第21話 きみはきっとそうじゃない

 二人と一匹は小一時間ほど公園内を散策し、犬も人間も程よく疲れたところで木陰のベンチで休むことにした。


 優しい色合いの木でできたベンチに座ると青い風が吹いて火照った体を冷ましてくれた。

 プレーンは足元で休んでいる。流石のお転婆娘も元気いっぱい歩き回ってお疲れの様子だった。


 男女並んでベンチに座り、足元には犬。傍からは犬の散歩に訪れた仲のいい恋人同士かあるいは兄妹に見えるかもしれない。

 でもそれは決して口にしなかった。景も、遥香も。


「ねえ」


 風に乗って遥香の透き通るような優しい声が景の耳に届く。


「うん」

「この間の電話で話したことなんだけどさ」


 景は静かにその続きを待つ。


「わたし、すごい自分勝手だったと思う」


 そんなことはない、と言った方が良いか迷ったが、事実その通りだと思ったので黙ったまま彼女の横顔を見る。


「わたしはきみが好き。でも、きみはきっとそうじゃない」


 きっとそうじゃない、という言葉が消え入りそうなほど微かな声で紡がれる。

 それではいけない、と顔を上げて自分を奮い立たせるように、声が霞んで消えていかないように、彼女は「だから」と力強い瞳で景の双眸をとらえる。

 彼女の穢れのない澄みきった二つの水晶体は景を掴んで離さなかった。


「だから、わたしと普通に友達になってほしい。友達になってこうしてたまに一緒に歩きたい」


 そう伝えた後、だめかな、と不安そうな顔に戻って景の答えを待った。

 友達になってほしい、だなんて歯の浮くようなセリフをよく言えるな、とは思えなかった。彼女があまりに真剣な目で訴えかけていたから。


 景は少し考えてから、やがて落ち着いた声で静かに口を開いた。


「春日井さんがいったい何を俺に期待しているかわからない。けど、俺は春日井さんが想像するほどいい人でも立派な人間でもないよ。むしろ屑とか悪人の方に入る部類だ」


 そうなのだ。自分は遥香のような優しい子が好意を寄せていいような人間ではない。

 遥香にはもっと気が合いそうな素敵な人がいる。例えば直輝とか。

 だけど、あくまで友達なら、友達として接してくれるなら。


 一呼吸置いて、遥香にふっと笑いかける。 


「それでも良ければだけど。たまに散歩しよう」


 景は、我ながら卑怯な答え方だと思った。自分に防衛線を張った上で相手に飛び込んでこいと言う。彼女をどれだけ傷つけるかわからない。

 それでも遥香は景の言葉を聞いて嬉しそうにはにかんでいた。

 傷つけるついでだ、前から気になっていたことをこの際に聞いてしまおうと思った。


「春日井さんてさ」


 遥香が「なに?」と小首を傾げる。

 直輝あたりがまともに見たら一発で悩殺されそうな仕草だった。いや、彼はもう悩殺されているか、と考え直す。

 景は特にイチコロにされることもなく、今日の天気でも聞くかのように尋ねた。


「俺のどこが好きなの?」


 あまりにデリカシーの欠如した景の質問に、遥香は無言で彼の肩にパンチを食らわして、それを答えとした。

 景とは違い、彼女は優しくはなかった。パンチしただけでは飽き足らず、あろうことか「春日井さん、じゃなくて遥香って呼んでくれたら許してあげてもいい」などと宣ったのだ。

 景は当然のごとく拒否した。やんわりと。


「でも、友達なら下の名前で呼ぶものでしょ、景くん?」


 遥香は顔どころか首元まで真っ赤に染めて景の名前を口にした。

 そんなに恥ずかしいならわざわざ呼ばなければいいのに、と呆れる。

 友達だからといって必ずしも名前呼びであるというわけではない。あだ名や愛称、あるいは苗字で呼んでいたとしても友達は友達だ。呼び名ひとつでその事実が揺らぐことなんてない。


 でも、彼女にとってはどうだろう。

 景の友達である直輝や涼也を名前呼びしているのに、なぜ自分だけ苗字でさん付けなのかと疑問を抱いて、そこに距離を感じたのかもしれない。

 これから友達として仲良くなりたいと思っているのに他の友達と差別されたら悲しいだろう。

 景はそう自分を納得させた。自分は優しい男なのだ、と。


「わかったよ。遥香」


 日はまだ落ちていないのに、彼女の白い頬は紅を映していた。

 口元には嬉しそうに、でもほんの少し寂しそうな笑みを湛えて。


 景はなぜかその笑顔から目が離せなかった。プレーンが足元でわん、と吠えなければ一生そのまま魔法にかかっていたかもしれない。

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