第12話 おれ、コーラで!
プレーンを引き渡してからの景の生活は彼女を拾う前と何ら変わらない日常を取り戻していた。
あの日以来、遥香とぐっと距離が近づいて新しい恋が芽生えた、なんてことはない。せいぜい彼女から送られてくるプレーンの写真に一言二言返信する程度で、学校で親しく会話することもない。
景はいつもの二人、直輝と涼也とつるみ、遥香は仲良しの女子とお喋りに興じる。二人の生活は交差することなく、それぞれ収まるところへと収まっていた。
「あー、早く中間終わらねえかなー」
三限の体育の授業が終わり、ぞろぞろと教室へ戻っていく白い体操服集団から一歩遅れて、三人でたらたらとグラウンドを歩いていると、直輝が天を仰いだ。
中間試験を来週に控え、先週末から部活動停止期間に入っていた。
部活に入っていない景にとってはいつも通り放課になれば帰るだけだったが、部活に打ち込んでいる者にとってはそうではない。思いっきりグラウンドを駆け回ってサッカーができないストレスか、はたまた別の要因か、この頃直輝は心ここに在らずの状態でぼけーっとしていることが増えた。
先の体育も貴重なサッカーの授業だったのにもかかわらず、活躍するどころか小さいミスを連発して試合に負けていた。かといって、負けを取り返すべく積極的にボールを追ったかといえばそんなことはなく、むしろ、積極的に追うのを諦めていたと言える。そのおかげか、常ならば真っ黒にする勢いで汚す体操服が純白を保っていた。
こうも普段と異なる彼を見ると些か心配にはなるが、何と声をかけて良いものか、どうにも訊き倦む。
ちなみに、彼は「全然勉強してねえ!」と清々しく宣言しており、そういう牽制をするタイプでもなかったので、勉強が原因ではないことは予想がついた。その根拠として、彼は一年生の頃、定期考査の度に何かしらの教科で赤点を取ってクラス内順位で最下位付近を争っていたことが挙げられる。
「景はちゃんと勉強してんのー?」
「まあ、ぼちぼちかな」
「おー、りょーやも?」
「受験もあるしな」
「そうだよな、おれも勉強しないとなー」
とても勉強するようには聞こえない間伸びした返事だった。おそらく彼は今日も勉強に身が入ることはないだろう。そういう景も受験に向けて熱心に勉強しているかと問われれば決してそんなことはなかった。
景の通う高校は『それなりの進学校』という名を恣にするだけあって、生徒のほとんどが大学へと進学する。早い者は一年生の終わりにはすでに受験を意識し始め、二年生の終わりには参考書を開くなり、予備校に通うなりの行動を起こす生徒が多くいた。
例に漏れず、景もこの春から予備校に通い始めたものの、来たる受験戦争に燃えているわけではなかった。
単に、部活をやめて時間が余っていたのと、両親に勧められて体験授業を受けたら、流れであれよあれよという間に入校する流れとなっただけだ。
今のところ、苦手な英語のみ受講しているが、夏休みくらいには受講科目が増えているかもしれない。
大学受験、という実感はまるで湧かなかった。
幸か不幸か成績は比較的いい方だったので、きっとこのまま学力にあった大学を志望して、受験して、合格して、大学生活が始まる。そんな漠然とした未来を思い描いていた。
流れに身を任せるままの人生。
果たしてそれは前に進んでいると言えるのだろうか。
隣でのほほんとした様子の直輝を見る。
景には彼が確実に前へ前へと進んでいるように見えた。勉強は不得手だが、彼にはサッカーがあった。
キャプテンとして部をまとめ上げ、高校生活最後の大会に向けて本気で練習している。ここ数日こそぼんやりしているが、彼のサッカーに対する情熱が本物であることは景自身が身を以って知っている。
大会成績は芳しいものではないが、今年は全国だって夢ではない。そう思わせるだけの気迫を彼からは感じた。
そして、例え大会で思ったような成績を残せずとも、今度は大学でサッカーを続けるべく受験にその熱意を注ぐに違いないのだ。
景は直輝の芯の強さに尊敬の念を抱く。同時に彼が別の世界の住人のように思えて仕方がないのだ。
自分なんかが彼の隣を歩いていて良いのだろうか。
昇降口に入って太陽は姿を消したはずなのに眩しい。どうにも居た堪れなくなって彼から目を逸らす。
「俺、飲み物買ってから教室戻るよ」
そう告げて直輝たちに背を向けて歩き出そうとする。その背中に直輝が「待った」と声を掛けた。
「おれ、コーラで!」
人懐っこさにいたずらのスパイスが入った笑顔で注文を付ける。景はわかりやすく面倒そうに顔を顰めた。
「えー、ケチーいいじゃんかよー!」
「冗談、わかったよ」
「罰としておごりな」
「何の罰だよ」
ぶーぶー文句を垂れる直輝に笑って返事をする。それから涼也の方を見て何か欲しいものはあるかと尋ねる。
「いや、俺はいい」
「そう、じゃあ行ってくる」
「よろしくー!」
直輝の明るい声に送り出されて廊下を進む。
俺はいい、と答えた涼也は遠慮していたのだろうか。
だんだん遠くなっていく涼也に話しかける直輝の声を背に聞きながら思う。
仮に「お前の奢りで適当な炭酸」とか言われても反応に困る自分が想像できてしまうので、このまま現状維持でもいいかもしれない。
だが、それでも涼也との間に感じる微妙な距離感は決して居心地の良いものではなかった。
直輝に対する引け目と涼也との間の気まずさ。その二つを振り払うが如く、廊下を行く足は自然と速さを増していった。
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