8月23日 永久就職
──コンコン。
扉をノックする。すると、その向こうから、こほん、というわざとらしい咳払いの後、返事があった。
「どうぞ」
「……失礼します」
ノブに手を掛け、ゆっくり開ける。部屋の中で、もっともらしく、机の上で手を組んだ面接官──役の瞬と目を合わせ、軽く一礼する。それから、ドアを静かに閉めて、面接官・瞬の前に立って、挨拶をした。
「県立春和高校から参りました。瀬良康太と申します。本日は、よろしくお願いいたします」
「……はい。では、お座りください」
「失礼します」
面接官に促され、椅子──の代わりに、座布団の上に正座する。背筋を伸ばして、面接官を見つめると、面接官は頬をぷくっと膨らませて、微かに笑いに耐えていた。せっかく作った雰囲気を壊さないよう、小声で「おい」と言うと、瞬は「ご、ごめん」と、首を振ってから、俺に言った。
「康太が慣れない言葉遣いなの……ちょっと面白くて……」
「失礼だな……瞬が、どんな感じに面接の練習してるのって訊いてきたんだろ……」
「そうだけど……」
「それに、一応、練習も兼ねてるんだから、真面目にやってくれ」
「は、はい……」
とか言いつつ、自分が瞬に「真面目にやれ」なんてな、と可笑しくなる。だが、就職試験本番まで、もうひと月もないのだ。俺だって、さすがに、尻に火が点いてる。
と、いうところで、瞬の方もいい加減、「じゃあ、いくよ」と、気を取り直して、面接練習に戻る。
「えー……じゃあ、これから面接を始めさせていただきますけど。どうぞ、リラックスして答えてくださいね」
「はい」
「えっと……まず、最初になんですけど。せ、瀬良君は、今日は何でこちらに来ましたか?」
──来たな。まずは相手の緊張を解くのも兼ねて、会社までの交通手段を聞くパターンのやつだ。
この質問に対して深く考えて答える奴もいるが、ここは、ただの日常会話だと思って普通に答えりゃいい──と、学校でも教えられてる。
だから俺は、実際に面接を受ける予定の会社をイメージしつつ、気楽に答えた。
「チャリです」
「気楽すぎるよ」
面接官が「自転車ですね」とさらっとフォローする。俺は本番さながら「はい。失礼しました」と返した。
すると、面接官はさらに俺に訊いてきた。
「家は近いんですか?」
「はい。御社から私の家はそれほど離れていません。歩いて一分もないです」
「自転車乗るほどじゃなくない?」
「……」
しまった。相手が瞬だから、つい、瞬の家を想定して答えちまった。実際には、志望先の会社はチャリで十分くらいだ。
俺はとりあえず、「風を感じたくて……」と適当に誤魔化し、目線で瞬に「早く本題に入れ」と促す。
意図が伝わったのか、瞬は「分かりました」と頷いてから言った。
「では、ここから──さらに、瀬良君に色々と訊いていきたいのですが。まず、弊社を志望した理由をお願いします」
「はい。私が御社を志望した理由は──」
俺はこのひと月弱、学校で何度も繰り返し、ブラッシュアップしてきた「志望理由」を述べた。どんな社風がこうだとか、なんちゃらという経営方針に感銘を受けてとか、これこれこういう面で自分の強みであるアレをどうしたいとか、そんな感じだ。主に、武川が一緒に知恵を絞ってくれたんだが──まあ、何事も「物は言いよう」だなとつくづく思った。
──瞬に向かって言うのは、ちょっと気恥ずかしいけど……。
そんなことを思いつつ、志望理由を締め、ちらりと面接官・瞬の顔を窺う。すると──。
「採用で……!」
「おい。ザルすぎるだろ、面接官」
キラキラした目で、ぱちぱちと手を叩く面接官──いや、これは瞬だ。瞬は興奮気味に「すごいね!」と言って、身を乗り出してきた。
「康太すごい!なんか、エリートみたいだったよ!格好良い!」
「いやこんなの──なんていうか、建前っていうか、聞こえの良い言葉で適当に言ってるだけだ……大したものじゃねえし」
「でも……すらすら言えちゃうなんてすごいよ。俺、絶対、途中で噛んじゃうし、そもそも覚えられないかも……」
「瞬の方が頭いいだろ。それに、これは武川の入れ知恵だ……俺がこんな立派なこと言えるわけねえ」
眩しいくらい輝いた目で俺を見つめる瞬から顔を背けつつ、「もういいから」と言うと、瞬はやっと落ち着いた。
「じゃあ、続きしてくれよ」
「うん……分かった。じゃあ、あとは……」
再び、面接官モードに戻った瞬は、少し考えてから、俺にこう訊いた。
「もしも、弊社以外に、他の会社からも内定が出たら、どうするおつもりですか?」
──これも、定番の質問だな。
面接の回答に正解なんてものはない。俺が言ったことが、俺の答えであり、俺の「正解」であるのだ。
あとはそれを、相手が良しと思うかどうか──マッチングの問題である。
だが、この質問だけは別だ。答えるべき「答え」がある。だから、俺はそれを口にした。
「はい。もちろん、御社が第一志望ですので、御社の内定を最優先いたします」
「おー……」
また、瞬が感心したように頷いている。あーあ、世の中の面接官が皆、瞬だったらいいのに。
そしたら、就活浪人なんて、この世からいなくなるだろうな。
そんなことを考えていると、面接官・瞬は「分かりました」とそこで質問を切った。
「では以上で、面接の方を終了させていただきます。瀬良君は弊社で即採用の永久雇用とします」
「早えな」
「絶対に他社になんて渡しません」
「行かねえよ」
俺がそう言うと、瞬は「よろしい」と言って笑った。
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