第9話 いや、今来たところ
快晴の土曜日。
普段なら外がいくら晴れようが土砂降りだろうがお構いなしに家の中で一人パジャマパーティーを開催している景だが、今日は休日にしては珍しくちゃんとした格好で玄関を出た。
出かける準備をしていると、家族が口々に「あら、出かけるの?」「めずらしいな」「ちょっと、明日雪降られると困るんだけど」などと興味津々に景に声をかけた。それらを軽くあしらいつつ、彼らにプレーンの面倒を頼む。とことこ後ろについてくるプレーンの頭をひと撫でしてから、やる気なく間伸びした「いってきます」を置き土産に家を後にしたのであった。
電車を乗り継いで辿り着いた休日の駅前広場はそれなりに賑わっていた。
平日のようにせかせかと急いでいる人は少なく、どちらかと言えば、暇を持て余した人がのんびりと散歩していたり、友達や恋人と待ち合わせしたりしている人が多いようだ。
無論、景は後者だった。
暇を持て余してもわざわざ散歩には出かけない。散歩に出かけなければならないというのなら、容赦無く腹を出して寝て風邪を引く。その覚悟があった。
ゆえにただの散歩などでなく、待ち合わせのために駅前広場までやってきたのだが、待ち合わせているのが友達でも恋人でもない、という点で広場に集まる人々よりも少し特殊だった。
約束の十一時にはまだ十分くらいあったので、石のタイルを丸くくり抜いた土の地面に等間隔で植えられている木の陰に移動して休む。気温は高くないが、休日の体には些か厳しい陽射しだった。
まもなくして、駅の出入り口から一人の少女が辺りをくるくると見回しながら出てきた。景は木陰から出て、少女の方へと向かう。少女も景を見つけたようで、小さく手を振りながら小走りで近づいてくる。
「おはよう、待たせちゃったかな?」
「いや、今来たところ」
「そっか、よかった!」
二人はありふれた様式美の挨拶を済ませ、目的のショッピングモールがある方角へと歩き出した。
「ごめんね、今日は付き合わせちゃって」
初夏らしい爽やかな色に身を包んだ春日井遥香が、ロングスカートの端をそよ風に靡かせながら、いたずらっぽい笑みで気遣いを口にする。
「気にしないで。子犬を引き取ってくれるし、買い物に付き合うくらい安いもんだよ」
「ふふっ、ありがとう」
遥香は口の端を小さく吊り上げて、まるで心を覗こうとするみたいに景の横顔をじっと見つめた。景はその視線に気づかないふりをして、念を押しておく。
「でも、俺もちゃんと犬を飼ったことはないから役に立つかわからないよ」
「金谷くんなら大丈夫だよ」
何を根拠に大丈夫だと判断しているのか。
役に立つかわからない、というのは謙遜でもなんでもなく、事実だった。
景の飼い主歴は中学一年生と今を合わせても二週間足らずの素人もいいところであり、犬を二匹飼っているという涼也の方がよっぽど有益な情報を提供してくれるに違いないのだ。
五月の爽やかな風が吹いた朝の教室で、「犬を飼うのに必要なものを揃えたいから買い物に、付き合って」と頼まれた際に、そう説明したのだが、メッセージアプリの履歴を見せられて「嘘だったんだ」と脅迫、もとい残念そうな顔を見せられては、断るという選択肢はもはや景には残されていなかったのである。
隣を弾むように歩いている彼女は、意外に計算高く、強かなタイプなのかもしれない。あの時、「買い物に」という重要な要素を省いて「付き合って」とだけ伝えてきたのも、うっかりやおっちょこちょいなどではなくわざとそうしたに違いない。
きっと、無理難題な要求を先に提示して、後から提示する小さな要求を呑ませやすくするという、よくある手法に自分はまんまと踊らされたのだろう。
ショッピングモールまでの道のりは結構長かった。景は駅からバスに乗ることを提案したが、遥香が「こんないい天気なのに歩かないのはもったいないよ」と徒歩で行くことを希望したので、渋々その案に乗っかる。
道中、二週間後に控える中間テスト全然勉強してないことや遥香のバスケ部が地区大会優勝しただとか進路どうするだとか、そういう他愛もない話をした。女子はよく話題が尽きないよな、と遥香が最近はまっているらしいコンビニの何たらケーキの話を聞きながら感心する。
景と遥香は互いに友達、と紹介するのを憚るくらいには接点がなく、子犬事件以前に会話をしたことがあるかどうかも怪しい。せいぜい三年生で初めてクラスが一緒になって、席が一人挟んで前後になったことがあるくらいだった。その席も席替えをしたので今はもう離れている。
きっと子犬を拾っていなかったら、こうして隣を歩くこともなかったのだろう。いや、拾っていても、軽はずみな言動が無かったなら一緒に買い物はしていなかったと思う。
遥香とのくだらない話に花を咲かせながら、今の不思議な状況についてぼんやり考えていると、目的の建物が見えてきた。
「おおー、結構大きいな」
眼前に聳えるは巨大ショッピングモールであった。
数年前に完成したというそのショッピングモールは、かなりの規模のものだった。
まず、駐車場の広さに圧倒された。駐車場の土地でもう一つ別のショッピングモールをつくれるんじゃないかと思えるほどだ。建物は道路を挟んで四つの棟に分かれていて、それぞれが渡り廊下で繋がれている。景たちが用があるペットショップは、正面から見て右から三つ目の棟に入っており、そこまで辿り着くのも中々大変そうだった。
「来るのはじめて?」
「うん。春日井さんはよく来るの?」
「うーん、わたしはたまに来るかな。洋服とか雑貨見たり、映画を観に来たり。でもペットショップは入ったことないかも」
「そうなんだ」
訪れたことがあるという彼女の先導で数ある入口のひとつからモール内へと足を踏み入れると、そこは野球場かサッカーのスタジアムかと勘違いしそうなほど広々としていて、圧倒的な開放感があった。スタジアムばりに中央が吹き抜けの構造になっており、一階から三階まで中空を挟むようにしてずらっと各店舗が並んでいる。
景は柄にもなく、わくわくしていた。ひとつひとつ見て回りたい衝動に駆られるのを抑えて、平然と歩く遥香に合わせる。それでもやっぱり、通り過ぎていく店の中に何があるのか勝手に目が追ってしまう。
視線がぐるぐる移動している景を見て、遥香が堪えきれなくなったように小さく笑った。
「ふふっ、後でいろいろ見てまわる?」
顔の向きはそのままに、にやり、と口角を上げて挑戦的な目だけをこちらに向けてくる。
全く。舐めてもらっては困る。こちとら高校三年生だぞ。好奇心の抑えきれない子どもでもあるまいし、本来の目的から外れて道草を食うなど言語道断だ。強く抗議せねばなるまい。
そう息巻いている景の横を、ソフトクリームを持った二人組の女性がすれ違う。思わず目が奪われる。はっと気づいた時には既に遅かった。遥香はにやにやと笑みを深めてこちらを見ていた。景は目を逸らす。
「時間が余ったらで」
それが精一杯強がって返答した結果だった。
ペットショップも想像より何倍も大きかった。一階と二階にまたがって、犬に猫に鳥、魚類に爬虫類、果ては両生類に至るまでありとあらゆる動物用にたくさんの商品が展開されていた。
ポピュラーなペットほど、コーナーの面積も増していき、犬猫はドッグ(キャット)フードひとつとっても選ぶのに難儀する種類の多さだった。
ドッグフードコーナーで二人でむむむ、と唸っていると親切な店員に声をかけられ、犬の種類と年齢を聞いてそれに合致するものを見繕ってくれた。降って湧いた僥倖を逃すまいと、その親切な店員に犬用のおやつとペットシートのおすすめも聞いて、迷わずカートに放り込む。
どれも絶妙に値が張るものをおすすめしてくるあたり、この店員は商売上手のやり手なのかもしれない、と心の中で密かに思う。だが、親切にしてもらっている以上、文句はない。
それに、実際に会計するのは遥香なのだから、彼女が納得していれば良いのだろうが、合計金額が超高校級になりそうなのが気がかりだった。さりげなく彼女に尋ねてみると軍資金はたんまりもらっているらしく、心配はないと豪語していた。自腹を切らない買い物ほどお気楽なものはない。彼女も鼻歌を口ずさんで楽しそうに商品棚を流し見していた。
遥香はおもちゃだけは自分で選びたかったらしく、あーとかおーとか時々息を漏らしつつ、かなりの時間、カラフルな棚と睨めっこした挙句、へんてこりんな形をした淡いグリーンのおもちゃを選び出した。
景は彼女のセンスに目を疑ったが、さっきの親切な店員さんが通りがかって「いい物を選びましたね」なんてにこやかに宣うものだから、彼女は得意げに鼻を鳴らして「褒められちゃった」と嬉しそうにしていた。
その様子を見て、やっぱり店員さんは商売上手だな、と改めて思うのであった。
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