【小話】ソルトでスウィート


──2月某日。


ある昼下がりのことだった。


「ふあーあ……」


陽の当たる居間のソファで寝転がっていた俺は、うんと伸びをしつつ、大口を開けて欠伸をする。


学校が家庭研修期間に入ってから、久しぶりにバイトも何も入ってない日ができたので、今日の俺は、こうしてのんびりと家でくつろいでいた。まあ、家と言っても──。


「あ、おはよう康太。気持ちよさそうに寝てたね」


「ん……瞬」


──最早我が家のように、どころか、我が家よりも居心地がいい立花「家」で、だが。


キッチンから急須とカップを持ってきてくれたらしい瞬が、ソファのサイドテーブルに俺の分のカップを置いて、お茶を注いでくれる。おもむろに身体を起こして、湯気の立つカップを手に取ると、その隙に、瞬が俺の隣に腰を下ろした。


肩が触れ合うくらいの距離感で、ソファに並んでお茶を啜ると、身体がぽかぽかして、ほっとした気分になれる。

しばらくそうやってまったりしていると、ふいに、瞬が口を開いた。


「あ、そういえば」


「ん」


「前に康太がくれたバスソルトね。すっごく良い香りがして……身体が温まるよ。最近、寒いからよく使ってるの」


「おう」


──バスソルト……と言ったら、クリスマスに瞬にプレゼントしたやつのことだろう。


何の香りだったかは忘れたし、正直、そのバスソルトとやらが、風呂でどう使うものなのかも分からないが、瞬が気に入ったなら、ナイス俺だ。俺は胸を張って、瞬に言った。


「そうだろ。あれは……すっげえ良いやつだからな」


「そうだね。康太的にはどのあたりが良いなって思ったの?」


「それは訊くな」


「直感だったんだね」


「康太らしいや」と瞬が肩を揺らして笑う。

俺はなんだか、瞬に仕返ししてやりたくなって、柔らかいほっぺをむにと引っ張った。間抜けな声を上げて瞬がじたばたする。


「あー、いひゃいよお。ほうひゃあ」


「じゃあ、瞬が教えてくれよ。バスソルトって何なんだよ、入浴剤と何が違うんだよ。塩ってくらいだから食えるのか?」


「食べられないよ」


俺がつねったところを擦りながら瞬が答える。それから「そうだなあ」と少し考えてから、瞬は俺に教えてくれた。


「バスソルトは入浴剤だよ。エッセンシャルオイルとか、ハーブで香りづけされたお塩で、保湿とか、血行が良くなったり、冷えとかに効くの」


「シャウエッセン?」


「えっと……要するにまあ、入浴剤だから、お風呂に入れるのが定番の使い方なんだけど……あ、そうだ」


と、そこで、ぽんと手を打った瞬が、俺に言った。


「康太も一緒に使ってみる?」


「え?一緒に?」


それって、つまり。


俺はごくりと唾を飲む。


──瞬と、一緒に風呂に……入るってことだよな。


その瞬間、俺の頭の中で──カーニバルが始まった。


めちゃくちゃ嬉しい。入りたい。瞬と風呂だろ?

アヒルのおもちゃとかを浮かべてレースがしたい。シャンプーであわあわになった瞬の髪を変なヘアスタイルとかにしてやりたいし、のぼせるギリギリまで一緒に湯船に浸かっていたいし……あわよくば、そういうことだって。


「よし、入るか……風呂……」


「……何か変なこと考えてない?」


「う」


長い付き合いの幼馴染に隠し事はできない。

一瞬で妄想を見透かされ、視線を逸らすと、瞬は、はあとため息を吐いて言った。


「お風呂とはちょっと違うかもしれないけど……バスソルトには、それよりももっと手軽な使い方があって──」





──ちゃぷ。


「どう、康太……足、気持ちいいでしょ」


「おう……そうだな……」


ほっと息を吐いて、俺は自分の足先を見つめる──お湯を張った洗面器に、バスソルトを小さじ一杯入れて、足を浸せば、即席の足湯の完成だ。


「バスソルトを一緒に使ってみない?」──そう言って瞬が用意してくれたのが、この「足湯」だった。


居間のソファに座り、足湯を楽しむ俺に、瞬は言った。


「足を温めると、身体がぽかぽかするでしょ。それに、なんだかほっとする香りがするよ」


洗面器に張ったお湯を瞬が手で掬って、俺の鼻に近づける。なるほど、たしかに……そうだ。


「ああ……なんかいい草の香りがする」


「でしょ。これはハーブだよ」


「それに、よく知ってるいい匂いもする」


「それは俺だよー」


手のひらの湯から、瞬の手首に鼻を寄せて嗅いでみせると、くすぐったそうに瞬が笑う。

そんな瞬に俺は言った。


「瞬も足、入れてみろよ。気持ちいいぞ」


「え?でも、二人はちょっと狭いし……床にタオルは敷いてるけど……お湯、こぼれちゃうかも」


「後で一緒に拭く」


「な」と瞬を肘で突くと、瞬は「じゃあ……」と、靴下を脱いで、そろそろとお湯に足を入れる。


「……っ、わ……あったかい」


「だろ。ほら」


「あ、もう。狭いのに」


湯の中で、瞬の足を足先で軽くちょん、と突くと、瞬も楽しそうに、俺の足を突き返す。

そうやって、湯が床に飛ぶのも忘れてはしゃいでいると、ふと、そばにある、白くてすべすべな瞬の頬が視界に入って──。


「……」


「何?」


俺の視線に気付いた瞬が首を傾げる。俺はその頬に手を伸ばして、撫でながら言った。


「いや……なんか、瞬の肌って、こんなにつやつやしてたかって」


「そうかな?あ、バスソルトを使ってるからかも」


「ふうん……」


ふにふにと遠慮なく瞬の頬を触りながら、何気なく俺は考える。バスソルトか──。


「っ、わ!ちょっと」


──唇を離すと、片手で頬を押さえた瞬が、目を白黒させながら俺に言った。


「き、急すぎ……何で、ほっぺに……ちゅーなんかして……」


「よく使ってるって言ってたし、しょっぱいのかなって……」


「そんなわけないでしょ」


と言いつつも、瞬はふっと笑ってこう続けた。


「どうだった?」


「瞬って感じ」


「何それ」


「もう一回するか」


「しないよ」


湯飛沫がぱちゃ、と跳ねる。


そっぽを向いてしまった瞬が、俺の脛をちょんと蹴ったのだ。

そんな瞬の肩に頭を載せると、瞬は「ふふ」と笑って、俺の髪をくしゃくしゃと撫でた。

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