第44話 盗撮
無限に続くと思われた夏休みも過ぎてしまえばあっという間というもので、始業式から早くも二週目に突入していた。
といっても、一週目は木曜日から始まり、初日は始業式のみで放課となったので、土日を挟んで火曜日の今は、実質的にはまだ三日目であった。
休み明けの教室はさぞかし気だるい雰囲気に包まれているだろうと身構えたが、そんなことはなかった。
今週末に控える文化祭に皆浮き立っており、受験生だというのに授業は上の空で、中には連日の準備疲れでうつらうつらしている者さえいた。
きっと文化祭が終わるまではこの状態が続くのだろうと、景も非日常感に当てられて普段よりも冷静さを欠いていたからかもしれない。扉を開けた途端、不自然なまでに周囲が一気に静まり返った教室の異様さに気づかなかった。
席に着いて初めて、クラスメイトがこちらを遠巻きに見ながらひそひそと話をしていることに違和感を覚えた。
まるで値踏みするように、面白い見世物でも観覧するように、好奇の目を向けている。そのくせ視線を感じて振り向くと、彼らは即座に目を逸らして何でもないことのように世間話を始める。酷く居心地が悪かった。
教室の四方から飛んでくるまとわりつくような視線に耐えかねて、一旦、この場から離脱しようと席を立つと神妙な面持ちの涼也が声をかけてきた。その後ろには直輝も控えている。
「金谷、少しいいか」
彼らに連れられるがままに教室を出た先、階段を昇って半階上の踊り場へと足を運ぶ。涼也が腕を組みつつ壁に寄りかかって言う。
「金谷、お前盗撮とかしてないよな」
「ぇえ?」
あまりにも予想外の質問に素っ頓狂な声を上げてしまう。
質の悪い冗談かと思ったが、涼也の目は真剣そのものだった。直輝に目をやると彼もまた心配そうな表情でこちらを見ている。
「いや、してないよ! 盗撮なんて」
手を振り、首を振りで慌てて否定する。
当然、盗撮をした事実も勘違いされる心当たりも無く、しようと思ったことさえない。まさに寝耳に水だった。
景の慌てぶりを見た涼也と直輝は胸を撫で下ろし、安心したように頬を緩ませた。
「だよな。変なこと聞いて悪かった」
「いいけど……何でそんな話に?」
謝る涼也に尋ねた。答えは直輝から返ってくる。
「今朝さっきまで黒板にでかでかと『金谷景は盗撮野郎! 絶対に許すな』って書いてあったんだぜ? 書かれてたのは俺らで消したけど、結構な奴らが見ちゃったんだよなー、だからあんな雰囲気になってんだよ」
奇異の目に晒されたのはそれが原因か、と合点がいった。同時に、いったい誰がこんな嫌がらせをしたのだろうかと思考の海に沈んでいく。
そして、ふと思い当たる。現在進行形で嫌がらせを受けているではないか、と。
もしかすると、今回の黒板の犯人と、下駄箱に悪戯のメモ紙を入れた犯人が同一犯の仕業ではないだろうか。
であれば。
「もしかして、黒板に書かれてた字って定規で線を引いたみたいな感じだった?」
涼也と直輝が目を丸くして互いに見合わせた後、直輝が返答する。
「よくわかったな! 前にも似たようなことあったん?」
「黒板ではないんだけど、ここ一ヶ月くらい『死ね』とかって書かれた紙きれが下駄箱に入れられてて……」
景はもぞもぞとポケットを漁ると、さっき仕入れたばかりの今日の分の悪戯メモ紙を取り出して二人に見せた。
「ほら、こんなやつ」
「まじか」
「やばいな」
メモ紙を覗き込むと口々に短く感想を述べる。景自身も改めて見ると確かにちょっと怖いなという感想を抱く。
「お前、何か恨まれるようなことしたのか?」
涼也の問いに対して景は苦笑いを浮かべて曖昧な返事をする。
恨まれるような事はしている。内田梨花に対して。
ただ、記憶の中の彼女はここまで陰湿な真似はしない性格だった。
正々堂々としているかと聞かれればそうでは無いが、それでもわざわざ自分の手を煩わすような、回りくどいやり方はあまり好まないイメージだった。
他にも心当たりが無いことは無いが、どれも今更になって仕返しに来るという可能性は低いように思われた。
となれば、直近で恨んでいそうな残る人物は一人に絞られる。
確証はないが、恐らくそうだろうという自信が景にはあった。だからといって、特に追及するつもりはない。
これまでの自分の行いを省みれば、クラスメイトから白い目で見られるくらいは受けて当然の罰であるのだから。
幸いにも冤罪だと信じてくれている友人がここに二人もいる。彼らの存在があれば、ある程度の艱難や逆境、理不尽でさえもどうにかして乗り越えられる気がした。
「大丈夫だよ」
景が気楽にそう言うと、涼也と直輝も心配は残すも幾分か表情が軽くなり、「何かあったら言えよ」と声をかける。景は二人に礼を言って、教室に戻ることにした。
「いやー、それにしても景が超クソ野郎に落ちぶれてなくて良かったぜ」
階段を下りながら直輝が冗談めかす。にやっと笑った涼也も彼に続く。
「ド変態だから一瞬有り得るかもしれないと思ったがな」
酷い言われように景は白けた顔で鼻を鳴らす。
だが、態度とは裏腹に悪い気はしていなかった。むしろ、信頼に裏付けされた軽口は心地良いとさえ感じる。
その後、担任の高田先生に職員室へ呼び出され、盗撮容疑の事実確認で念の為に携帯電話の写真フォルダを確認されたが、当然、それらしい写真は見つからなかった。
それらしい写真どころか、普通の写真すらほとんど無く、数少ない数十枚のうちの半分くらいはプレーンの写真で埋められており、それを見た高田先生は普段の心を見透かすような眼差しでなく、優しげに憐れんだ目で「友達はいなくても人生何とかなるもんだぞ」と景の肩に手を置いた。
白けた顔で鼻を鳴らす。
余計なお世話だった。
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