第34話 文化祭準備
「お前らまだ喧嘩してたのか」
「喧嘩というか何というか」
ぶつくさ言う景に涼也は呆れた目を向ける。
「早く元通りになれよ。こっちまでやりにくい」
「わかってるって」
景は口を尖らせつつ、再び両刃ノコギリでいったい何に使うのか見当もつかない長い角材を適当な長さに切っていく。
視察という名を借りた思い出づくりから早十日経った水曜日。
夏休みに入ったというのにもかかわらず、相変わらず学校を訪れていた。目的は補習でも自習でもなく、文化祭準備だ。
受験を控えた三年生がいったいなぜ、と世の親御さん方に呆れられても仕方がないが、これがなかなかいいリフレッシュになって作業も勉強も捗るのだ。
否、勉強の方はそんなに捗っていなかった。むしろ作業も捗っていない。
ではなぜ、文化祭に熱を上げているわけでもない景がわざわざ登校してまで準備を手伝っているのかと言えば、直輝の件を気にしているからだった。
あの日プラットホームで別れて以来、まともに顔すら見ていない。
休み明け、直輝に挨拶してもまるで聞こえていないかのように思いっきり無視された朝は、数々の修羅場を潜ってきた自負のある景であっても、膝も心も折れそうになった。加えて、涼也には普通に話しかけ、笑顔すら見せている直輝の姿を間近で見ているので、余計に精神的負荷がかかっていた。
そして、もう一つ景を悩ませる事件がここ一週間ほど続いている。
始まりは朝、学校に登校し、昇降口の下駄箱を開けた時だった。
一枚の小さなメモ用紙サイズの紙切れがひらりと床に落ちて、何だろうと拾って見てみると、メモ紙いっぱいに大きく『お前は死ぬべき人間だ』という文字が書かれていたのである。
思わず腰を抜かして尻もちをつきそうになったが、すんでのところで堪えた。
文字は定規を使って直線で文字を書いており、気味が悪かった。
初めは景も高校生にもなって幼稚なことをするものだ、と呆れて気にしないようにしていたが、内容を変えて何日も続く嫌がらせを無視出来るほど強い精神の持ち主でもなかった。
いったい誰の仕業か。始まった時期からして、恐らく直近で恨まれていそうな人物だろうと当たりをつける。
まず、思い当たったのが直輝だが、彼はこんな回りくどくて陰湿な真似をしそうにはない。となると、梨花か凛だが、彼女らがせっせと定規で線を引いている姿をどうにも想像出来なかった。
得体の知れない悪意に晒されていることと、文化祭のクラス委員である直輝が仕切っていること。二つの理由で教室にいても居心地が悪かったので、灼熱の中庭へと出て大道具係の手伝いをすることにした。その結果、涼也に説教を受ける羽目になったのである。
太陽に熱せられるアスファルトの上で、指定された線に沿って鋸をテンポ良く滑らせながら、直輝と交わしたプラットホームでの会話を思い返す。
初めは激しく凹んだが、日が経ってから改めて冷静になって考えてみると、直輝の一方的な物言いに理不尽さを感じ、沸々と怒りが湧き上がってきた。
『可哀想だったからか?』
『上から目線も大概にしろよ』
『おまえにとってはそうじゃなかった』
直輝は言い返す隙も与えずに言いたい放題言ってくれた。
例え隙が与えられたとて、言い返せはしなかっただろうが。
冷静に立て直した今であっても湧き上がった怒りを直接本人にぶつけることができていないのだから、彼から真っ直ぐに敵意を向けられていたあの瞬間に攻勢に出るのは不可能だった。
それは慈悲深さでも忍耐強さでも何でもなく、ただ自分が臆病者で怒りの感情を人に向ける勇気がないだけだ。だからこうして滾滾として尽きることのない不満を胸中で対流させている。
不満の代わりに額から滝のように汗が流れる。暑さも相まって余計に苛々してきた。
景は内面に溜め込んだ行き場のない苛立ちを角材にぶつけるべく鋸を挽く手に力を入れる。
力が入った状態では刃が撓んで角材をうまく切ることができず、余計にフラストレーションが溜まる。溜まったフラストレーションを解消すべく、さらに力を入れる。余計に切れない。その結果、作業は全くと言っていいほど進まず、無駄に疲労と鬱憤だけが蓄積されていく悪循環に陥っていた。
そんな景の様子を見て涼也が作業の手を止めて鼻から息を漏らす。
「お前、今日暇か」
「今日はこの後予備校だから暇じゃない」
景は顔を上げずにそっけなく答えた。それに対して涼也は気にするでもなく「そうか」と軽く返す。
「どこの予備校通ってるんだ」
「……涼也も夏期講習通うことにしたの?」
「そうじゃない。俺は優秀だからな」
手を止めて怪訝そうに顔を上げた先には、にや、と悪そうな笑みを浮かべる涼也がいた。
最近、涼也の冗談が増えたような気がする。恐らく親しくなって心を許してくれている証拠なのだろうが、彼の冗談は冗談に聞こえないところが厄介だった。それに加えて今は気が立っており、気の利いた返しができる自信がなかったので、敢えてスルーした。
涼也は景の反応につまらなそうな態度を取ると再び質問を繰り返した。
なぜそんなことが気になるんだ、と疑問を呈したが「別にただの世間話だ」と言うので渋々ながら教える。
なぜ気が進まなかったのかと言えば、これも最近になってようやくわかってきたことなのだが、涼也は意味のない質問をあまりしない性分だった。いわゆる世間話や社交辞令というやつをまるで気にせず、沈黙を是とする。
だから、理由を聞かれて世間話だと答えた涼也に何か裏があるのではないかと景は勘繰ったのだが、結局、涼也の無表情からは何も読み取ることが出来ず終いだった。
暑い中、嫌がらせと直輝の件、加えて不可解な涼也に思考を掻き乱され、脳がオーバーヒートして目が回ったので、一旦、クールダウンしようと涼也に自動販売機に行くことを告げ、その場を後にした。
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