね?この子…えろい!」

「うん!えろいえろい!」


きゃあきゃあとえろいといい続ける女子たちに、戸惑う僕。


えっと…

つまり二人は、僕を僕の彼女と勘違いしたのか?


助かった……のかは置いといて。


とにかく僕は言わなきゃならないことがあった。



「えろくない!」



これ、大事だから。


なんか僕がえろいと言われたようで、恥ずかしかったから。


「あ…ごめんなさい。私は蜜柑。お兄さんの妹」



お兄さんって言ったぞ!今お兄さんって!

兄ちゃん兄ちゃんと貶され続け、生まれて初めてお兄さんと言われた。


しばらく感動してたかったけど、


「あなたは?」


この質問で飛んだ。



これって名前を答えなきゃならないんだよな?


「ゆ…」


柚螺はダメだ。


じゃあどうするか、ってか『ゆ』って言っちゃったんだけど。


「ゆ?」



聞かれた僕は仕方なく。




「ゆ…ゆーです!」




そのまま伸ばしてみた。


よく考えたら『優』『悠』『結』とか、ゆーで通じるものがあったから、不思議な名前じゃない。


「そう、ゆーちゃんって言うの」


にこにことバックにお花畑背負ったお母さんが、うっとりした顔で僕を見つめる。


「ところで……なんでゆーちゃんは柚螺の服を着てるのかな?」


…しまった。

そのまま女体化してたから、服なんて着替えてない。ていうか女物なんて持ってない。


「ちょっと!お母さん…!聞いちゃダメだよそーゆーのは!」


あー、まってくれ誤解だ蜜柑。たのむ、もうやめてくれ。


「そうねっ!ごめんなさい…しかし、全く音がしなかった…」


「激しくないんじゃん?」


「お風呂、いつ使ってもいいからね?」


「私のシャンプーがいいよ!右の青いやつが私のだから!」


「しっかし…ナイスバディねぇ…」


「本当!何歳?ねぇ何歳から胸出てた?中二は私ぐらいだよねぇ、ねぇ?」


「なんカップかしら、……ちっ」


「お母さん!ご飯食べようよ一緒に!」


「そうね!今日は唐揚げなんだけど、大丈夫?」



本人置いて弾丸トークである。



あれよあれよという間に僕とラブラブだという設定になり、食事を共にするのが決まった。


もうどうしたらいいかわからないけど、数年ぶりに妹がシャンプーを共にしていいというのに感動してたから深く考えなかった。


手を引かれ、無理矢理という感じに部屋から引きずりだされる。


ちら、と窓を見たら、雀が一匹こちらを見ていたからにらんどいた。

見てないで…助けろよ。 


部屋を跨ごうとしたとき、


「あれ?兄ちゃんは?」


と蜜柑が言い出したのでこけた。


ぷるんと胸が揺れ、ブラの調達の必要性を実感。



「あ!大丈夫?ゆーちゃんっ!」



母さんが心配してくれた。


「だ、大丈夫で…ひゃぁああっ!」


安心したのもつかの間。


なぜか蜜柑に胸をもみゅんもみゅんと揉まれていた。


擬音を感じつつ、驚きながら逃げる。



「な、なにをするんですか!」   




うわぁあん、自分だってまだ揉んでないのに…じゃなくて!


「すっごぉ…柔らかい!男もいいけど女の子最高!いいじゃん女の子同士なんだし」


「で、でも!」 


なぜか耳が熱いんだけど。


ダッシュで間合いを詰め、また僕の胸を揉み始める。  



「ちょっ…やめてくださいっ」




「いいなぁ、兄ちゃんこんなデカパイにご奉仕されて――そりゃあBLに目覚めないわけだ」


「やめてっ本当に!」


「もぉ〜、いいじゃん女の子同士なんだしさぁ」




その言葉に切れた。



ぶちんと。




「ぼ、僕は男だぁああああっ」




嫌に可愛らしい声で怒鳴ってしまった。


「え?」


母さんが声を発し、そっからしばしの沈黙が。

引かれたかな。

――でも、後悔はしてない。

言うなとは言われてないし、何しろ言うべきことはいった。このおっぱいは偽物なのだ。神の柔らかさなのだ。


いや、むしろ――男とカミングアウトした方がよかったかもしれない。 

女は不便だし、服とか貸してくれるかもしれないし…


僕だとわかってほしい。


女になったとはいえ、体は男だから顔立ちはちょっとしか変わらないし。

…てか、親なら気づけよ…と心の中で傷つく。

 



「…かわいい」


蜜柑が焦点の合わない目でいい放つ。 


「ん?だからね、僕は」

「かわいい」

「え、えと、僕は」

「か、かわぃいいいいいっ」


ボムッと音がして、俺の重心が後ろに傾いた。


床にドッカンと押し倒され、視界には蜜柑が映る。 


「やだやだやだ!超かわいい!生で始めてみたー!ボクッ子ボインちゃん!

しかも男って宣言してるのにかわいい顔と生意気ボディが矛盾してるぅう」



え。


ちょっと待て、どうしたらいいんだこの場合。


なんで僕はボクッ子設定になってて、しかもかわいいと言われて押し倒されてるんだ。


「女の子が僕だなんて――いや、いい!かわいい!なんか小さな抵抗…でも意味がない…みたいでとぉってもかわいい!」


「でしょう!?今までボクッ子あんまり好きじゃなかったけど、生で見て惚れた!


私に新たな性癖をありがとう!」



なんかお礼言われた!?



母さんもかわいいって…最悪な親子である。



「あの、えっと…いい加減離れて…」

 


「いや!この夢と希望がいっぱい詰まったイケないものを堪能してたいの!」    




すりすりと愛しそうに胸に頬擦りしている。



「あー…と」 




とりあえず、一言。



「(うちの家ってこんなに頭悪かったっけ…)」




全く新しい発見だった。



あまり見つけたくなかったけれども。 




夕飯は最悪だった。



「からあげ作ろうとしてからあげ粉ぶちまけたんだよ、お母さん」 


はい、あーん♪とからあげを口に入れてくる蜜柑に


「しかし、あれだな。孫!孫早く欲しいな!」 


「そうねぇ、早くできそうねぇ」


下ネタオンパレードな夫婦。



ちなみにあれ以来いっさい僕の存在を気にするものはなかった。


ゆーちゃんの時の方が待遇が良いのはなぜだ。



「ゆーちゃんメアド教えて!」

「僕携帯がなくて」   



誤魔化しも上手くなった気がする。

ボクッ子設定が功を成し、一人称が『僕』でもよくなったのも幸いの一つだ。



「ねぇ!学校でさ、「僕は男だ〜」とか言って「本当か確かめてやるよ」ってえっちな事始まったりしない?しない?」 

「しないよ!てかその脳みそどうなってるかの方が気になるよ!」 



蜜柑の将来が不安になった。



「じゃあ、イケないお姉さまとかに「あら貴女男なのね。ならこういうこともノープロブレムってわけ?」「…あ…」みたいな!?」


「…どこまで手を出してるか聞かせてくれ」





夕飯が終わると、蜜柑の部屋に招かれた。


蜜柑の部屋に何年かぶりに入ることを許可された俺は、しばし感動し涙を溢しかけた。


ピンクのベッドに可愛いぬいぐるみ。

壁にかかったコートやマフラー。


「……」 


…言い方をかえよう。

可愛いぬいぐるみに挟まれた、R指定な格好をしたBLフィギュア。

ベッド脇の本棚には、ファッション誌で誤魔化しきれないほどの薔薇やら百合やらの本。

隠す気が無くなったらしい壁には、二次元が脱ぎまくったピンク色のポスター(ちなみに女子か男子かは想像にまかせる)



「(育て方を間違えたぁあああああ…)」


『うわ…』



さすがのアカネも出てきた。


『お前の妹やばくね?』


「(……俺の妹って言うより、世の女子のヤバさを恨むことにした)」


世の女子が買うから、こういうのが出回るのだ。

そうだ、きっとそうだ。 


「あ、ゆーちゃんこういうの興味ある?

見てみて!これなんて手作りなの!」


壁のポスターの一つを指差しながら言われて、僕の思念は地に伏した。


「てゆーか、ゆーちゃんいつまでも兄さんの汚い服着てるの?服は?」


「あー…と、ない…かな?」


確かに僕の服をダボっとした感じ(一部出てるが)で着ているのは、不自然か。


「服きてきてないの?」

「え?あ」

「どんなプレイしてきてんの!」

「ぬ、濡れた!濡れたんだ!」


顔が赤くなりながら、必死に言い訳をかます。

…あれ、なんで赤くなったんだ俺?


『体が女になれば精神も女になる。苑雛を可愛いって思ったのもそれだな。精神は体の奴隷ってわけさ』


え?じゃあ僕設定的に『ちょっと初なボクッ子天然美巨乳系女子』なの?ファン多しだよ? 


「…雨降ったっけ?」

「道端!で、かけられて!」

「あー…!」


いかがわしい思念から一点、納得してくれたようだ。

冷や汗で寒くなりながら、あはあはと顔の筋肉を酷使する。もう顔がひきつりそうだ。 


「ゆーちゃん!これ着て!」


差し出されたものに思わず叫びそうになった。 


「いや、困る…ほかにないの?」 


「ゆーちゃんのサイズは持ってなくてぇ…これ文化祭で隣のクラスがやってて、もらっちゃったんだよね

ヲタな蜜柑なら喜ぶだろーとか言われてさ

実際に着てみたら、胸元が大きく開いてて…ちっぱいってゆーマニアックな私にはちょっと無理があったの」


「何から何までツッコミ必要な発言するなっ」 



お前中学生だろ!

ていうかコレ、どうしても着たくないな……。    


「いやだ!スカートなんて履いたら何かを失う!」


「いいじゃん!け、決して私は『ぅう…//恥ずかし…すぅすぅするぅ……』ってボクッ子設定お約束のもじもじが見たいわけではなくて!」 


「鼻血!とりあえず鼻血拭いて!」 


たらぁ、と愛妹の鼻を垂れる妄想の対価を拭いながら。



「じゃあじゃんけんで決めよう!ね?お願いっ」  




「……」 

 

何年ぶりだろう、妹にお願いされたのは。  


「じゃ、じゃあ…」 



まあ俺にはアカネという神様がついてるし、大丈夫だと思ったんだよ。

  


 



「わぁいわぁいっ!皆の衆!弓矢を捨ててカメラをとれ!女体という名の宝を撮しまくるのじゃぁっ!」


「なぜだ…」 


男はグーだよなと思って出したグーがパーに負けたのだ。 


「僕の男的な何かが薄まってるとでもいうのか…」 


こんな不埒なものを着なければならない日がくるとは、夢にも思わなかった。 


「はい、じゃあ着たら教えてね〜」


部屋とコスプレと私というシチュエーションにいきなり立たせる鬼畜な妹。

部屋から出ていってしまった。

あぁなると妹はてこでも引かない。

引かせるにはそれ以上の対価が必要になる。

が、これ以上とか想像しただけで泣きたくなるから、……仕方がない。 


腹を決め、衣服をするすると脱ぎ出す。 


ダイナマイトボディが晒され、一瞬身じろぎしたものの――頑張って着た。  





『すっげぇえ!これ着せるために女にしたって言っても過言じゃねーくらい似合ってる!』   



「嬉しくないよ…蜜柑ー、着たよー」 



「きゃぁあああ♪どうしよ、初夜を迎える夫に妻が「あなた…優しくして」っていう並みに興奮する!!」 


「いいから入れ!」  


叱咤しつつ中に入れる。 


「ほ、ほら…これでいい?」


胸元と太ももが大きくあいた黒のフリルのスカートに、真っ白いエプロン。


紅の背徳感ただようチョーカーにあわせたのか、紅のリボン。


頭には当然、メイドにかかせないカチューシャに……


「にゃんって言って!」

「いやだぁあああっ」 



黒の猫耳。



「うぅ…本当にサイズってこれしかなかったの?」 



「うん!私のはゆーちゃんに小さいからね!…はあはあはあ…いいなあ、美味しそう…じゅるり」


「よだれ!蜜柑よだれが!」


人生で一番にやけた顔をする我が妹に、なんだか泣きたくなった。



『似合う!似合うぞゆーちゃん!』



アカネまでもが反応してくる。

何かを失った気がした。


「……はあ」


きゃあきゃあ騒ぐ変態二人を見ていたくなくて、ふと部屋の時計に目を会わす。 


時刻は7時40分。  


「……あれ」


何かが引っ掛かった。

大事な大事な何かを、ポツンと忘れてしまったような、そんな――



ガクガクと意識が震える最中、携帯がなり…

そしてそのディスプレイに表示された文字が、えっと、確か……



「ああああ!」 

 


百瀬。

僕の絶賛片想い中の彼女だ。


「わす…忘れてた!」 


僕としたことが。

今日は濃すぎて、非現実的すぎて。

すっかり脳から溢れてしまっていたのだ。ごめんね百瀬。 



「ゆーちゃんどうしたの?」  


蜜柑が不思議そうに聞いてくるが、そんなことに意識を向けてる場合じゃない。

急いで隣の僕の部屋へ向かい、携帯のチャットを確認する。

【約束の本、さっき読み終わったのm(__)m

だから、今日の夜待ち合わせして渡していいかな?

8時にミズクメ神社の前で。待ってるね!】



そのチャットに、僕はなんて返したっけ。

光の速度で画面をスクロールし、画面を開く。 


「あった…」

見つけたチャットを恐る恐る開く。  



【わっかた!りょう会議室!】  



ニョタ化した時にはなかった、魂が抜ける感触を感じた

ふらふらと足の力を無くし、ふわりとスカートを靡かせ崩れ落ちる。

体の全神経が重く感じた。 


「…な、なにがあったんだ僕……」



【わっかた】はある間違いかもしれないが、なんで【了解】が【りょう会議室】になるんだ。


しかも百瀬に当てたメールで誤字なんて。

消えたくなるほどの喪失感。


……ここで約束をすっぽかしたら、今度こそ僕の片想いは消えてなくなる。


たぶんこのチャットで充分怪しまれて好感度はダダ下がりだ。

所詮本の貸し借りだが、僕にとっては一世一代の大イベント。

約束を取り付けた時は眠れなかったものさ。

キリッと足に力を入れ、立ち上がる。


行かねば。


行って本を受け取らねば。

バンッとドアを開け、廊下に踏み出す。

と。



「ゆーちゃん……?」



蜜柑があんぐりと俺を見ていた。


待ち伏せとかじゃなく、たまたまといった感じ。


「どこいったかと思ったら……なんで兄ちゃんの部屋に?」


行かねばっと先走るあまり、言い訳ができない。

酸素を失った鯉のようにパクパクと口を開け、言い訳の糸口を探す。

なにか、なにかないか……


「あっ…ゆ、柚螺くんね、今……李介くんのお家に泊まってるの、聞いてない?」


必死だった。 


「え?あ、うん知らない」 


嘘をつくのに慣れなくて、つい舌がうろうろと迷子になりそうになる。


「で、実は僕がここに来たのは、柚螺くんの服をとりにきたからなの。それをこの家が楽しくて忘れて…て…」


無理矢理だ。

が、我ながら咄嗟とは思えない出来の良さ。



「今すぐ届けに言ってやらないと!ね?」


「それって、兄ちゃんのパシりってこと?」


なぜそうなる!?


「うん…まあ?」


「…ちっ、帰ってきたら殴り飛ばす」


帰りたくなーい…でーす。


「ならゆーちゃん。お母さんたちに挨拶してやって?喜ぶから」

 


それもそうだ。


夕飯までご馳走になって(いや自分の家だけど)無言で帰るのはちょっとよろしくない。

マナー違反だ。


「そうだな…そうするか」


蜜柑の言うことも最もである。 


「お母さんー!ゆーちゃん帰るってー!」 


廊下と階段を闊歩しながら叫ぶと、ダッシュで母さんがやってきた。

はやすぎるぞ母さん。

なぜか頭に泡がついていて、洗い物中だとわかった。


「帰るの!?早いわ、ううん今日は遅いから泊まっていきなさい!」 


どっちなんだ。  


「あ、それさんせーいっ!お風呂を是非ともにしたい」


下心しか見えない妹が怖い。 



「あの…今日は李介くん家に泊まらせてもらうことになってて」



さっきの言い訳を使うことにした。

多少無理があるが、軌道修正はきかない。このまま突き進むしか道はないのだ。



「あら、李介くんのとこに?じゃあ忘れてたけどあの子も?」 



……忘れてたけどって単語いらなくない?  


「は、い…柚螺くんも」



家族の中でいらない存在なのか僕。

とにかく、流暢に話してる場合じゃないのだ。

メイド服のエプロンをとり猫耳を取り、黒のゴスロリ衣装のようにしてから蜜柑に渡す。


「では、夕飯ごちそうさまでしたっ!またきます!」


逃げるように足踏みしながら、言い終わると反動をつけて走り出す。


「ではっ!」


そうして僕は、僕の靴を履いて(少しぶかぶかだった)ダッシュで神社へと向かうのであった。 


なんで靴履いてるの?とか聞かれないのは、我が家がバカだからだろう。 


助かった。本当に馬鹿すぎて。




そしてとにかく走った。

さっきから叫んでるアカネが気にならなくなるぐらい全力で。



「はあっ…はあっ…」 



スカートが足に絡み付く。

靴がうまくはけてなくて、多分サイズが合わなくなってるせいで痛い。

伸びた髪が顔にへばりつき、とるのももどかしく走る。 



「ん…く、はあっ…」

『おい柚螺!ちょ、おいっ』



さっきからアカネが話しかけてくるが、無視。

遅れてはいけない。ただその一心で。

ミズクメ神社は、漢字で藻女神社。

僕が通う高校の裏にある、今はもう使われてない(らしい)神社だ。

神社のくせに境内にベンチがおかれていて、さながら公園。

お金がない学生のカップルにはありがたい存在だ。

……まあ、僕らはカップルじゃないけど。

15分程度を全力で。

景色なんか目にはいらないほど。

「んっく…」

ごくんとやけに冷たい唾を飲み込むと、息がぐわっと詰まる。

思わず咳き込みそうになるが、無視。

「かはっ…」

ただ、夜を走った。



ようやくついた鳥居の向こう側に、彼女はいた。



ベンチにちょこんと座っていて、なんと私服だ。

ながい黒髪が放課後はお下げを解いているのか風になびいてやけに愛らしい。


「も、もせ…っ」



百瀬縁。

僕の、片想いの相手だ。


「……?」


息なのか、名前なのかの区別もつかないような声に、百瀬は反応して。




「――誰…ですか?」





こてっ、と頭を傾げた。


「……あ」



すう…と目の前の景色が揺らぐ。

今までの疲労が一気に来た。



「(うわぁああああああっ)」



僕としたことがぁあああっ!



『百瀬』が先走るがあまり、ニョタ化の現状をすっかり忘れてた。

だって、俺が見る景色は今までも変わらないのだ。

体を四六時中見てるわけじゃないし、女女とずっと悩んでる訳にもいかない。


だから――そう、忘れてたのも無理はない話なのだ。


アカネがさっきから話しかけてたのはこれだったのか。


そして当然、百瀬は俺の現状を知らない。

だから他人と認識するのは当たり前。

…なんか、もう、疲れた。



「あのっ」



不意に話しかけられ、息を切らしながら頭をあげる。

百瀬がベンチから立ち上がって俺を見ていた。



「ちょっといいですか?

えっと、その……男の子、見ませんでした?」

「え?」

「私と同い年くらいの、そのぉ…」


それって僕…だよな。

息なんか、疲労なんかすっかり忘れて、顔が赤くなった彼女に更に赤面する変な僕。



「すみません…見てないならその、いいんです」


おずおずとベンチに戻ろうとする百瀬。


これじゃあいけない、とつい口から出任せが自己主張。



「僕っ…柚螺くんの、い…妹です!

その、百瀬さんですか?」



「え…?」



ベンチに腰を掛けようとした百瀬の顔が上がる。


出任せだったため、若干流れは遅いものの、それでもきちんと嘘が流れた。


自分の名前を柚螺くん、なんて恥ずかしい。

けど、百瀬は待ってくれてるんだから。

なんとか気持ちに応えたかったんだ。



「妹…?蜜柑ちゃんじゃなくて?」


「えっと、ゆーです!」



百瀬は蜜柑に会ったことがあり、蜜柑も百瀬を知っている。


けど、互いに互いを熟知してる訳ではなく、百瀬は単に蜜柑を『柚螺くんのBL好きの変態妹』としか認識していない。


だから、新妹の登場は浮気の言い訳並みに無理があった。


が、正当性があった。




「本当…そっくり」




だって僕だもの。



幸か不幸か、顔かたちはあんまり変わってない女体化。


胸が大きくなり、骨格が華奢になり、髪が若干伸び――ちょっと顔が可愛らしくなっただけなのだ。


もともと、僕の顔はそこまで男!って感じじゃない。


ショタ顔と言われればさすがにへこむが、紅太などよりかは女顔。



だから妹の蜜柑がとっても可愛いのだ。



まあなんにせよ、女体化なんて夢にも思ってない百瀬は、この顔のおかげで完全に家族だと信じた。



このときだけはアカネに感謝――いや、こいつのせいでこうなったからしない!感謝中断!



「ゆ、らくんがですね、体調を崩したのできました!」



我ながら嘘が上達している気がする。


脳内でポンポンと設定を並べ、似合った言葉を口にする。



「…風邪?大丈夫かな」



百瀬に心配されてる!

悶えそうになりながらも、ゆーちゃん演技続行!脳内はもう必死である。



「大丈夫ですよ、お兄ちゃん丈夫だし」



にょた化してるだけだもんな。


「そう…?あ、これ。柚螺くんに渡してくれないかな?」


そう言って、本を渡してくる。

借りる約束をしていたものだ。

本を受け取り、笑顔で返す。



「一ノ瀬くんは頼りになるから、いいお兄ちゃん持ってよかったね」



「え!?た、頼りになる!?」



急に褒められたので、びっくりする。

頼りになると思われてるのか、やばい、にやけそうだ。



「あ…ありがとうございます。じゃあこれで」



とっても惜しいが、去ろう。



なにかのボロの出ないうちに。


まずは、柚螺として本を受け取れなかったことを明日の朝、詫びよう。



そしていつか告白をしなくては。


パワースポットにも行ったことだし、ご利益もあったし。




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