8月22日 夏休み、すぐ終わる
『春和地区花火大会 』
夕方──マンションのエントランスに入ると、ふと、掲示板に貼られたポスターが目に入る。
──そっか。もう今週末なんだもんね……。
この「春和地区花火大会」は、前にキッチンカー祭りもやっていた、学校の前のあの大きな公園で開催されるお祭りだ。
夕方頃から、広いグランドに出店がたくさん出て、夜になったら、空一面に美しい花火が上がるのだ。
会場である公園は、マンションからも近く、この花火大会には、小さい頃から、両親や康太、実春さん達と毎年のように観に行っている。
身体に響くような大きな音と、夜空を眩しく彩る大輪の花──芝生の上に敷いたレジャーシートに、康太と並んで寝そべって、あの空を眺めたことは、俺の中でずっと、大切に積み重ねてきた夏の思い出だ。
──今年も、康太と一緒に見られたらいいな。
前にも花火を見に行く話はしたけど、後でまた誘ってみよう。なんて思いつつポスターを見ていると、その隣に貼ってあるもう一つのチラシに気付く。
『花火大会当日は、マンションの屋上を入居者様専用の観賞用スペースとして開放します。是非、ご利用ください。』
──屋上でも見られるんだ。会場より混まなさそうだし……こっちでもいいかも。
人混みが好きじゃない康太には、ちょうどいいかもしれない。毎年、会場に行っていたから、こんなことをやってるなんて気付かなかった。
良い情報を知れた、と弾むような気持ちで、掲示板の前を離れようとすると、ちょうど──入口の方から「先生」が入ってくるのが見えた。
「みなと先生」
「ん、ああ……瞬ちゃん。こんにちは」
先生は俺に気付くと、にこりと笑って挨拶してくれた。でも、気のせいかな……?
──少し、元気がないような……?
今日もとっても暑かったし、先生は夏休み中も学校に行っているみたいだし、お疲れなのかも。
だけど、そんな俺の心配を吹き飛ばすように、先生は明るく、俺に話しかけてくれた。
「高校生もまだ夏休みかな。宿題はちゃんとやってますか?」
「はーい、大丈夫です。先生は、お休み中でもお仕事があるんですよね」
「うん。今週は新学期に向けて、何かと会議とかが多くてね……お休みモードも、もうおしまいって感じだ」
「やっぱり、先生って大変なんですね」
俺がそう言うと、みなと先生は「どうかな」と笑って言った。
「学校があると毎日賑やかだからね。寂しいなんて思う暇がなくてよかったけど、夏休みは……俺にはちょっと長すぎるかな」
──また、だ。
澄んだ青い空のように爽やかな先生の表情が、ほんの少し曇ったような気がする。
心配がまたぶり返してきて、つい、先生の顔をじっと見つめていると、それに気付いた先生が「おっと」と言って、表情を切り替える。
「まあ、そんなことを言っても、新学期が始まったら、慌ただしすぎて、やっぱりすぐに休みが恋しくなっちゃうんだ。勝手だよね」
「ふふ……でも、そういうものかもしれないですね」
と、そこでみなと先生が「そういえば」と話を変えた。
「瞬ちゃんは花火大会には行くのかな。康太くんを誘って」
「え?えっと……はい。ちょうどそうしようと思ってたところで」
まるで、さっきのことを見透かされてたみたいなことを言われて、少し恥ずかしくなる。すると、先生は「いいなあ」と、腕を組んで頷きながら言った。
「二人で花火なんて青春だなあ……ここの屋上で見るの?」
「は、はい。いつもは会場に行くんですけど、屋上も解放してるって聞いて……今年はそっちでもいいかなって」
「いいね。素敵だと思うよ」
うんうん、と頷く先生に、俺はふと気になったことがあり、訊いてみる。
「先生は、花火大会には行かれますか?」
「うーん、まあ、特に予定がなければ……見たいかな」
「へえ……そ、その時は……どなたかと一緒に?」
「一緒って……あ、もしかして」
みなと先生は俺の質問の意図に気付いたのか、苦笑いしながら言った。
「俺のそういう話を探ろうとしてる?」
「あはは……バレちゃいました?」
あっさりと気付かれてしまった後ろめたさで、先生から視線を逸らすと、先生は「はあ」とちょっと大げさにため息を吐いてみせてから言った。
「寂しいけど、俺に今、そういう話はないよ……」
「え?そうなんですか?」
先生は、こんなに格好良いのに?
だけど、先生は首を振って「仕方ないんだ」と言って続けた。
「俺、結構抜けてるし、色々と間が悪いというか、要領も良くないし……頼りがいもない男だし」
「そんなことないですよ。先生は──」
「同年代の同僚は皆もう家庭を持ってるし、実家に帰ると親にもせっつかれるし、でも上手くいかないんだもんな……俺だって──」
「せ、先生?」
いつの間にか、さっきよりも暗い目をしていた先生に、思わず呼びかけると、先生ははっと我に返った。
それからすぐに、取り繕うように、いつものように笑って言った。
「……なんてね。まあ、俺は今の生活も気に入ってるから、いいんだ。瞬ちゃんと康太くんが仲睦まじくしてるのを見ると、時々羨ましく思うことはあるけど……」
「え、え?仲睦まじくって、そんな……」
先生にもそう思われてるのかと思うと、わっと恥ずかしくなる。すると、先生は少し冗談めかして、こうも言った。
「先生としては、公の場ではもうちょっと抑えめに、と注意しておきます」
「公の場って……」
「マンションの廊下とかね」
「う……」
見られてたのか、と思うような心当たりがいくつかある分だけ、心が痛む。
そんな俺に先生は微笑みつつ、「まあ」と言った。
「人生も夏休みみたいに、長いようで短い、限られたものだからね。目一杯、大事な人を大事にしてあげてね」
「……はい」
──それは、そう思う。「あの世」を覗いた時から、特に。
俺は手を振って、先生と別れた。
それから──帰ったら、早速、康太に電話をしようと思った。
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