【小話】ニャンとか言えって
──ある日のこと。
「……バ先にムカつく奴がいるんだけど」
「え?」
いつものように俺の家にやってきた康太と、何をするでもなく部屋でまったりしていると、突然、康太がそう言った。
バ先っていうのは……バイト先のことだよね。ということは、これは……つまり。
──し、仕事の愚痴だ……!
雷が落ちたような衝撃が俺に走る。なんてことだ。康太の口から、愚痴が。しかも、仕事の愚痴が出るなんて。
この瞬間、ずっと一緒にいた幼馴染が、なんだか急に大人になった気がして、俺はなんだか少し寂しくなった。
すると、そんな俺の内心を知ってか知らずか、康太が「瞬?」と顔を覗き込んでくる。
はっと我に返った俺は「ごめん」と言って、首を振った。
──と、とにかく。
「康太……俺は、何があっても康太の味方だよ。大丈夫。辛いことがあったら、何でも俺に言って……受け止めるから」
咄嗟に康太のことを抱きしめてそう言うと、腕の中の康太が「お、おい」と慌てる。
「そこまで大した話じゃねえって……」
「で、でも……康太、最近毎日バイト入ってて、疲れてるのに、こうやって俺に会いに来てくれてるから……せめて……」
「いや、これは、俺が……好きで来てるだけだって」
「……そっか」
「……おう」
空気が妙にほわっとしたところで、康太が「とにかく」と言った。
「まあ、マジで大したことじゃねえから、聞いてくれ……」
「うん、分かった。で……えっと、康太が言うには、バイト先にむ、『ムカつく奴』……がいるんだっけ」
「ああ」
頷く康太に、俺は少し考える。
口は悪いけど、いわゆる陰口とかは言わないタイプの康太が、わざわざ言うほどの「ムカつく奴」だもんね。
年上の先輩とか?それとも年下だけど、バイトでは先輩……みたいな。あるいは、常連さんとか?
色んな想像を巡らせつつ、俺は康太に尋ねる。
「どんな人なの?」
「まず、人じゃない」
「え……」
本日、二度目の衝撃だ。
そこへさらに、康太が「ムカつく奴」の特徴を挙げていく。
「寸胴体型で妙な歌を歌いながらホールをうろつく」
「う、うん……?」
「そしてよく何かに突っかかる」
「へえ……?」
「おまけに、語尾に『ニャン』を付けて喋る」
「
俺が言うと、康太は「そう、そいつだ」と手を叩く。
……なんと、康太の「ムカつく奴」とは、ファミレスとかで最近見かける、
高校の近くのファミレスは、康太の「バ先」の一つだけど、そっか。そういえば、あそこにも最近あの「ネコちゃん」が入って来てたような気がする。
「でも、どうしてそのネコちゃんが『ムカつく奴』なの?」
「あいつがうろちょろしてるせいで、この前常連のおっさんに『おう、兄ちゃんもニャンとか付けて喋ってみろや』って言われたんだよ!クソが」
「八つ当たりじゃん」
かわいそうに。ネコちゃんは何も悪くなかった。ていうか、この場合、「ムカつく」のはその「おっさん」の方じゃないの?
俺がそう言うと、康太は「客にキレるわけにはいかないだろ」と首を振った。康太って、本当、変なところで真面目だな……。
「思い出したらますますムカついてきたな……」
「えらい。康太はえらいよー」
……とりあえず俺は、「ふん」と鼻息を荒くする康太の頭を撫でた。
すると、康太がじとっと俺を睨む。
「……何か、他人事だと思ってねえか」
「そ、そんなことないよ。康太が毎日いっぱい頑張ってるのは、俺がよく知ってる。本当だよ」
「そんなこと言って、正直くだらない愚痴だと思ってるだろ」
「……まあ、ちょっぴり」
「この!」
「わあっ」
拗ねた康太が、俺を床に押し倒して馬乗りになってくる。そのまま、俺の脇腹をこちょこちょとくすぐってきたので、俺はたまらず笑ってしまう。じたばたして「やめてよお」と康太に抵抗すると、ふいに、くすぐりの手を止めて、康太は俺に言った。
「おう、瞬もニャンとか言ってみろよ」
「おっさん側になってるよ、康太」
「瞬にもあの時の俺の気持ちを分からせてやってるんだ。いいから言ってみろって」
「……にゃん?」
──言わなきゃ拗ねたままだろうな。
そう思って乗ってみたのに、康太は目をぱちくりさせている。
「どうしたの」と訊くと、康太は「いや」としばらく視線をうろうろさせて、俺の上から退いた。
身体を起こして、康太の隣に座り直すと、康太はぼそりとこう言った。
「……おっさんの気持ちが分かった」
「え?」
「いや、あのおっさんにこう思われてるのは、それはそれで嫌すぎるな……」
「よく分からないけど……頑張れ、にゃん」
そう言って、康太の肩を叩くと、康太は「おう」と耳を少し赤くして頷いた。
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