11月12日(日) ②
──11月12日 AM 7:20。
「……はあ、さすがにちょっと寒いね」
「ああ……」
隣で、ふっと白い息を吐いた瞬が、手袋を嵌めた手を擦り合わせる。
他に誰もいない日曜日の学校は、しんとしていて、どこか神聖ささえ感じた。冷たい朝の風に吹かれて、地面に落ちた木の葉がかさりと舞う。
いつもなら、大勢の生徒で賑わう昇降口への通りを、俺と瞬は二人きりで歩いていく。
──夜中のことだった。
『第一情報処理室で待つ。二人で来るといい。11/12 23:59までに来ること』
突然送られてきた、俺達を呼ぶ謎のメッセージ。
『私は、お前達と【取引】がしたいと考えている』
『私達へ協力しなさい。対価には情報を、そして私達もまた、協力を惜しまない』
「取引」だとか、「協力」だとか……胡散臭さ満点のその内容に、しかも、差出人は──長い間、その正体を探っていた「春和高校新聞部オンライン」だ。
──これに乗らない手はない。
普通に考えれば、こんな怪しいメッセージを鵜呑みにするのは危険だ。だが、俺達はその危険を差し引いても、今は「情報」が欲しい。
『ノーヒントで、あたしの目的が何かってとこまで辿り着けたら、そん時は【命を懸けない方法】っていうの、考えてあげる。まずは見せてよ──あんたらが、信用に足るのかどうか』
俺と瞬を巻き込んだこのふざけた【ゲーム】のマスター、「せかいちゃん」との取引のために。
あいつの言うところの「信用」とやらを勝ち取って、俺達はこの【ゲーム】から……少なくとも、命を懸けなきゃいけない状況からは解放される。俺と瞬の平和で穏やかな生活のためだ。
──瞬が、ありのまま……瞬のペースで、前に進めるように。
「康太?」
鼻の頭を赤くした瞬が、俺の視線に気付いたのか、こっちを向いて首を傾げる。
俺は左手を瞬の方に伸ばすと、そのまま瞬の右手を取って、ぎゅっと握った。瞬は一瞬だけ、目をぱちくりさせたが、すぐに微笑んで、俺の手を握り返してくれる。それから、俺にこう言った。
「……俺もやっと、康太の力になれてるかな」
「いつもなってる。これ以上ないくらい、いっぱい」
「【ゲーム】のことでだよ。康太、いつも一人で、俺の分まで考えてくれて……本当は……」
「それは違うって、何度も言ってるだろ」
瞬にその先を言わせないように、俺は言葉を重ねる。瞬は眉尻を下げて「うん」と頷いて言った。
「乗り越えるのも、抗うのも一緒って言ったけど。今やっと……一緒に戦ってるって、ちょっとだけ思えたんだ。康太が、朝、一緒に来てくれって、言ってくれたから……」
「……ああ」
俺は瞬の目を見て、頷き返す。
──早朝。瞬が起きるのを待って、俺は、瞬にメッセージのことを話した。そして、「俺と一緒に来てくれ」と頼んだ。
……それは決して、メッセージに「二人で来るといい」って書いてあったからじゃない。
瞬の言った通り──俺と瞬は、二人で一緒に生きると決めたからだ。
前に進むために壁を乗り越えるのも、太刀打ちできないかもしれない巨大な何かに抗うのも、一緒だ。
──【条件】やってた時と違うんだ。これは、俺と瞬に課せられた戦いだ。
瞬もその気持ちは同じだった。瞬は俺の頼みに「もちろん」と応えてくれた。
それから、お互いに握った拳を突き合わせて、笑いあったのだ。
──俺達なら、大丈夫だ。
俺は瞬と繋いだ手に力を込めた。
「……開いてるかな」
昇降口の前に着くと、瞬が、ぴたりと閉じた鉄扉のノブに手を掛けて呟く。俺は「どうだろうな」と首を捻った。
「休日にやってる部の顧問とかがワンチャン、開けてるか?」
「でも、まだ結構早いしなあ……開いてなかったらどうしよう?」
「割るか?後でクソ矢にでも直してもらうとして」
「直せるか、アホ」
「わっ」
声を上げた瞬が後ろを振り返る。俺も一応、ちらりと背後に視線を遣ると、そこには仁王立ちのクソ矢がいた。
クソ矢はやれやれと頭を振ると、俺と瞬を交互に見遣って言った。
「そんなんせんでも、儂がちょいと捻って開けたるわ。ていうか、『向こうさん』にお前らを迎えに行けて遣わされてんねん」
「向こうさん?それって……」
瞬が訊くと、クソ矢は「せや」と頷いた。
「お前らを呼び出した『差出人』や。ほんで、儂は今日の取引の見届け人や。『オブザーバー』や」
──オブザーバー。
前にどこかで聞いたことがある単語だ。妙に引っかかるその言葉を頭の中で転がしていると、そんな俺の思考を読んだように、クソ矢は「せやな」と言って続けた。
「……お前はアホやけど、勘は悪くないしな。今日の話でその単語は割と重要や。覚えといて損ないで」
「っても、何も覚えてねえよ。意味もよく分かんねえし」
俺がそう言って頭を掻くと、すかさず、瞬が俺に耳打ちしてくれる。
「観察者とか、観測者って意味だよ。傍聴人……みたいな感じかな」
「へえ」
さすが優等生だ。まあ、言われたところで、それがどう重要なのかはさっぱりだが……まあいい。
「じゃあ、早くその『向こうさん』とやらのところへ連れてけ。要は、今日のお前は使いっ走りなんだろ」
「……いちいち腹立つ言い方しかできんのか、お前は」
はあ、とわざとらしいため息を吐くと、クソ矢は俺を「どけ」と押し退けた。それから、その場で屈みこむと、鉄扉の鍵穴に人差し指を当てがう。すると、すぐに「がちゃり」と鍵の回る音がした。
「ほれ」
クソ矢が俺達を振り返る。その背後で、誰も手を振れていない鉄扉が、ぎい、と軋んだ音を立ててひとりでに開いていく──まるで、異世界につづくゲートみたいだ。
「……っ」
隣で、瞬が息を呑んだのが分かった。俺は瞬の肩を叩いて言った。
「……行くか」
「……うん」
俺の目を見据えて、瞬が頷く。意を決して、俺達は、扉の中へと一歩を踏み出した──。
☆
「……ここか」
「うん……」
誰もいない静かな校舎を歩くこと数分。俺達は、管理棟にある「第一情報処理室」の前へと着いた……奴らに呼び出された場所だ。
──てっきり、あの昇降口の中に入ったら、一瞬でワープして……みたいなのを想像してたんだがな。
「しゃあないやん。今の儂はただの霊や。そんな大層なことできんて。普通に歩け」
「それっぽい雰囲気出しといてよく言うよな。無駄な演出しやがって」
「はあ?窓割るとか、馬鹿の極みみたいなこと言うとるお前には言われたないわ。ほんま、せっかちは下半身だけにしとき?」
「てめえ……!」
「もう、こんなところでまで喧嘩はだめだよ!」
瞬が俺とクソ矢の間に割って入ってきたので、渋々引き下がる。本当に渋々だ。俺は別に早くない。
「瞬、俺は……本当は違うんだ。昨日のは、ちょっといきなりだったからで、本当は」
「……そんなことどうでもいいけど」
呆れ顔でばっさりとそう言った瞬は、第一情報処理室のドアを指して言った。
「ここも、きっと鍵がかかってるよね?澄矢さん、お願いしてもいい?」
「おう、任しとき」
瞬に言われたクソ矢が、意気揚々とドアの鍵穴に手を伸ばす。程なくして、かちゃ、と鍵が外れる音がした。
──がらがら……。
またしても、ひとりでに引き戸が開いていく。この先に……俺達を呼び出した奴らがいる。
俺と瞬は無言のまま、顔を見合わせて、頷き合う。
それを見たクソ矢が「儂が先に入るわ。お前らは後に続け」と言って、中へと入っていくので、俺達は言われた通り、その後ろをついて行く。
──何が来ても、大丈夫だ。
俺には、「神様」なんかよりも信じられる幼馴染で、恋人がいる。それは、瞬にとってもそうだ。俺達は互いに、そのつもりでいる。無敵だ。
「……やれるもんなら、やってみろよ」
──なんて、勇んで部屋に入ったんだが。
『っ、瞬……』
『ん、ふ……っ』
『っ、あ、ま、待て、瞬……っ』
「やめろ……っ!やめてください……っ!もう……!」
「康太!?」
──それが視界に入った瞬間、俺は床に頭を擦りつけて、臥していた。
入って一番、目に入った第一情報処理室の大きなスクリーンには──昨日の風呂場での、俺の情けない姿が映し出されていたのだ。
駆け寄ってきた瞬が、俺の背中をさすって「大丈夫だよ」と宥めてくれる。
「じ、時短ってほら……主夫にとってはすごく魅力的だから」
「……何の慰めにもなってないぞ、瞬」
「……ごめん」
「何が来ても大丈夫」なんてことはなかったな。ダメなことだってある。
二人して、勇んできた気持ちがしゅん、と萎むのを感じていると、ふいに、あの恥ずかしい音声と映像が止まる気配がする。
それから、スクリーンが仕舞われていく機械音がして──。
「──……昨日のは、なかなかよかったわね。ご苦労様」
「──っ、!」
頭の上から降ってくる声に、顔を上げる。すると、そこにいたのは──。
「あなたは……あれ……?」
瞬が狐につままれたような顔のまま、首を傾げる。それもそのはずだ。
目の前に立っていたのは、記憶にはまるでないのに、何故か、会ったことがあるような……俺達と同じ年頃くらいの、女子生徒だったのだから。
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