8月29日 ◎瞬の誕生日
──8月29日 AM 8:30。
『康太:おはよう』
『康太:瞬、誕生日おめでとう』
『康太:急で悪いけど、身支度したら、俺の家に来てくれるか?』
『康太:今日、俺の家誰もいないから』
──康太、あんな早い時間に……それも、いきなりどうしたんだろう?
少しドキドキしながら、康太の家に向かいつつ、俺は考える。
父さんと母さんには「康太の家に行ってくるね」と伝えて来たけれど、これから何が起ころうとしてるのか、俺は全く分からない。
康太のメッセージは、いつも端的だから、それだけだとよく分からないことが多いし。
──俺の誕生日……のことで、なのかな……?
康太が朝一番にメッセージでお祝いしてくれたのも、もちろんすごく嬉しいけど、それはそれとして、少し期待はしてしまう。
だって、今年は特別だ。俺と康太は幼馴染っていうだけじゃない──恋人なんだから。
「いやでも、康太だからな……」
あの「おめでとう」はただの導入で、本当は全く関係ない用事で俺を呼んでる可能性もなくはない。
康太って結構、突拍子もないことするもんな……今思えば、康太があの【条件】に縛られていた時もそうだった。
……まあ、康太に期待させられて、空振りに終わるなんて、今に始まったことじゃない。
そういうところも康太で、俺はそういう康太も好きになってしまったんだから。
──でも、油断せずにいこう……。
俺は身構えつつ、辿り着いた康太の家のドアの前で深呼吸する。……よし。
──こん、こん。
いつもみたいに、ドアをノックする。すると、すぐに中から「おう」と返事があった。待つこと十秒ちょっと。
ドアがぎい、と開いて、中から康太が出てくる。
「瞬、誕生日おめでとう」
「え、えっと……康太?」
現れた康太の姿を、頭から爪先まで見て、思考が止まる──これは……?
「あの、康太」
「ああ、瞬。これが……俺から瞬への……誕生祝い、のつもりだ」
「……」
嬉しい……と思うべきなんだろうか。俺はどう反応していいか分からなかった。
だって康太は何故か──制服の上にエプロンを着けて、頭にはリボンを巻いていたのだ。
反応に困る俺に、康太は仁王立ちで、しかも、何故かドヤ顔で言った。
「瞬、これが──俺の気持ちだ。受け取ってくれるか」
「いや……どういう気持ち?」
「見ての通りだ」
「それが通らないから聞いてるんだよ」
「え?分からない?」とでも言いたげな顔をしてから、康太は頭を掻いた。それから「なんていうか」と言って続けた。
「サプライズってやつを色々考えてみたんだけどよ……俺は、そういうの企画するの向いてねえみたいだ。だから、瞬には今日一日、俺の身体と心を捧げようと思って……」
──それって、つまり……。
俺は唾を飲んでから言った。
「康太自身が、俺へのプレゼント……ってこと?」
「ああ」
康太は鷹揚に頷いた。それから言った。
「今日一日、俺は瞬のために何でもする。だから、何なりと俺に申し付けてくれ」
☆
「何でこんなことしなきゃなんねえんだよ」
「……さっき何でもするって言わなかった?」
「そりゃそうだけどよ……」
「いいから」とスマホのカメラを向ける俺に、康太が渋々ピースをする。それを何枚か写真に残して、最初のお願い達成だ。
ほくほくとした気持ちで今撮った写真を眺める俺に、康太が首を傾げる。
「俺の写真を撮りたいなんて……こんなんでいいのか?最初のお願いが」
「ぱっと思いついたのがそれだったし……せっかく康太が面白い格好をしてるから」
制服にエプロンに謎のリボンを頭に巻いた康太なんて、そうそう見れるものじゃない。どうしてこんな格好なのか、訊けば「執事っぽい格好を目指して」とのことだった。康太の中の執事像はかなり気になるけど、康太が俺の誕生日を祝おうといっぱい考えてくれた気持ちは伝わってきて、俺は嬉しかった。だから、それを残しておきたいっていうのが本音なんだけど……。
むすっとした表情で写真に写る康太を見て、思わずふっと笑うと、実物の康太が、俺をじとっと見つめて言った。
「あ、あとで悪用するなよ……」
「康太が悪さをしなかったらね」
「しねえよ」
唇を尖らせた康太を宥めるように、頭をぽんと撫でると、康太が「そうだ」と言った。
「ケーキを用意したんだ。持ってくるから座ってろ」
「え?ケーキ?」
「ほら」と康太に促されるまま、居間のテーブルの前に座る。キッチンへと駆けて行った康太は、ややあってから、それを手に戻ってきた。
──三段重ねのホットケーキに生クリームをたっぷり塗って、その上にカラースプレーをあしらった手作りケーキ。
てっぺんに載ったホワイトチョコのプレートには、チョコペンで「しゅん おめでと」と書いてある……康太の字だ。
「これ、康太が作ったの……?」
「上手くできてねえけど……前に、瞬が湯川の家で作ってたのってこんな感じなのかなって。俺、いつも瞬に食べさせてもらうことはあるけど、自分で作ったもんを瞬に食べさせたことはないだろ。だから……」
照れ臭そうに俯く康太に、俺は胸がいっぱいになった。可愛い。俺、この人が好きだ……そんな気持ちで。
「康太」
「ん?」
「ありがとう」
「……おう」
一瞬、俺の顔を見て、でもまたすぐに、ぱっと逸らしてしまった康太は、耳を赤くしながら「そういえば」と言った。
「ケーキ、ほら……まだ、これが足りないだろ。ろうそく」
康太は、エプロンのポケットから、ピンクと黄色のボーダー柄のろうそくを取り出すと、ケーキのてっぺんに刺す。
火はどうするんだろうと思ったら、なんとそれは、いわゆる「火を使わないろうそく」らしく、側面のスイッチを押すと、先っぽの小さなランプが点いて、火の代わりになるものらしい。さらに、「ハッピーバースデー」の曲まで流れてくれるのだ。
「母さん煙草吸わねえし、うちにライターなかったんだ。だから、百均で買ってきた」
「へえ……すごいね……」
感心しながら、ろうそくを見つめていると、康太が「こほん」と咳払いして、息を吸う。それから──。
「……ハッピバースデー、しゅーんー」
電子音で奏でられるハッピーバースデーに合わせて、康太は俺のために歌ってくれた。
「ハッピバースデー、しゅーんー……」
「……」
「……」
「……がんばれ」
一人で歌うハッピーバースデーの想像以上の虚しさに折れかけた康太にエールを送る。すると、康太はもう一度息を吸ってから、続きを歌った。
「ハッピバースデーディーア、しゅーんー……ハッピバースデー、しゅーんー」
恥ずかしさに耐えて歌いきった康太にぱちぱちと拍手を送ると、康太は「いいから」と俺にケーキの載ったお皿を近づけてくる。
「吹けってこと?」
「一応、形はな。あ、そうだ……吹く前に願い事するんだっけか?じゃあ、それもほら」
「うん」
俺は目を伏せて、お願い事をした。
──この先も、康太と一緒に……幸せに過ごせますように。
祈りを込めて、俺は、ふっと、ろうそくを吹いた。
そのあとは──。
「じゃあ、康太に二個目のお願い事をしようかな」
「おう、なんだよ。言え」
「えーっと……あーんして」
「はあ?な、なんだそれ……」
「なんだそれって……康太が何でもするって言ったのに!」
「いやでも、こんなことでいいのかと思って……」
「……逆に、康太って俺にどんなお願い事をされるつもりだったの?」
「え?どんなって……肩車をしてほしい、とか」
「俺を何歳だと思ってるんだよ」
「だって、前に腕枕をしてほしいって俺に頼んだだろ。だから、そういうことが好きなのかと思って……」
「ちょっと違うよ!」
「そうなのか?」と康太は納得してない様子だったけど……それでも、有言実行。
康太はフォークでざっくりケーキを切ると、顎が外れちゃうんじゃないかってくらいの超特大サイズの一切れを俺の口元に運んで、言った。
「……あーん」
「そんなに大きいの入らないよ……」
「頑張れ」
「入らないって、もう、むぐ……」
「変なお願い」をされた腹いせなのか(自業自得だと思うけど)、康太は俺の口に無理やりケーキを押しつけてきた。ケーキはなんとかちょっとずつ口に入れて食べたけど、口の周りはクリームだらけだ。
俺はにやにやと笑っている康太を睨んで言った。
「ひどいよ康太。取って」
「一枚撮ってからな」
「撮ったら、さっきの写真をクラスの皆に見せるよ」
「分かったよ……」
康太は渋々、テーブルの上のティッシュを一枚取り、それで俺の口周りをごしごしと拭いた。
康太がティッシュを丸めて、居間の隅のゴミ箱にシュートするのを見て、俺は訊く。
「もう取れた?」
すると、康太は俺の顔をちらりと見てから、何故か視線を逸らし気味にしながら答えた。
「……まあ、大体は」
「大体?ちゃんと取ってよ」
「……それは」
康太が口をきゅっと結んで、俺を見つめる。なんだか、空気がぴりっとしたような気がして、俺はつい、椅子の上で背筋を伸ばす。
「……それは、何?」
「……」
居間に漂う妙な緊張感に押し出されるように俺が訊くと、答える代わりに、康太は俺にじりじりと迫ってきた。
「……な、何」
「……瞬」
俺の座る椅子の背もたれに、康太が片手を掛けると、ほんの数センチ先に迫った予感に、胸の鼓動が速まる。
──康太に期待させられて、空振りに終わるなんて、今に始まったことじゃない、けど。
それでも、それでも……服の裾をきゅっと握って目を瞑ると、その期待はほんの数秒焦らされた後、叶えられた。
「……ん」
上唇にふに、と触れた柔らかさ。それは、慣れたなんて言えないけど、何度かした康太とのキスの感触で──でも、その後に感じたのは。
「……っ、!」
思わず目を開けると、咄嗟に俺から離れた康太が目を逸らす。
だけど、一瞬、康太の口の端からちろりと見えた舌に、俺は何が起きたのかようやく理解して、理解して──。
「な、舐めたの……?」
「……っ」
──自分でやったくせに。タコよりも赤い顔で俯く康太が、何よりの証拠だった。
かくいう俺も同じようなもので……ある意味、忘れられない誕生日になった。
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