11月17日(金) ④


「……間抜けな声上げないでほしいんだけど」


「あ、ああ……ごめん」


「謝るのもキモいし」


「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」


「座れ」


「……はい」


なんていうか、本当に相変わらずな調子の菅又に促され、俺は椅子にもう一度腰を下ろす。

……今日はなんだか、やたら後輩に厳しくされる日だ。まあ、こいつのは慣れてるけど。


……けど。


──こいつが……俺を、そう想ってる……?


ありえない仮定に思える「それ」を頭に置いて、菅又を見上げる、が。


「……」


……椅子に座る俺を見下ろす、こいつの冷めた目の奥に、そんな感情が秘められてるとは到底思えない。


「何見てるの?」


「いえ……別に。何でもありませんけど……」


「マジでそのキモい喋り方やめろ」


「……分かってるよ」


俺ははあ、とため息を吐いた。やっぱり、ないだろ。

探るまでもなく、こいつはきっと、俺のことが嫌いだ──出会った時からそうだった。


二年に進級してから、「文芸部に後輩が入ってきたらいいな」とそわそわしてた瞬が、ある日、めちゃくちゃ嬉しそうに「後輩ができた」と俺に教えてくれて。で、部室に冷やかしに行ってみた時に会ったのが、最初だった。



『へえ、菅又か。一年だろ。先輩ばっかだと色々、やりづれえんじゃねえの。俺は別に、遊びに来てるだけの奴だからあれだけど……何か、部の連中には言いづらいこととかあったら言えよ』


『……はあ』


『俺、後輩ってなんか……初めて見たな。ちょっと”先輩”とか言ってみてくれよ』


『……先輩』


『……悪くないもんだな、後輩』


緊張してんのかと思って、あれこれ話しかけてたな。今思えば、クソみてえな先輩だ……。

で、案の定、そんな調子だったから、菅又は突然、俺にこう吐いた。


『……あんた、さっきから何なの?部員でもないくせに……キモいんだけど』


大人しそうな奴だと思ってたから、結構びっくりしたんだよな……でも、なんか俺、それでも思わず──。


『……ありがとう』


『……きっも』



「……俺、やっぱりキモい先輩だったな」


「何、今さら」


「そうだな」


思い出したら、自分で自分にぞっとして──なんか可笑しくなってきた。すると菅又は、そんな俺に呆れたように首を振ってから、ぼそりと呟いた。


「……腕折れたって聞いてたけど、普通にキモいまま、元気そうじゃん……損した」


「菅又?」


「損したって何が?」……なんて訊く前に、菅又は俺の隣の椅子に腰を下ろした。

それから、ポケットに入れていたらしい割り箸を取り出して、持って来た皿から湯気の立つ美味そうな焼きたての肉を一枚取る……思わず、唾を飲んだ。


「……っ」


俺の視線に気付いた菅又が、こっちを向く。


「……何」


「……いや、何でもないけど」


「そう」


再び、菅又が箸で掴んだ肉に視線を戻す。菅又の紙皿は焼き肉を載せるのに最適な、仕切りで三つに区切られたタイプのやつだ。一つに肉を載せて、あとの二つに甘じょっぱそうなたれと、塩を載せている。


菅又は皿の上で箸を少しだけ迷わせてから、やがて、たれの方に肉をたっぷりとディップした。後輩の前でだらしないが、涎が出そうになる。俺は、菅又にバレないうちに、口の端を左腕で拭った。


……が、それはしっかり見つかっていて。


「……何、さっきからじっと見て」


「いや、だってそれは……見るなって方が、無理だろ!隣で美味そうに肉食おうとしてて。俺は片腕なんだぞ……」


「他に食うとこないんだから仕方ないじゃん」


「はあ……?」


俺は周りをざっと見渡す。コンロの近くの席で、猿島と志水が何やら楽しそうに肉を食っている。その奥では、多嘉良と丹羽と後輩二人が小さなテーブルを囲んでいた。西山と瞬は──あれ、見当たらねえな。


どこに行った?と思っていると、それを察したのか、菅又が答える。


「瞬先輩達なら、庭の方行ったけど」


「庭?何で」


「……俺が知るかよ」


何故だか、その声が不機嫌に聞こえる。まあ、食事しようとしてるとこによく分かんねえこと訊かれたら、嫌だよな。

俺は菅又に「悪い」と言って続けた。


「まあ、俺のことは気にせず食えよ。俺は瞬が戻ってきたら、食わせてもらうから」


「……本当にキモいな」


「……自覚はある」


今の俺は本当に何もできなくて、何するにも「瞬、瞬」ってなっちまってるからな。これでも、自分でできそうなことはやってるつもりだけど……傍から見たらそう思われるのも仕方ない。


俺は菅又から視線を外し、ふうと息を吐く。すると、隣からほんの小さな……本当に小さな呟きが聞こえた。


「……ないだろ、何も。自覚」


それからだった。ふいに、すぐそばに温かい気配を感じて、そっちを向く。そこにあったのは──。


「……ん」


「す、菅又……?」


──菅又が箸で掴んだ肉を、俺に……差し出していた。


「……食えってこと?」


俺は真っ白に飛んだ思考のまま、なんとか言葉を絞り出す。そんな俺に、菅又は眉を寄せて、心底不快そうに言った。


「……そうだけど」


「……」


俺は菅又が差し出した肉から、たれが零れ落ちて、地面を濡らすのをじっと見つめた。ほんの一瞬のことなのに、ものすごく長い時間が流れたような気がした。箸を持つ菅又の手は震えていた。


ややあってから、俺は言った。


「……ありがとうな」


その後に、さらに続けた。


「でも……大丈夫だ」


「……瞬先輩にこうしてもらうから?」


俺は頷いた。すると、菅又は箸を引っ込めた。皿の上に肉を置くのを見てから、俺は菅又に訊いた。


「……どうしたんだよ、急に」


「……」


菅又は俯いて黙っていた。俺は菅又を見つめて、答えを待った。


ややあってから、菅又は口を開いた。


「……あんたはいつも、うるさく構ってくるから」


「だから」と言って、菅又が口を結ぶ。

秋が終わって、冬が始まる頃の、冷たい風が吹いた。


それから、菅又は言った。


「……たまには、こっちからそうしてやろうと思っただけ」


「……そうか」


俺は、どうしたらいいか分からなくなって、三角巾で吊った右腕を包帯の上から撫でた。

……でも、いつまでもそうはしていられない。


しばらくしてから、俺は菅又に切り出した。


「……すげえ小さい頃のことなんだけど」


「……」


菅又は無言のまま、だけど俺の言葉に耳を傾けてくれているのは感じた。

俺は、渇いた口の中で、唾を飲み下してから続けた。


「……俺、その頃さ……何か尖ってたっていうか、周りの奴に、結構キツく振舞ってたんだ。ツンケンしてたっていうか。言っても、幼稚園とか小学校一、二年とか。そのくらいの時だけどよ。だけど、そんなだから友達とか全然いなかったんだ」


「……それで」


俺は頷いてから、さらに続けた。


「……でも、そんな俺でもさ。瞬は、一人にしなかったんだ。何回も嫌なこと言ったりとか、意地悪いこととかしたと思うんだけど……それでも、瞬はそんな俺に、粘り強くっていうか……しつこく、付き合ってくれたんだよ。俺のそばを、離れないでくれた。昔はそれを、鬱陶しいとか思っちまったこともあったけど、でも、本当は……嬉しかったんだ。瞬は、そんな俺の本心を見抜いてた」


「……うん」


「……そんな頃の俺に、俺は……菅又を重ねてたのかもしれねえ。俺が、瞬から貰ったもんを、つい……昔の自分と同じような奴にも分けたいって、勝手にそんなこと思ってたのかもな。菅又は、菅又なのに。俺は、瞬みたいに聡い奴じゃないから……菅又の、気持ち……見抜けてなかったな……だから──」


「悪かった」と俺は言った。すると、菅又はちらりと俺を見遣ってから、ぼそりと言った。


「……謝るとか、キモいって言った」


「……そうだな、俺はキモいな」


「……本当にそう」


「だから嫌いなんだよ」──と言って、菅又は俺から顔を逸らした。


俺は、そんな菅又に手を伸ばして──肩にそっと触れ、それから席を立った。





【『当て馬』と接触しました。『菅又克己:オッズ5倍』】


【ポイントの払い戻しを行いました。現在の獲得pt計:11,468,085pt】

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