第28話 あたしの戦略に狂いはない

 パーッと遊ぶと決めてはしゃいだ結果、午前の部を終えた今、想像の三倍は楽しかった。

 直輝が団長と称し、自らも「あたしの戦略に狂いはない」とほざいていただけあって、結衣が決めたアトラクションを巡る順番はかなり効率的だった。

 午前だけで人気アトラクションを含めた五つに乗ることができ、休日の混雑の中で叩き出したこのスコアはかなり優秀な方ではないだろうか。


 一つ不満があるとすれば、結衣が土壇場で参加を決めたことによって人数が七人という中途半端な奇数になってしまったことだ。

 そのせいで景はアトラクションの内、五分の三を独りで乗る羽目になり、実は影で皆が結託し、自分を虐めている可能性を考えた。


 無論、組み合わせは毎回じゃんけんで決めており、不正など働くはずもないので、単純に運が悪かったとしか言いようがない。だが、それでも最も避けたい大凶は引かなかった。

 最悪の場合、景と梨花がジェットコースターの上でランデヴーする可能性もあったのだから、神への信仰心も捨てたものではない。


 ちなみに景は、自分の都合が悪くなりそうな時にだけ必死に祈祷を捧げるという都合のいい神への信仰心を持っていた。普段は神など信じていない。それ故にか、大凶を引かされることは多々あるのだが、大抵は自業自得であるため、特に信仰心を変えるつもりはなかった。


  時刻は時計がちょうど天辺を過ぎた辺り。

 アトラクションにも乗ってひと満足いった頃、そろそろお腹も虫も鳴き始めたので昼食を摂ることになった。

 結衣団長にあるまじきピークタイムでの昼食だが、「やっぱご飯はお腹空いた状態で食べたいじゃん? 逆にお腹減ってちゃ、アトラクション乗っても楽しめないし!」との至言を呈され、確かに仰る通りだ、と景は賛同した。


 何が食べたいか、皆の意見を募ったところ、簡単なもので済まそうという方針に固まり、結衣セレクツのリーズナブルなレストランへと足を運ぶ。

 店内は見渡す限り満席のようで、七人分の空席を探すのは骨が折れそうだった。

 注文のカウンターにも立派な長蛇の列ができており、注文までに時間を要するのは目に見えていた。


 頭を捻らせた結果、午前中暑さと立ちっぱなしで既に足に疲労が溜まっていたインドア派の景は、一旦自分で席を見つけて、そこで少し座って休もうと、普段なら絶対に行わない立候補をすべく、手を挙げた。


「時間かかりそうだし二手に分かれよう。俺が席探しとくから皆は先並んでいいよ」

「あ、そんなら、あたしも一緒に探すよー!」


  並びかけてきたのは結衣だった。正直一人で探すのはしんどそうだったのでバディがいるのはありがたい。


「じゃあ金谷の分は俺が代わりに注文しといてやる」

「私は結衣の分を」


 涼也と凛が気を利かせてくれる。なんて優しい人たちなのだろうと、内心、感涙に咽ぶ。


 また後で、と注文班と分かれて、空席捜索の任務についた精鋭部隊はさらに二手に分かれてそれぞれ端と端から順に攻めていくことにした。

 店内を歩き回るとちょこちょこ二人席が空いているのを見かけたが、肝心の七人皆で座れるような席は皆無だった。


 いっそ諦めて二人ずつに分かれ、再びじゃんけんで自分が独りになることを甘受すべきか、などと考えていると、結衣団長から入電があった。

 呼ばれるままに彼女の元へ駆けつけると、そこには堂々七人席を勝ち取り、ふふんっ、と鼻を鳴らして偉そうに待っている彼女の姿があった。実際、結果を出しており、優秀なのでその点は問題ないのだが、純粋に疑問が湧いた。


「どうやって見つけたの?」

「同じようなグループがいてちょうど片付けていたから声をかけたのさ、弟子よ」


 誰が弟子だ、とはツッコまず、素直に賛辞を送った。

 結衣が見つけてくれた椅子にありがたく座らせてもらい一息吐く。遠くに方に伸びる列を見ると料理を受け取るのはまだまだ時間がかかりそうだった。


 暇を持て余したらしい結衣が、突然思いついたかのように質問を投げかける。


「それでー? どーなの最近、春日井ちゃんとは!」

「またその話。何度も言ってるけど友達だから」


 繰り返される質問にもはや諦めの境地に達した景は、無感動無感情の機械的な脊髄反射で返答できるまでに訓練されていた。


「そんなんだと愛しの遥香ちゃんの気が変わっちゃうかもよー? するんでしょ? 告白。今日、直輝」

「ああ、そうら…………ううぇ?」


 あまりにも普通のトーンとしっちゃかめっちゃかな文法に騙されて、そのまま機械的な反射で答えてしまいそうになり、自分でも聞いたことの無いの変な声が出てしまう。

 パッと顔を上げると目の前で結衣がにやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。


「やっぱそうだったんだー、直輝のやつやりおるねぇ」

「いや、どういうこと? 全然わからない」

「直輝見てればなんとなくわかったし誤魔化さなくてもいいよ! 別にどうこうしようなんて思ってないから! ……そーゆう気分じゃないしね」


 気分じゃない、と小さく言った結衣は表情に影を落とした。

 今日、唐突に参加したことと何か関係があるのだろうか。遥香と直輝の話題から逸らす意味でも、敢えて地雷原かもしれない荒野に踏み込んでみることにした。


「……何かあったの?」


 景の問いに対して結衣は「なにもないよー!」と手をひらめかせて、笑顔で応じた。


 だが、景は知っていた。細くなる目と悪ガキのように歯を見せる彼女の屈託のない笑顔を。故に結衣の双眸と自分の双眸とがばっちり噛み合った今、彼女は偽物の笑顔を浮かべていることをすぐさま見抜く。


 何も言わず、ただ真っ直ぐ見つめる景に最初は茶化していた結衣だったが、やがて観念したのか、ぽつりぽつりと呟き始めた。


「昨日さ、ユウく……彼氏と別れたんだよね」


 いつもの馬鹿みたいに明るい調子は無く、消え入りそうだが、確かに鼓膜を突き刺す、水面に雫を落としたような声で告白する。


 衝撃的だった。つい先日まで断っても押し付けがましく、いかに自分の彼氏が良き人か、その彼氏と仲がいいかを延々と惚気てきていた。

 にもかかわらず、何の兆候もなく、険悪な雰囲気すら見せず、突然別れることになるとは夢にも思わなかった。

 景はもちろんのこと、彼女でさえも。


「どうして、そう……なっちゃったの?」


 ただならぬ雰囲気に言葉をできる限りぼやかしつつ、恐る恐る尋ねる。


「今日ね、ほんとはみんなと一緒に来たかったんだけど、彼氏がね、男がいるならダメだ、って。それで喧嘩しちゃって。そのまま……」


 常ならば溢れんばかりの言葉の数々を身に纏う結衣であるが、今ばかりはそもいかなかったのだろう。間伸びせず途切れ途切れに紡いでいく様子が普段とあまりに異なりすぎて、中身が別人に入れ替わってしまったようだった。


「……そう、なんだ」

「……わかんなくなっちゃった。今までは普通にユウくんの言うこと聞いてた。それを別に苦に思ったりとかなかった。でも、高校最後だし……みんな、と、どうしても遊び……たくて……」


最後の方は涙声になって、結衣の頬には涙が伝っていた。


「はじめて、はじめて思ったよ、わずらわしいって……。なんで、なんでそんなこと言うんだろうって。……そしたら自分がほんとにユウくんのこと好きなのかわかんなく、なっちゃった」

「……そっか」


 こういう時、気の利いた台詞一つかけてやれない自分が心底嫌になる。


「もしかしたら、とっくの昔に好きじゃなくなってたのかも。でもそれが怖くて、認めたくなくて必死に思い込んでただけなのかもしんない、ユウくんが好きだって」


 言葉を交わす度に惚気けてくる結衣の表情を思い出す。

 あの笑顔は本物だった。だから好きじゃなくなってた、なんてのは嘘だ。


「自分が興味なくなっただけなのにユウくんのせいにするなんて、最悪だね、あたし」


 決してそんなことはない。

 彼女にそう言おうとして口を開く。しかし、それが言葉になる前に、背後から頭上を越えて聞き覚えのある声が飛んでくる。


「そんなことはない」


 声の主は涼也だった。両手に持った自分と景の分のプレートをテーブルに置きながらいつにも増してぶっきらぼうに放つ。だが、その中には優しさも含まれていると景は知っていた。


「お前は好きだった」

「そう、かな……」

「ああ、間違いないな。過去の気持ちを否定する必要はない。いい思い出は綺麗なまま残してまた次へ進んでいけばいい」

「そう、だよね……あたし、好き、だった。ユウくんを。でも、……もう好きじゃない」


 涙が伝った跡が乾ききらないうちに再び頬を濡らす。干上がった河が再び水を湛えるように。

 目はすっかり充血して擦ったせいか眦も色付いてしまっている。それでも彼女は泣くのをやめなかった。

 決壊したダムがもはや元には戻らないように、無理をして堰き止めていた感情が溢れ出すのを止めることができなかった。


「これ被っとけ」


 涼也は結衣が付けていたカチューシャを取って、自分が被っていたファンシーなキャラクターの帽子を彼女の頭に被せた。

 帽子は結衣には少し大きい。そのおかげでちょうど目元と、横に垂れるファーが涙が伝った頬を隠してくれた。


「あんた、いい男じゃん。彼氏にしてあげてもいいよ」

「馬鹿言うな、俺には彼女がいる。……かわいいかわいい彼女がな」


 涼也が柄にもなく惚気ける。

 景は自分の耳を本気で疑い、目を点にして彼の表情を見る。瞬きひとつしないのは相変わらずだったが、耳がほんのり赤みを差していた。


「ぷっ……似合わなっ!」


 結衣が噴き出す。彼女からは大きめの帽子が邪魔で涼也の顔は見えないはずだが、あまりにも似合わない台詞に違和感があったのだろう。

 景も彼女につられて笑い出す。


「別れたばっかの人に普通惚気けるぅ?」

「傷心ぶって俺を誑かしてきたからな」

「ひっど! ほんとに悲しいのに! ……ぷふっ、あははは」


 結衣は笑った。赤くなった目を細くして、白い歯をいっぱいに見せて笑った。

 涼也の位置からは彼女の表情は見えないはずだ。でも、彼は安心したように微笑んでいた。


 景は羨ましいと思った。顔を合わせなくても分かり合える関係を。言葉だけで語り合える相手がいることを。

 同時に人の顔色ばかり気にしているうちは一生手に入らないものだろうとも悟った。


 しばし経って、注文しに行った他の皆もプレートを抱えてぞろぞろと席へとやってくる。

 結衣は未だにけらけらと腹を抱えていた。

 注文を終えて帰ってきたら何故か大笑いしている結衣の様子を見て、皆一様に顔を見合わせて不思議そうにした。

 結衣と席にいた景に説明を求める視線が集まるが、景は何も言うつもりはなく、ゆっくりと首を横に振って応じた。


「どうした結衣。何か楽しいことでもあったのか」


 仕方なさそうに肩を竦めた凛が代表して、本人に直接尋ねた。結衣は笑顔で言った。


「実は、ユウくんと別れたの」


 皆が驚きに包まれるのを肌で感じた。そして、皆の頭の上に疑問符が浮かぶ。ならばなぜ笑っているのか、と。

 無言の問いに結衣が答える。


「でも傷心のあたしにつけこんで涼也が口説いてきてね、あははっ!」


 皆が一斉に涼也の方を見る。凛は見る、というより、もはや睨みつけていた。

 涼也はとんでもない、といった様子で慌てて首を振った。


「おい」

「えぇ? あれ口説いてるんじゃなかったのぉ?」

「違うに決まってるだろ」

「かわいいかわいい彼女にしてやるよって言ってなかったっけ?」

「言ってないっ」


 世にも珍しく、大慌てで否定している涼也を結衣はにやにやしながらからかい続けた。

 彼らのやり取りを他の皆は困惑の表情で見守り、景は一部始終を楽しんだ。


 涼也とじゃれ合う彼女の目には涙が浮かんでいた。

 悲しくて泣いたのか、笑い泣きなのか、あるいはそのどちらもか。

 判然としなかったが、それでも彼女の眦から流れる雫は、まるで宝石のようにきらきらと七色に煌めいて、とても美しかった。

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