第15話 延長五回
「それでは多数決の結果、二組の希望する出し物はお化け屋敷に決定します」
教壇に立っている遥香が話し合いの結論を宣すると、クラス内のほぼ全員からの拍手が起こった。
「はーい! じゃ、来週の、えーっと何曜日だっけ? そう火曜日! に抽選してくるので、みんな、おれにパワーを送るように!」
直輝が両手で力こぶをつくるポーズをすると、何人かから「頑張れー」や「負けたら許さねえぞー!」などの野次が飛ぶ。教室全体が暖かい笑いに包まれて、室内の温度が一度か二度上がったように感じられた。
直輝の隣に並んでいる遥香も困ったような顔でくすくすと笑っていた。
景はその様子を見て、いい組み合わせだなと思う。抽選会の日程を忘れた直輝をフォローし、円滑な進行役に徹する遥香と、退屈になりがちな話し合いの場をうまく盛り上げる直輝。さながら、お似合いのカップルだった。
結衣ではないが、この二人が付き合ったならそれはそれは盛大に祝福しよう。具体的にはラーメンで祝杯をあげる予定だ。
だから、尚更わからなかった。遥香が自分のどこに惹かれているのか。
景は窓の外を見やって遠い目で昨晩の出来事を振り返る。
ここ二週間ほど、遥香と景はメッセージアプリでお互い連絡を取り合っていた。
連絡、いうほど大袈裟なものではなく、きっかけはプレーンの写真で、話の内容は何気ない雑談がメインだった。
雑談くらいなら、友達同士であれば誰でもするだろう。しかし、普通のやりとりと一味違ったのは、その長さであった。長さといってもメッセージが長文だったというわけではない。期間の長さだ。
二週間だった。二週間の間、一度も会話が途切れることがなかったのだ。会話が二、三日にまたがることはあれど、それが二週間続くというのは景にとっては初めての経験だった。
それに加えて、平日は毎日顔を合わせているのにもかかわらず、現実ではほとんど会話する機会がなかったというのが、ちぐはぐな様相を呈していた。
基本的にメッセージをやり取りするのは、家に帰った後、ちょうど夕飯の前後くらいの時間に始まり、ベッドに入って眠りにつくまでの数時間である。
その間、常に携帯電話に張り付いているというわけではなく、携帯電話を触るタイミングで一緒に返信する。
そして、学校にいる間は基本的にはメッセージのやり取りは行わない。これがどちらともなく始めた暗黙のルールだった。
学校で本人が目の前にいるのにわざわざ手元の小さな画面上で文通するのもおかしな話なので、そこに関しては特に疑問は抱かなかった。ただ、現実とオンラインとのあまりのギャップには何とも言えない微妙な気分になったが。
会話が途切れそうになると、遥香が新しい話題を混ぜ込み、延長を図る。再び話の終わりが見えると景に関する質問へと上手くシフトしてトークは続いていく。
まめな方ではない景もなぜか遥香とのやり取りは苦ではなかった。もはやルーティンワークとして生活の一部に溶け込んでいたのかもしれない。
そうしてだらだらと行われる延長戦が五回を迎えた頃、つまり、つい昨日のことだが、大きな変化を見せる。
昨日は予備校に行かない日だったので、いつものように家に帰って少し勉強してからベッドに寝転んで夕食の時間を待っていた。
持て余した暇を潰すべく携帯電話に手を伸ばし、画面に指を滑らすと、昨晩、遥香から送られてきていた『やったー! 明日でテスト終わりだね! テスト終わったらなにしたい?』の返信がまだだったことに気づく。
少し考えてから『受験勉強』と打ち込む。
オンライン上での景は遥香に対して少し意地悪だった。遥香もそれを楽しんでいる節があるようで、景のそっけない物言いや冗談めかした言い回しに対しても軽快に返してくる。
たぶんこのメッセージにも『人生楽しいかな?』といった感じで返信してくるだろう。
そう予想を立てて送信を押そうとすると、突然、携帯電話が聞き馴染みのある、ボールが跳ねるような着信音で鳴動した。景は驚いてひっくり返った拍子に画面に表示された応答のマークをスワイプしてしまう。
「もしもし? 春日井さんだよね? どうしたの?」
落とした携帯電話を慌てて拾って、電話の相手が一瞬見えた名前で間違いないか確認する。
『うん、ごめんね急に。なんか間違って電話のとこ押しちゃったみたい』
「そう、それなら気にしないで。じゃあ、また」
電話を切ろうとすると『待って』という彼女の声が電話口の向こうから聞こえてきた。
「なに?」
『せっかくだから、少しお話ししませんか』
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
前に、携帯電話から聞こえてくる声は本人のものではない、と言う雑学をテレビか何かで見たことがあった。限りなく本物の声に似せて作られた合成音声であると。
だが、電話越しに耳から入ってくる遥香の声は、息遣いは、偽物なんかではなく、電波の海の向こう側に存在する確かなものだと景に感じさせた。
もしかしたらいつの間にか技術は進歩していて、自分の手の中にあるものは本物の声を届けられる携帯電話なのかもしれないとも。
なにを動揺しているのだ、と自分自身を窘める。
普段は文面で行われている会話が今日はたまたま音声になるだけだ。特別なことは何もない。変に意識してしまって自分に嫌気がさす前にどうにか落ち着こうとする。
本当になにを動揺しているのか。
景はこれもどうせ合成音声に変換されるのだから、とおざなりに「いいよ」と返事をした。
すると、小さい『やった』が耳に届く。
景は遥香のことを嫌いになりそうだった。だがすぐに、彼女を責めるのはお門違いだと思い直す。悪いのは全部自分なのだから。
それからどれくらい時間が経ったのか見当もつかなかった。母親が夕飯の知らせに部屋にやってきていないので、案外、時はそれほど過ぎていないのかもしれない。
どんな脈絡でそうなったのかはもう覚えていない。
『わたし、金谷くんのことが好き』
今度は自分でも驚くほど冷静に言葉の意味を呑み込めた。
もし返事をしていたならば、景の声色は本物の合成音声よりも合成音声っぽい、冷たくて無機質なものだったに違いない。
だが、景の口から合成音声が発せられることはなかった。
『返事は大丈夫。わたしが好きだってことだけ知っていてほしかったの』
景は何と返せばいいのかわからず、しばしの沈黙が流れる。
『じゃ、また明日学校で。話かけてくれるとうれしいな。ばいばい!』
ティロンと物を落っことしたような通知音がして電話が切れたことを知る。
遥香は一方的な告白とメッセージ欄の通話終了の文字、それと景の中にもやっとした感情を残して去っていった。
昨晩の出来事についてぼーっと考えていると、ふいに、遥香と目が合う。しかし、すぐにパッと逸らされてしまった。
昨晩の彼女と現在、黒板の前に立って話し合いを進行している彼女が同一人物に見えないのが不思議である。何だか良くないことをしているみたいな妙な後ろめたさがあった。
遥香の隣に立つ直輝に目をやると、時折頷きつつ、真剣な眼差しで彼女の話をよく聞いていた。
景は誰にも聞こえないように、小さく溜め息を吐くのであった。
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