第16話 憤死

 週が明けた月曜日、心なしか普段よも明るい雰囲気が教室を包んでいた。

 生徒たちは、根をつめて勉強した中間試験のリフレッシュ、久々の部活動の再開でなまった体を叩き直す、あるいは部を既に引退していて受験勉強に熱意を注ぐなど、それぞれが思い思いの休日を過ごしていた。


 無論、景も久々の自由を謳歌し、土日の二日間、家にてソファに根が張るほどリラックスして過ごしている。そのおかげでいつもより数倍は気力に満ちている気がする。

 教室が活気づいているのは試験からの解放感によるものだけではない。九月に控える文化祭への期待感による後押しもあったはずだ。

 だが、光が差し込み、朗らかなこの教室を見渡しても、誰よりも元気と明るさが似合う男の姿がない。


 昼休みの放送が流れるのに混じって、手元の携帯電話から出るメッセージアプリの通知音を聞くや、景は縋り付くように画面に目をやる。

 直輝からのメッセージだ。

 通知を開くと、鼻を膨らませ、目をこれでもかと大きく開いた仁王像のような顔の直輝が手をクロスして胸に置き、自室のベッドで横たわっている写真が一枚、それと『憤死』というメッセージが添えられていた。

 不謹慎極まりない冗談であるが、思わず笑いが漏れてしまう。

 隣に座る涼也がどうかしたかと目で伝えてくる。彼に画面を見せると口元をにやりと歪めた。悪役みたいな笑顔の作り方を見て、景はさらに笑顔の皺を深める。今日初めて二人が心から笑った瞬間だった。


 直輝は中間試験での無理が祟ったのか、あるいは久々の部活動に精を出しすぎたのか、土曜日の夜に体調を崩したのだという。

 送られてきた写真を見る限り、今はもう元気そうだ。普段全力で生きているのだから、風邪の時くらいはゆっくり休んでほしいと思う。

 景は安堵したが、その安堵には直輝の容体とは別にもう一つの意味があった。それが直輝のいない一日がようやく終わりを迎えることだった。


 彼が学校を休んだことで、本当にその存在は偉大だったと改めて痛感させられた。

 例えば、移動教室の時、普段なら直輝が「景、りょーや行こうぜ!」と当たり前に誘ってくれていた。

 しかし、今日はその声もなく、自分から涼也に声をかけるか迷い、散々迷った挙句、声をかけることにしてそのタイミングを見計らった結果、席から立って座ってを繰り返すという奇行をしでかしてしまった。移動教室の道中も会話は当たり障りのない一言、二言だけ。昼休みに至っては既にした会話の焼き直しもいいところだった。

 本当に自分は涼也との会話が下手くそだということを嫌というほど実感した。

 逆に涼也以外であれば、どんなに仲良くないクラスメイトとでも普通に会話できる自信があった。

 であれば、原因は涼也の方にあると考えられるが、彼も景以外とは普通に言葉を交わせている様子なのだ。もちろん口数は少ないが、それでも気まずくなっているような雰囲気はなかった。

 つまり、景と涼也は絶望的に相性が悪いということになる。クラスが一緒になってからの二ヶ月間、薄らと自覚はあったかもしれないが、まさかここまでとは夢にも思っていなかった。二人の壊滅的な相性を誤魔化し続けていたのが、直輝だったのだ。


 彼は自分と涼也があまり仲良くないことに気づいていたのだろうか。今だって、きっと二人が困っているだろうと察して、面白い写真を送ってくれたのかもしれない。

 意図してかそうでないか、どちらでもいい。とにかく不毛だった昼食の場を救ってくれた直輝に感謝する。

 敬意を込めてこれからは救世主と呼ぶことにしよう。

 直輝の写真でひとしきり笑った後、完全にとはいかないが二人の間の気まずい空気はいくらか取り除かれたようだった。

 開かれた窓から教室内を涼しい風が巡る。六月も間近に控え、蒸された室内の熱を運び去ってくれているようだ。カーテンの隙間からは容赦なく日差しが降り注ぎ、眩しいくらいに床を照らしていた。


「金谷」


 ふいに隣から名前を呼ばれ、窓の方から涼也へと視線を移す。

 先程の悪役の笑みはどこへ消えたのやら、彼は相変わらずの無表情だった。だが、悩んでいる様子だというのは何となく伝わってくる。静かに彼の次の言葉を待った。

 少し間が空いて、やがて決心したのだろう、涼也が口を開く。


「実は、ひとつ頼みがあるんだが」


景が頷く。一拍置いて涼也が続ける。


「付き合って、欲しい」


 彼の告白を聞いて、以前にも似たような経験をしたな、とデジャブを感じながら、景は紙パックのわずかに残ったレモンティーをずずっと音を立てて飲み干した。

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