第13話 女に二言はないのだよ

 校舎の一階を出て体育館へと続く吹き抜けの渡り廊下の途中、校舎の壁に沿って二つ並んだ紅白の自動販売機の元まで来るとそこにはすでに先客がいた。

 ウェーブがかかった明るめの髪色にゆったりと着崩した制服の少女。

 ふわふわとした印象のシルエットは見間違えようがない。内田梨花筆頭の仲良し三人衆が一人、成瀬結衣なるせゆいだった。


 景はすぐさま付近に梨花がいるのではないかと辺りを警戒するがその姿は見えず、一旦は胸を撫で下ろす。

 しかし、決して安心はできない。梨花がいつやってくるかわからない状況の中、呑気にジュースなど選んでいられない。

 一度この場を離脱しようと、踵を返しかけたタイミングで、飲み物を買い終えた結衣とばっちり目が合ってしまった。


「飲み物、買うんじゃないの?」


 変な体勢で固まっている景に、結衣が不思議そうな顔で尋ねる。


「まあ、そうだね」


 景は観念して自動販売機へと近づき、ポケットから財布を取り出そうとして気づいた。体操服に着替えたため、財布は教室のロッカーの中にあるということに。

 わざわざ教室に取りに帰る時間もない。直輝にどやされる未来が目に浮かぶが仕方ない。

 コーラは諦めようと景が顔を上げると、横から伸びてきた手より千円札がじじーっと音を立てて自動販売機に飲み込まれていく。


「貸したげよう」


 驚いた顔の景を見て、結衣はしてやったりとでも言いたげな表情を浮かべていた。


「いや、悪いよ」

「いいからいいから」

「でも……」

「ふっふ、女に二言はないのだよ」

「……ありがとう。教室戻ったらすぐ返すよ」


 景は彼女からお金を借りていいものか、一瞬悩むもここはありがたく厚意に甘えることにした。

 たくさんの種類の飲料が並ぶ、自動販売機の上の方で光っているボタンを間隔を空けて二度押す。


「二本も飲むの?」

「一本は直輝の分」


 結衣はなるほど、と納得した顔をする。

 景はしゃがみ込んで、取り出し口からコーラを引っ張り出そうとするも、挟まってて上手く抜けず、手こずっていた。どうにか出そうと躍起になっていたせいで、会話の方まで意識が向いていない。


「最近わんこ元気?」

「ああ、元気そうだよ」

「ふうん、そっかー。ふうーん」

「……なに?」


 やっとの思いで二本のコーラを取り出し、立ち上がった先には結衣がにやにやと口元に笑いを浮かべていた。


「こないだ春日井ちゃんのとこにいったって聞いたけど、そっかそっか、元気そうかぁ」


 含み笑いの真意は掴めないが、恐らく自分と遥香との関係を揶揄いたいのだろうと当たりをつける。

 だが、その揚げ足取りには無理があった。まだプレーンを引き渡して数日程度しか経っていない。引き渡しの時に元気だったなら今もまだ元気だろう、という予想くらいはつく。例え彼女からの連絡がなくても。そもそも、適当に相槌を打っていたのだからいくら深読みしたところで意味はない。

 景はそう反論しようとして口を開く。が、結衣の言葉に遮られた。


「実はあたしこの間の土曜日に二人が仲良さげに歩いてるとこ見ちゃったんだよねー」


 やられた。

 知り合いに出くわさないか警戒していたはずだが、まさか彼女に見られていたとは。忽ち噂となって影で有る事無い事囁かれるに違いない。

 絶望する景に結衣が恩着せがましく笑いかける。


「ふふふ、大丈夫! 内緒にしたげるから! 金谷くんて春日井ちゃんと付き合ってるの?」

「付き合ってないよ」

「ほんとぉー?」

「本当。土曜日は買い物に付き合ってただけだよ」


 ここはしっかりと否定しておかねばならない。後々、変な勘違いされても困る。

 完全に否定したにもかかわらず、結衣は「怪しいなぁ」と疑ってるような目で見てくる。

 これ以上追求されても面倒なことにしかならない予感がしたので思い切って話題を変えることにした。


「成瀬さんは誰か付き合っている人はいるの?」

「あたし? いるよ、彼氏」

「どんな人なの?」

「もう超かっこいいよ! それでね、聞いてよー! この間ゲームセンターに行ったの! そこであたしが欲しいって言ったコウタロちゃんのぬいぐるみをユウくんが、あ、彼氏はユウくんっていう名前なんだけどね、取ってくれたのー! もうほんとかっこよすぎてやばいわ!」


 一聞いたら十返ってくるような勢いに景は辟易した。だが幸いにも、結衣の興味は景と遥香の関係から自分の彼氏へと移ったようで安心する。コーラはすでに汗をかいているがこの調子で少しの間、気分良く話をさせておくことにした。


「へえ、それはすごいね」

「でしょでしょ〜? UFOキャッチャーで欲しいもの取ってくれるとかリアルに漫画かと思ったよー! あ、あとユウくんかっこいいだけじゃなくてめっちゃ優しくてね……あっやばっ!」


 結衣の熱が上がってきたところだったが、授業開始を伝えるチャイムによって惚気話は強制終了させられる。


「続きはまた今度ね!」


 残念そうにするわけでもなく、むしろ元気になった様子の結衣は、景と一方的に約束を取り付けつつ、校舎に向かって駆け出した。

 続きは勘弁してほしい。


「かにゃやく、だぁっ呼びにくっ! えーっと景! 景くんでいいよねっ? 景くんはやくはやく〜! 授業始まっちゃうよ!」


 しまいには何も返していないのに、勝手に会話を成立させる結衣に尊敬の念を抱く。半分は皮肉だったが、もう残り半分は本当に尊敬していた。


 こんなにも壁を容赦なくぶっ壊してくる人は初めてだった。

 いや、正確に言えばもう一人いる。直輝だ。彼も自分を暗い谷底から引っ張り上げてくれた。

 一年生の頃の記憶がフラッシュバックする。落ち込んで暗い陰鬱な雰囲気を垂れ流していた自分に声をかけてくれた彼。その人懐っこい笑顔にいつしか救われていたのだろう。

 底抜けに明るい人は好きだ。自分の暗い感情に蓋をして、彼らに合わせて表面だけでも明るく振る舞うことを許されたような気がするから。


「今行くよ」


 待ちきれないといった様子で足踏みしながら少しずつ前へと進み始める結衣にそう声をかけて、駆け出す。

 思いっきり振られたコーラはきっと教室で温い泡となって吹き出すだろう。でも、この時ばっかりはそれも悪くないと思えた。

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