第29話 遠慮

 昼食中、結衣は落ち込んでいたのが嘘であったかのように騒がしくした。直輝も同調し、かつて経験したこともないくらい賑やかな食卓となる。賑やかすぎてキャストの人にやんわりと注意されるほどだった。


 結衣が元気を取り戻したようで良かったと安心する一方、景には気がかりなことが結衣とは別にもう一つあった。

 それは遥香と仲良し三人衆との関係である。朝は杞憂だと思っていたが、午前を経てどうもそうではないらしいことに薄々勘づく。


 今の昼食の間も、心做しか遥香の口数が少ないように感じられた。

 もちろん、直輝と結衣があまりに騒がしいことで、皆静かに見えてしまうという相対性もあるが、それを加味しても、やはり遥香はどこか遠慮しているように見えた。


 昼食が終わり、次のアトラクションへ移動することになる。たまたま後ろの方で二人になったので、思い切って彼女に尋ねてみることにした。


「遥香」


 直輝は前の方で梨花と凛とのお喋りに夢中になっていることを確認して声をかける。


「なに? 景くん」

「その、何かあった? いつもより元気ないっていうか、遠慮しているみたいに見えるけど」


 名前を呼ばれてパッと明るくなった彼女の表情は景の質問で少し揺らいだ。

やはり気のせいではなかったのだ。


「そんなことないよ? 楽しいもん!」


 彼女は無理な笑顔で取り繕って言う。

 まただ。また嘘笑い。


「……なにか不安なことでもある?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」


 遥香は歯切れ悪く答える。

 我ながら、無遠慮にずけずけと他人の心に踏み込んでいくものだ、と景は自嘲する。誰かに詮索されるのは自分が一番嫌っていたはずなのに。

 だが、どうしても訊かずにはいられなかった。彼女が心から笑えないのは自分にとっても苦しい。


「……あの三人とあんまり仲良くないとか?」


 ここまできたらどうにでもなれ、と半ばやけになって核心に手を伸ばす。

 遥香の瞳が動揺の色を浮かべる。彼女はそれを隠そうとしたのか、忽ち目線を落としてそのまま俯いた。


 世界は理不尽なもので、当たれと祈れば、決して当たらず、当たってほしくないと願う時ほど、矢は的のど真ん中をついてしまう。

 やはり神などという都合のいいもの存在しないのだ。仮に存在していたとしても、相当な性悪であることは間違いなかった。


「たぶんわたし、あの子たちに嫌われているっぽいかも」


 世の無情さに拍車をかけるが如く、遥香は自らの心情を吐露した。

「あの子たち」というのは三人衆全員を指したのではなく、あくまで梨花と凛だった。

 結衣に関してはずけずけと遥香の色恋沙汰を尋ねてくるので、気がつくと仲良くなっていたそうだ。遥香は躊躇いがちにかなり遠回しな表現を用いながら少しずつ言葉を紡いだ。


 彼女曰く、梨花は、表面上は優しく接してくれるが、ふとした瞬間に自分に対して冷ややかな目を向けているのだという。そして、彼女の方からは一切話しかけてこない、と。

 凛の方は、さらに露骨で話しかけると睨まれた挙句、無視してその場を離れていく、と。

 どちらに対しても嫌われるようなことをした覚えはなく、何が原因か自分ではわからないらしい。


「わたし、どうしたらいいんだろう。これから文化祭とかあるのにこのままだったら悲しい」


 蚊の鳴くような声で彼女は呟く。

 梨花と凛が遥香のことを嫌っている。

 そう考えただけで景の心臓は嫌な音を立てて軋んでいく。彼女が嫌われているのは自分のせいかもしれない。自分は梨花と凛には確実に嫌われている。そのせいで自分と仲良くしている遥香がとばっちりを受けているのかもしれないのだ。


 景が思い詰めた顔をしているのを見て遥香が慌てて手を振る。


「別に景くんにどうこうして欲しいとか思ってないの! ただ愚痴っちゃっただけ」


「だから気にしないで」と彼女は笑顔で前を向いた。


 きっと直輝なら「おれに任せとけ!」と胸を叩いて問題解決に向けて奔走するに違いない。

 けれど、自分には到底真似できないし、その勇気もない。自分が原因ではるかに迷惑をかけているのにもかかわらず、だ。


 梨花を前にすると恐怖で足が竦む。本来なら恐怖を感じるのは逆の立場であるはずなのに。

 梨花は生涯、自分を許すことはないだろう。彼女と仲のいい凛にも事情を知られており、量り知れない恨みを、軽蔑の感情を、持たれているに違いない。そう考えただけで心が恐怖で埋め尽くされていく。


 罪の意識は、景の魂の芯にまで深く刻まれていた。ふとした瞬間に、自分の過ちを自覚させられ、その度に感情は海の底深くまで沈んでいくのであった。


 そして、ついに景にとって恐れていた最悪の事態が起きる。往々にして人が弱って苦しんでいる時に限って無情な世界は鋭い牙を剥くのである。

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