9月3日(日) ②


「もう行くわね、瞬──身体には気を付けて。食べ過ぎて、お腹を壊したりしないようにね」


「分かってるよ──行ってらっしゃい」


保安検査場の前。別れを惜しむ志緒利さんは、瞬を抱きしめると、その耳元で二、三言何かを話してから、瞬を離した。

そんな二人を一歩後ろから見守る淳一さんと目が合ったので、俺は会釈をする。淳一さんは柔らかい微笑みを返してくれた。


すると、志緒利さんも俺にぺこりとお辞儀をしてくれる。


「康太くんも、お見送りまで来てくれて──ありがとう。会えて良かったわ。また会いましょうね。今度は実春さんも一緒に食事をしましょう。その時は──式の前の顔合わせかしら?」


「き、気が早いよ!母さん」


頬を膨らませる瞬に、志緒利さんは「うふふ」と楽しげだ。俺は反応に迷いつつ「そうっすね……」と苦笑いした。


「母さん、あまり二人をからかわないで……もう行かないと」


「そうね」


淳一さんが志緒利さんの背中をそっと押して促す。志緒利さんは最後に──俺にこう言った。


「瞬のこと、これからもよろしくお願いします」


それから二人は、俺達に手を振り、検査場の列へと並んでいった。俺達は、二人がいよいよ検査場の中へと入っていくまで、列の外から二人を見送った。


その間も、後ろ髪を引かれる思いで──という表現がぴったりくるくらい、志緒利さんは俺達の方を何度も振り返っては手を振ってくれた。俺達はそれに何度も手を振り返した。やがて、二人は検査場を潜り、その背中は全く見えなくなった。



「……行っちゃったな」


淳一さんと志緒利さんが検査場の中へと入った後──瞬がぽつりとそう言ったので、俺もそれに揃えるように返す。


「……そうだな」


二人がいなくなると、急に、世界が俺達二人きりになったような、そんな気がした。


「康太」


ふいに、瞬が俺を呼ぶ。俺が「ん?」と返すと、瞬は少し迷うような素振りを見せてから……俺に言った。


「せっかくだから……少しぶらぶらしてから、帰らない?」


「ぶらぶら?」


「うん……どう?」


期待と不安の間で揺れる瞬の目が俺を見つめる。俺は瞬に頷いた。


「いいな。どうする?」


瞬の顔がぱあっと明るくなる。俺は胸がきゅっとなった。

瞬は提げていたポシェットからスマホを取り出すと、指先でちょんちょん、とそれを操作して……「あるページ」を俺に見せて、言った。


「じゃあ……ここに行ってみない?」





「わあ……」


「すげえ……」


目の前に開けた景色に、思わず声が揃う。互いに顔を見合わせて笑うと、俺達はフェンスの前まで駆け出した。


第二ターミナル五階──展望デッキ。


雲一つどころか視界を遮るものさえない大きな青空。フェンス越しに眼下に見えるのは、滑走路だ。地上で羽を休める飛行機が数機、飛び立つ瞬間を待っている、その一方で、今、どこかの空へと飛行機が一つ飛び立っていった。


九月でもじわりと蒸す展望デッキを爽やかな風が吹いていく──気持ちのいい場所だな。


「……はあ」


ふと隣を見ると、瞬が深呼吸をしている。俺もそれに倣って、深呼吸をした。胸の中で燻ぶっていたものや、苦い気持ち、痛みが……ほんのひととき、癒される。


──来てよかったな……。


こうして瞬に誘われなければ、わざわざ展望デッキに行こうだなんて思わなかった。

俺は、瞬に「ありがとう」と言うと、瞬は不思議そうな顔で「えー?」と首を傾げていた。でも、それから、ふっと柔らかく微笑んで「俺こそ、ありがとう」と言った。


「座ろっか」


「ああ……そうだな」


俺と瞬は手近な空いているベンチに、並んで腰を下ろした。そして、どちらからともなく、互いの手を繋ぐと──。


【手を繋ぐ K+100pt】


【手を繋ぐ S+100pt】


「あ、出た」


ある意味、空気を読まず……視界の端に表示は現れた。なるほど……ポイントの半減処置は時が経つと無くなるんだな。


「タイミングがぴったり同じだと、どっちにもポイントが入るんだね……」


「それもそうだな……」


つまり、今、俺達は全く同じタイミングで「手を繋ぎたい」と、ごく自然に思ったってことかよ……と呆れ半分、照れ半分に思う。

瞬もたぶん、俺と似たような表情をしていた。恥ずかしいような、なんていうかって気分だ。


しばらく、そんな沈黙をやり過ごしていると、ふいに、瞬が空を指さして言った。


「あ、康太。あれ……」


俺は瞬の指さす方を見る。ちょうど、飛行機が一機、空へと飛んでいくところだった。紫を基調としたオリエンタルな柄の飛行機だ──国際線か?ということは……。


「あれ、母さんと父さんが乗った飛行機かも……無事に向こうまで付きますように」


そうかどうかは分からないが、もしかしたらだ──。


俺は瞬と並んで、飛行機に願った。


それから、俺達はしばらく──気持ちのいい風に吹かれながら、空を見上げて、とりとめのない話をした。


「康太は、飛行機に乗ったこと……あるよね。おばあちゃんのお家に行く時?」


「ああ、そうだな……小せえ時は、耳抜きが上手くできなくてイラついてたらしい」


「俺は今でも耳抜き苦手なんだよね……それに、飛ぶときのふわっとした感覚もちょっと苦手」


「泣いてた?」


「もう……昔の話だよ。今は何でもないもん」


「本当か?」


「本当だよ」


「本当の本当か?」


「うーん……じゃあ……もっと大人になったら、一緒に乗ろう。そしたら信じてよ」


「そうだな」


「ねえ、どこに行きたい?俺、飛行機で本州を出たことが無いから、北か南か……どっちも行きたいな」


「俺も行ったのは、ばあちゃん家くらいだしな……瞬と行くなら、どこでも」


「うん……いつか行こうね、必ず」


そう言うと、瞬は珍しく……俺の肩に頭を載せて、もたれかかってきた。俺はそれを受け入れ、何気なく瞬の頭を撫でた。


……空気の読めない表示が【肩にもたれかかる S+200pt】【頭を撫でる K+100pt】と現れる。短い間隔でこう何度も現れて、加算されていく様を目の当たりにすると、恥ずかしくなるからやめてほしい。別に、今までのはポイントを稼ごうとしてしたわけじゃないのに。


「……」


妙な恥ずかしさを覚えたのは俺だけじゃないらしい。瞬は載せていた頭をそっと、俺の肩から離すと、照れを隠すように言った。


「ちょっと、お腹空かない?」


「え?ああ……まあ、確かに」


「ね、ちょっと待ってて」


そう言って瞬はベンチから立つと、ぴゅう、と音が出そうな勢いでどこかへと駆けて行く。その姿を視線で追っていくと、瞬は、展望デッキの隅にあるカフェに行くようだった。しばらくすると、瞬は両手に──ソフトクリームと湯気の立つ紙カップを持って戻ってきた。


俺は瞬からソフトクリームを引き受けつつ、尋ねる。


「お腹空いたんじゃねえのか?」


「そうだけど……ここ、ちょっと高かったから」


……リアルな答えだった。まあ、こういうところってそうだよな。俺は瞬に「ありがとう」と言うと、早速、プラスチックのスプーンで、ソフトクリームを掬う。


「……瞬」


「え?え……俺に?」


戸惑う瞬に、俺はソフトクリームが一口載ったスプーンを差し出す。「買って来てくれたから」と言うと、瞬は何故かあたりをきょろきょろしてから……スプーンを口に含んだ。


「うん、美味しい」


見ていると幸せになれるような笑顔でそう言った瞬は、俺の手からスプーンを取ると「今度は俺ね」とソフトクリームを掬う。


「はい、康太。あーん」


「……」


何故か、と言った瞬の気持ちが、ようやく分かる。外でこれは結構……恥ずかしい。

しかし、後には引けないので、俺は覚悟を決めて、瞬が持つスプーンを口にした。


【あーんをする K+200pt】


【あーんをする S+200pt】


「これもかよ」


たしか、表にはなかったはずの行動に加点が付き、俺はため息を吐いた。まあ、定番……といえば定番だもんな。


すると、表示を見つめていた瞬が、視界の端でもうひと口、スプーンでソフトクリームを掬ったのを見た。何か予感がして、瞬の顔を見ると、瞬はにこりと笑って言った。


「もう一回」


差し出されたスプーンに、俺はもう一度ため息を吐いてから──それを口にした。


【あーんをする S+100pt】


【本日のノルマは達成されました】



「計算してたのか?」


「ちょうど、あと100ptだなあって思って……」


表示から瞬に視線を遣ると、瞬はいたずらが見つかった子どもみたいな顔で笑った。でも、それから瞬はふっと真面目な顔になって言った。


「康太とは、これからも……こんな風に一緒にいたいから」


「……」


──そうだな。


俺も同じことを望んでいた。瞬を手にかけることも、瞬に、あんな思いをさせることも、選べるわけがなかった。


──いずれは、その時が……。


逃れられないそれが迫るのを感じながら、それでもあと少し……もう少しだけ、このままでいることを許してほしい、と何に対してでもなく、俺は願った。




【現在の獲得pt】

瀬良康太 1,750pt

立花瞬  1,350pt 計 3,100pt


クリアまで残り 18,080,050pt

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