8月13日 お前の名は(前編)
──8月13日 AM 0:10。
「ん……」
目の前で弾けた光に、瞼の裏を焼かれるような感覚で、目が覚める。伸びをしながらゆっくり身体を起こすと、ここが薄暗い部屋の中で──闇に目が慣れるにつれて、自分の部屋だと気付く。
──そっか。澄矢さんの言った通り、俺……自分の部屋に帰ってきたんだね。
康太も無事に、こっちに戻ってこれたかな──なんて、ぼんやりと思いながら、時間を確認しようと、枕元にあるはずのスマートフォンに手を伸ばす。
──あれ、ない……。
俺のベッドは、ベッドフレームにコンセントが付いているタイプで、いつも寝ている間に充電しているから、そのあたりにあると思ったんだけどな。今日も、俺の部屋から「極楽天」に出発する前に、スマホはそのあたりに置いたはずなんだけど……。
枕をひっくり返し、手のひらでシーツを叩くように、スマホを探したけれど見つからない。仕方ない。一度、ちゃんと起きて、部屋の電気を点けよう──そう思って、ベッドを降り、壁のスイッチを押す。瞬間、部屋がぱっと明るくなって──。
「──え?」
蛍光灯の光の下、現れた光景に思考が止まる。ここって──。
「こ、康太の……部屋?」
何度となく訪れた幼馴染の部屋に、何故か自分がいると気付き、戸惑う。どうして?
──っていうか、ここが康太の部屋なら、康太はどこに……?
澄矢さんの話だと、俺達の身体はそれぞれの部屋に転がしたって話だ。それなら、ここには本来、部屋の主であるはずの康太がいるべきで、俺は、俺の部屋にいるはず……それなのに。
「康太……?」
声に出して呼んでみるけど、反応はない。ん?っていうか……俺。
「なんか……声が、いつもと違う……?」
あの世に行ってた影響?それとも、ちょっと風邪でも引いちゃったのかな?
喉の調子は悪くないけど、なんだか、声がいつもよりも低い気がする。
それに、いつもと違うのは「声」だけじゃない。
「なんか──目線も……いつもよりも高いような……」
まさか、寝てる間に背が伸びたりしたのかな──なんて、ふっと浮かんだありえない想像に苦笑しつつ、俺は康太の部屋をぐるりと見回す。
「康太、どこに行っちゃったんだろう……?」
──そして、ふと、目に入った姿見に映る、信じられないものを見てしまった。
「……康太?」
見間違い?と思いつつ、姿見に近づく。だけど、それは見間違いなんかじゃなかった。
なんていうことだろう。俺──。
「こ、康太になってる……」
姿見に映る俺の身体こそが──探していたこの部屋の主、康太だったのだ。
☆
「いや~……すまん、すまん。ちょっと、帰る時に手元が狂ってしもうてなあ。ほんで、間違って、お前らの魂をあべこべに帰してもうたんよ。親父に、お前らを早くここから連れて帰れって、急かされたから、焦ってもうたんかな……ほんま、すまんやで」
【瞬(in 康太)】「すまん、で済むか。このクソノーコン幽霊が」
隣に座る康太が、俺の顔と声のまま、いつもの調子で、澄矢さんを睨む。俺はそんな康太を「まあまあ」と宥めた。
【康太(in 瞬)】「あの時はバタバタだったし、仕方ないよ。澄矢さんだって、わざとじゃないだろうし……それに、すぐに戻してもらえるんだよね?」
「「……」」
【康太(in 瞬)】「な、何?二人とも……」
俺が喋った途端、微妙な顔で俺を見つめる俺……の姿の康太と、澄矢さん。澄矢さんは頭を掻きながら「なんやろなあ……」と言った。
「今儂を擁護してくれたんは、瞬ちゃんなんやけど、姿がクソガキやからなんや……キモいな」
【瞬(in 康太)】「てめえのせいだろうが、消すぞ」
「逆に、こっちに暴言吐かれると、めっちゃ凹むわ……なんやろなあ……」
澄矢さんが複雑そうな顔で首を捻っている。まあ、澄矢さんの気持ちも、分からなくはない。
【康太(in 瞬)】「康太、あんまり俺の姿で荒っぽいことは言わないでよ。なんだか恥ずかしいよ」
【瞬(in 康太)】「そ、それを言ったら、瞬だって……俺の顔と声で、なんか、ふわふわした喋り方すんなよ……見てると背筋がそわっとするだろ」
【康太(in 瞬)】「う、うーん……気を付けるけど……」
俺達は、はあ、と揃ってため息を吐いた。
──現在時刻は、深夜一時。
俺と同じ頃、現世に意識が帰ってきた康太は、やっぱり、俺の部屋で目が覚めたらしい。
そして、同じようにこの異変に気付いて、「もしかしたら」と俺がいるであろう、康太の家に様子を見に来てくれた。そこで、俺の方の状況も説明して、その結果──信じ難いけど、俺達は一つの結論に辿り着いた。
【瞬(in 康太)】『俺達、もしかして……』
【康太(in 瞬)】『入れ替わってる……?』
そんな、ある意味、お決まりのセリフを言ったところで、俺達は、「この状況を引き起こした人物」を呼び出した。
それが、澄矢さんだ。というか、この人以外ありえない。そして、澄矢さんはあっさりと、それに「せやな」と認め、今に至るんだけど──。
「まあ、クソガキ……瞬ちゃんも言うたけど、ちょっとしたミスや。うっかり、魂を入れるべき器をひっくり返してもうたってだけで。ちょっと時間もらえれば、こんなん、ぱーっと直るで。な、せやから堪忍な」
【瞬(in 康太)】「ぱっとって、どれくらいかかんだよ」
「一日くらいやな?」
【瞬(in 康太)】「結構かかるじゃねえか!」
俺の姿をした康太が、澄矢さんの胸倉を掴もうとする。だけど、その手はもちろん、すり抜けて、澄矢さんは「これでも大分巻いとるで」と首を振った。
──まあ、一日くらいなら……なんとか、なるかな?
「チッ」と舌打ちをする俺(康太)の腕を取って、抑えつつ、俺は澄矢さんに言った。
【康太(in 瞬)】「とりあえず……入れ替わりは一日だけなんだよね?こっちはなんとかするから、澄矢さんは、できるだけ早めに何とかしてくれると助かるよ。お願いします」
「お、おう……」
そう言った俺に、珍しく澄矢さんが引いている……というか、戸惑っている。そのうちに、澄矢さんは「ほな」と瞬きの間に消えていった。……最後まで、首を捻りながら。
【瞬(in 康太)】「はあ~……帰って来て早々、とんだ災難だな……」
ベッドにぼすん、と腰を下ろしながら、俺(康太)がため息を吐く。俺はその隣に座りながら、さりげなく俺(康太)の膝を叩いて、大きく開いた足を閉じるように促しつつ、言った。
【康太(in 瞬)】「うん……とりあえずは、一日この状態で過ごさないといけないけど……どうしよっか」
【瞬(in 康太)】「おう……そ、そうだな……」
俺の口調で話す自分の姿にまだ慣れないのか、俺(康太)は相変わらず微妙な顔をしている。まあ、俺の方も康太の口調で喋る自分に、全然慣れないから、似たような表情をしてるかもしれないけど……。
お互い、混乱しそうになる頭を落ち着けるためにも、しばらくじっと考え込む。やがて、俺(康太)が口を開いた。
【瞬(in 康太)】「とりあえず、一日かかるんだろ……なら、後で母さんに言って、今日は瞬の家に泊まるってことにするか?」
【康太(in 瞬)】「……そうだね。その方が、入れ替わりが解けるのがいつになっても、大丈夫だろうし。実春さんには、朝になったら、俺が言うんだよ……ね?」
【瞬(in 康太)】「ああ……それしかないな。俺みたいに喋れるか?」
【康太(in 瞬)】「が、頑張ってみるね……」
──とは言ったものの。
──8月13日 AM 5:30。
【康太(in 瞬)】「あ、実春さん。おはようございます……っ、て」
「……は、はあ?あんた、どうしたのよ?」
──し、しまった。つい、いつもの俺の口調で……。
康太と一旦分かれ、朝になるのを待ってから、起きて来たらしい実春さんに挨拶に行ったんだけど……早速、やってしまった。
明らかに、いつもと様子が違う息子に戸惑う実春さんに、俺はなんとか、康太のフリをして取り繕う。
【康太(in 瞬)】「な……なんちゃって。たまには、早起きして、母さんに敬語を使うのも、いいかなあって……どう?」
「キモいわよ」
ばっさりだった。俺にはいつも朗らかで優しい実春さんに、こんなことを言われるとちょっとショックだ……仕方ないけど。
すると、少し肩を落としていた康太(俺)の顔を覗き込むようにしながら、実春さんは言った。
「……まあ、早起きは悪くないと思うけど。起きたなら起きたで、洗濯干すくらい手伝いなさいよ。馬鹿なことしてないで」
【康太(in 瞬)】「は、はい!もちろんです。手伝わせてください」
「……ほ、本当にどうしたのよ?台風が逸れてこっちに来るんじゃないの……?」
【康太(in 瞬)】「あ、あはは……」
──と、まあ、実春さんに不審がられながらも、朝の家事のお手伝いをして、それから、康太(俺)は「今日は瞬の家に泊まるから」と伝えた。ところが……。
「あんた、もしかして……私にその許しを貰うために、こんなことしたってこと?」
【康太(in 瞬)】「え、え!?」
「別に、あんたらが家を行き来してんのは今に始まったことじゃないし、瞬ちゃんが迷惑じゃないならいいけど……。まさか、あんた……瞬ちゃんに何かやましいことでもする気じゃないでしょうね」
【康太(in 瞬)】「え、そ、そんなことしませんよ!康太は……すごく優しいし……紳士的ですし……」
「何よ、急に自分のことを名前で呼んだりして……?それに、自分で紳士って。まあ、あんた達はまだ学生なんだから、あんまりハメ外すんじゃないよ」
【康太(in 瞬)】「は、はあ……」
──実春さんに、何か誤解されちゃったかも……?
と、まあ……そんな感じで。
無事(?)に実春さんの許可も貰って、俺はようやく、自分の家に……康太の姿で戻ってきたんだけど。
【康太(in 瞬)】「ただいまー……って、康太?」
【瞬(in 康太)】「ああ、瞬。おかえり、ちょうどよかった」
【康太(in 瞬)】「ちょうどよかったって……」
ドアを開けて中に入るなり、俺(康太)が俺の手を引いて、ずんずんとどこかへと連れて行く。
引っ張られるままついて行くと、そこは──。
【康太(in 瞬)】「トイレ?」
【瞬(in 康太)】「ああ。なんか、簡単に行けないって思うと、行きたくなっちまってよ……でも、この身体で勝手に行くわけにいかねえだろ」
【康太(in 瞬)】「簡単に?勝手にって……あ、そっか……」
──そこで、俺はようやく気付いた。この状況が、どういうものかってことを。
【康太(in 瞬)】「と、トイレ問題……」
俺が呟くと、俺(康太)が「ああ」と頷く。
【瞬(in 康太)】「トイレしようと思ったら、下を脱がなきゃいけねえだろ。でもそれってつまり……俺は、瞬の……を見ることになるから……」
──それはつまり、俺の方も……トイレに行こうと思ったら、『康太』を見ることになっちゃうんだよね……。
ごくり、と唾を飲む。すると、康太は俺の心を察したのか、何でもない風に言った。
【瞬(in 康太)】「俺のは別にいい。前も言ったけど、瞬にだったら見られても構わねえし、好きなだけ見てくれていいぞ」
【康太(in 瞬)】「いや、俺が恥ずかしいから」
見てくれ、と言われても困る。ていうか……。
【康太(in 瞬)】「康太は……俺のを見ても平気なの?」
【瞬(in 康太)】「ああ。まあ……瞬が見せてくれるなら、俺はそれを受け入れる覚悟はある。どんなものだったとしても、だ」
【康太(in 瞬)】「ど、どんな『もの』って……そんな、変な言い方しないでよ……」
言われれば言われるほど恥ずかしくなってしまい、顔を伏せる。すると、俺(康太)も焦ったような声で「おい」と言った。
【瞬(in 康太)】「俺の姿でそんな、もじもじするなよ……自分で自分が気持ち悪いだろ」
【康太(in 瞬)】「だ、だって……康太が、ものが、とか言うから……」
【瞬(in 康太)】「そんな変な意味じゃねえよ!あれは、その……パンツがってことだ!俺は瞬がどんなパンツだったとしても、気にしねえってことだよ。たとえ、ペンギンのかわいい柄のやつでもな」
【康太(in 瞬)】「ぱ……?あ、え、何、パンツのこと……?なんだ、そっちか……って、ん?」
些細な行き違いが解けたところで、俺は康太の言葉に引っかかる。あれ?今何か──。
【康太(in 瞬)】「康太?」
【瞬(in 康太)】「……」
己の失言に気付いたのか、俺(康太)は、俺から顔を背けている。俺はそんな俺(康太)の頬を両手で押さえて、無理やり、こっちに向けさせて、訊いた。
【康太(in 瞬)】「……見たの?」
【瞬(in 康太)】「不可抗力だったんだ……」
【康太(in 瞬)】「どんな?」
【瞬(in 康太)】「寝ぼけて、トイレに行って……なんか変だなとは思ったんだけど、そのままズボンを下ろして……そしたら、やたらかわいいパンツだったから……それで、入れ替わりに気付いて……」
【康太(in 瞬)】「……許す」
俺は俺(康太)を解放する。俺(康太)は「ふー」と息を吐いて、額を拭いながら言った。
【瞬(in 康太)】「まあ、うっかり見たのは悪かった。ごめんな。でも、瞬が普通のパンツでよかったぜ……前に聞いたレースのパンツだったら、ちょっと恥ずかしかったもんな……ってえ!?」
【康太(in 瞬)】「……」
俺は俺(康太)の頬をぺちり、と叩いた。自分の身体だから、あまり心は痛まなかった。
さて──これから一体、どうしよう?
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