第2話 出会い
捨てられた犬に出会うのは今回で二回目だった。
華々しくもなければ、みすぼらしくもないごく一般的な高校三年生の十七年と少し、という短い人生の中で二回目である。たった十七年で二回も出会ったのだから、これから年をとって死ぬまでの間にあと三、四回は出くわす可能性が高い。ともすれば、実はダンボール箱の捨て犬は意外に珍しくもないのかもしれない。そこまで考えて、それがとても悲しい事実である事に気がつく。
景が初めて捨て犬に出会ったのは、まだ中学一年生の時だった。
下校途中に通りがかった河川敷で、橋桁の下の段ボール箱の中に入った鼻の周りが黒い雑種犬を偶然発見した。まだ世間知らずで純粋だったその頃は、わんともすんとも吠えず、つぶらな瞳だけで訴えかけてくる雑種犬をどうしてもそのまま見捨てることができなかった。
結局その時は、家に連れて帰ったはいいものの、両親から飼育の許可を得られず、数日後に保健所に送られるという悲劇的な結末を迎えてしまった。十三歳の自分では犬一匹救うことができない。やるせない気持ちに涙を流し、大人になったら必ず迎えにいくのだ、と決意を固めたのも遠い昔のことのように思える。
あの時の雑種犬は今どうしているだろう。引き取り手が見つかり、素敵な主人のもとで幸せに暮らしているだろうか。それとも……。
「なあ、景!」
ありし日の苦い思い出に浸っていると、
「やっぱ学校に連れて行くしかないよなー?」
直輝の同意を求めるような呟きにうんともううんともとれる曖昧な相槌を打ちつつ、もう一度、箱の中を覗き込む。
中には枯芝のような色をした子犬が一匹。犬種は柴犬だった。それと寝床代わりの毛布、水と餌皿も一緒に入れられていた。まだ捨てられて間も無いのか、水は皿たっぷりに入っており、餌皿にもドッグフートがいくらか残っている。その状況証拠からしても、紛うことなき捨て犬だった。
しばしば、捨てられた子犬のように、と形容されることがあるが、この子犬は自分が捨てられたことにも全く気づいていないのだろう。きょとんとした顔で何の警戒もせず、こちらを見上げている。まだ世界の何をも知らない。そんな無垢な目をしていた。
ふいに、その視線がぐらっと揺れて外される。見れば直輝が子犬の入った段ボール箱をゆっくりと持ち上げていた。
「よし、じゃあ行こうぜ!」
「待った、本当にそいつ連れていくの?」
「おう。このままここに置いていってもしょうがないし、もう家より学校の方が近い距離だし」
人懐っこい笑顔を浮かべて「それに」と続ける。
「学校に行けば、飼ってくれる人も見つかるかもしれないっしょ?」
「それはそうかもしれないけど……」
けれど、見つからなかったらどうするつもりなのか。
助けるという行為は責任を持つことと同義である。子犬を拾ったなら、その子犬が老犬になって寿命を全うするまでそばにいてやるか、飼い主を見つけて引き渡すまで見守ってやらなければならない。万が一、飼ってくれる人が見つからなければ、この手で保健所に送ってやらなければならない。それが責任というやつだ。
一度責任から尻尾を巻いて逃げ出した自分がそれを語るのもどうかしていると思ったが、それでも、もうあんな思いをするのはごめんだった。
幸いにも今はゴールデンウィークも明けて五月も中頃に差し掛かっている。子犬をこのまま公園に置いていっても凍えたり、暑さに喘ぐこともないだろう。小さい公園だが、人はそこそこ訪れる。誰かしら見つけてくれる人が現れるはずだ。
だからといって積極的に直輝に「置いていこう」とは提案しなかった。
見た目の軽薄さに対して、意外に情に厚く頑固者な彼のことだ。子犬を見捨てるという選択肢は端から無いはずだ。一応は反対意見に耳を傾けてくれるだろうけれど、でもやっぱり最後は、自分の意見を通すに違いない。
それに。
強く反論して、直輝に自分が子犬を見捨てるような冷たい人間だとは思われたくなかった。そして、自分が薄情で冷淡な人間だと思い知らされるのも嫌だった。
景は自分が間違った人間であることを常々感じていたのである。この状況であるべき人間の姿として正しいのは、子犬を見捨てる方じゃなく連れていく方なのだから、と。
腹の底に沈めた景の気持ちを知ってか知らないでか、直輝は「安定しなくて危ないから」と子犬を抱っこするように頼んできた。言われるがままに子犬を抱きかかえる。
子犬の体温は想像よりも高くて、骨格は意外にもがっしりとしていた。子犬は腕の中から不思議そうにこちらを見上げている。くりっとした黒目に、ぴんと立った耳、濡れた鼻。いっちょ前にくるんと丸まったしっぽ。
こんなに愛らしく、小さな体であっても確かに命が宿っている。それが腕から直に伝わってきて、何故だかわからないけれど、心臓が高鳴りが止まらなかった。
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