11月17日(金) ⑤


──あれは、一年の頃だったな。


『……お前、初日から教科書全部忘れるとか。学校に何しに来てんだよ』


『何って……寝に来てるに決まってんだろ。俺は就職だから、勉強なんかいらねえし』


『就職でも教養試験はあるぞ』


『……嘘だろ』


……全く、いきなりすげえ馬鹿と同じクラスになっちまったと思った。


瀬良康太。

教室に入って来た瞬間から女子がざわつく程、顔は良いってのに、中身はとんでもねえ馬鹿で、おまけにクソ野郎だった。


サボりも居眠りも教科書忘れも常習犯で、課題はいつも提出期限ギリギリに、どこからか写して持ってくる。けど、頭は悪くねえっていうか、生きる力はあるから、それでも何とかやっていけてるって感じだ。……入学してから、何度こいつに取引を持ち掛けられてきたことか。


だが、悪い奴じゃねえんだなってのは……すぐに分かった。


『あの……失礼します。こう……あ、瀬良って、今いるかな?』


──入学してから二週間くらい経った頃。


昼休み……瀬良と学食で飯を食って、その帰り、『トイレに行く』と言った瀬良を置いて、先に教室に戻ってきたところだった。


教室の前で、見慣れない男子生徒が、ドアから中を覗いてたから、声を掛けたんだったな。


──なんか、小さくて……こう……放っとけない感じの奴だな……。


何となく、野郎連中なんかより、女子と和やかに喋ってる方が想像つく感じの奴だ……けど、ん?


『瀬良って言ったか、今』


『あ、うん。その……昼休み、ノート見せてって言われてたから』


『あー……』


確かに、こいつの腕にはノートが抱えられている。表紙には綺麗な筆致で『1ー2 立花瞬』と書かれていた……なるほど。


──可哀想に。こいつはきっと、瀬良と取引させられて、課題を写させろって言われてるんだな……。


でなきゃ、こんな真面目そうな奴が、瀬良みたいな奴とつるむとは思えない。俺は、この──立花に言ってやった。


『瀬良は今、トイレに行ってて、まだ帰って来ねえ。だから……帰るなら今のうちだ』


『え?』


『……分かってる。瀬良に何か握られてるんだろ。大丈夫だ、あいつには俺が言っておくから──』


『えっと……』


『西山、瞬に妙なこと吹き込むな』


『康太!』


『康太?』


声に振り返ると、そこには呆れたような顔で首を振る瀬良が立っていた。


──……って、『康太』?


瀬良の顔を見た途端、ぱっと表情を輝かせる立花に、今一つ状況が飲み込めない俺。


そんな俺に、瀬良は説明してくれた。


『こいつは立花瞬──瞬は、俺の幼馴染だ。別に脅したりなんかしてねえよ』


『な?』と瀬良は、半ば強引に、立花の肩を抱いて引き寄せる。

その絵面は完全にカツアゲ現行犯なのでアウトだったが、当の立花は目をぱちくりさせつつも、こくりと頷いた。マジかよ。


『何ていうか……こういうのなんて言うんだ?猫に小判?美女と野獣?類は友を呼ぶの逆だな……』


『おい、俺を何だと思ってんだ』


『お、幼馴染だから……』


戸惑う俺に、立花が苦笑いでそう言う。まあ、腐れ縁……ってとこかと理解したところで、予鈴が鳴った。


すると、立花は『大変!』と瀬良にノートを渡して言った。


『真ん中あたりのページが課題ね……もう、次は自分でやらないとダメだよ?』


『分かってる。いつもありがとうな。持つべきものは、優しい幼馴染……いや、優しい瞬だな』


『はいはい……じゃあ、俺もう行くから。ノートは家のポストにでも入れておいて──』


『おう──いや。今日、部活見学ある日じゃなかったか、そういや』


『そうだけど……康太は行かないでしょ』


『瞬は行くんだろ、文芸部』


『え、あ……でも、あそこは……いいかなって。一人じゃちょっと入りにくいし……』


『じゃあ、俺も行く。ノートはそん時返すから』


『え?え……?い、いいの?』


『瞬が行ってみたいって言ったんだろ。なら行く。いいな?』


『……!』


──ああ、なるほど……。


目を見開きつつも、口元が緩んでる立花に、俺は気付く。


──そりゃあ、こんなのがずっと横にいたら、そうなるよな……。


思えば。


胸の内に湧いた──嫉妬には淡い、でも羨望よりもどす黒くて、それでいて、少しだけ甘い感情に、土を被せて、自分の中の奥深くに埋めたのは、その瞬間だったのかもしれない。





「肉が焼けたぞー」


じゅう、と音を立てるコンロの上で、きらきら脂を滴らせるお肉をトングで器用に返しながら、西山が皆に呼びかける。

すると、コンロの周りで散り散りになっていた皆がわっと集まってきた。


「肉っ!肉だー!」


「おい、陽希……落ち着けって」


「志水―、後輩に食いつくされる前に早く行こー」


「それは大変です……!私のトウモロコシとかぼちゃはまだ無事でしょうか……?」


「……志水先輩、誰も取らないんで大丈夫です。それ」


「全く……騒がしい奴らだ」


そう言って笑う西山は、一番乗りでコンロに近づいてきた……陽希くん(だっけ)の頭を軽く小突きながら、彼に皿を渡していた。


──西山って、こういうとこ……本当にお兄ちゃんっぽいな。


一緒にいると、随所でそれを感じる。面倒見がよかったり、困ってるとすっと助けに入ってくれたり、相談するとじっくり聞いてくれて真剣に考えてくれる……俺も、普段から色々とお世話になりっぱなしだ。


──って、感心してる場合じゃないや。俺もお手伝いしないと……それに。


俺はサイドテーブルに積んであった紙皿を、まとめて何枚か手に取る。それから、陽希君の後ろに並ぶ慎くん、菅又くん、志水、猿島……に紙皿を配っていく。そして、そのついでに、さりげなく……皆の手に触れてみる。『当て馬』を探すためだ。


ひとまず、慎くんは違った。それから、菅又くんも違う。そうなると……。


──もしかしたら、猿島か、志水か……。


そう思うと、皿を渡す手がつい、緊張で震えてしまう。すると、それは勘のいい猿島に気付かれてしまって……。


「瞬ちゃん、どうしたの?もしかして、ちょっと寒い?」


「え?い、いや……そんなことはない、けど……」


「なんと。それは本当ですか?大変です……」


「え」


驚く間もなく、志水が俺の手を取る。志水の手のひらは確かに温かいけど……。


──あれ、でもこれはこれで……いいのかな?


期せずして、まず、志水に接触することに成功してしまった。表示は……出てないね。

つい、ほっとしてしまったところで、それを見ていた猿島が「あー志水ずるい」と声を上げる。ずるい?


「ずるいって……何?どういうこ──むぐ」


皆まで訊く前に、猿島は俺の両頬を両手でぎゅっと挟んだ。それから、いつもの軽い調子で笑いながら言った。


「あー……瞬ちゃんのほっぺは、相変わらずもちもちで温かいねー。冬はこれがないと」


「俺はカイロじゃないよ……」


でも猿島にも接触できた(?)から、結果オーライ……かな?

気になる表示も……出ない。これで、猿島は『当て馬』じゃないってことが分かった。


──じゃあ、あとは……。


「立花先輩!」


「ん?」


ふいに、後ろから声を掛けられ、振り返る。俺を呼んだのは……陽希くんだ。隣には呆れたような顔で、二人分のお肉の載った皿を持った慎くんが立っている。俺は二人を交互に見遣りながら訊いた。


「えっと……俺が、何か?」


すると、陽希君は「立花先輩って」と目を輝かせて言った。


「瀬良先輩と付き合ってるんすよね?ぶっちゃけ……二人ってもう、せっ──ってぇ!?」


「こら、陽希。立花に変なこと訊くな」


「……西山!」


そこで、俺と陽希くんの間に西山が割って入る。陽希くんは西山に拳骨を食らった頭を抱えていた。慎くんはそれ見て、やれやれと肩を竦めている……いつもこんな感じなのかな。


そんなことを思っていると、西山が頭を掻きながら言った。


「悪いな。こいつは慎の友達なんだが……ちょっと色々狂ってるんだ。まあ、良いところもなくはないから勘弁してやってくれ」


「う、うん……」


そう言いつつ、俺は陽希くんを心配する体で、さりげなく彼の肩に手を触れておいた。うん、やっぱり『当て馬』じゃないね。


──ってことは……。


俺の方で、確認が済んでないのはあと……西山だけってことになる。


俺は、皆に肉を配ってくれている西山のお手伝いをしつつ、ちら、と西山を覗き見る。


──俺を想っている『当て馬』がいるとしたら……西山が……。


だけど、いくら状況的に可能性が高いって言われても、信じられない。西山は俺にとって大切な友達だけど、元は康太と仲が良かったんだし……普段も、俺に対してそんな感じはしなかった。


……それに。


俺が、まだ誰にも康太への気持ちを打ち明けられなかった時、西山は、そんな俺の気持ちを真っ先に見抜いてて、たくさん、相談に乗ってもらってたんだから……そんなはずは。


──……いや、違うな。


これは、俺がそう思いたいっていう、ただの願望だ。


自分がしたかもしれないことから、目を背けたいだけの。


「立花」


「……っ、西山」


ふいに、西山に呼ばれて、俯いていた顔を上げる。西山はそんな俺を不思議そうに見つめてから……「なあ」と言って続けた。


「立花。瀬良に肉、持ってかなくていいのか?」


「え、ああ……そうだね。貰ってもいい?」


「おう……って、あ」


「西山?」


トングを握った西山の手が、コンロの上でぴたりと止まる。どうしたんだろうと思って、西山を見上げると、西山は遠くを見つめていた。

俺はその視線の先を追う。するとそこでは──。


──康太、と……菅又くん。


コンロから離れたところで、椅子に座っていた康太の隣に、菅又くんが腰を下ろしているところだった。二人で何か話しているみたいだ。

たぶん……康太の方でも『当て馬』探しをしてるんだろう。


──まあ、分かってても、ちょっと妬いちゃうけど……。


菅又くんのお皿に載ったお肉は、一人分にしてはちょっと多い気がする。きっと、康太にあげようと思って、西山から多めに貰ったんだろう。優しいな。


そんな菅又くんにまで、嫉妬してる自分がちょっと嫌になっていると、ふいに、西山が俺に「立花」と呼びかけた。


「え、あ……何、どうした?」


振り向いてそう訊くと、西山は、鼻の頭を掻いた。

それから、珍しく、なんだか切れの悪い感じで、こう切り出してきた。


「瀬良と……後輩、今話してるだろ」


「うん……」


俺が頷くと、西山は一瞬、俺から視線を外した。

それから、ふっと息を吐いて──俺に言った。


「あれが、終わるまで──ちょっと……二人で、ここを出てないか?」

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