絶対に気持ち良くなってはいけないスパリゾート24時 ⑥


「──で、なあ。あの時のあいつと来たら『あんたはうるさいし、いても役に立たないから外で黙って待ってなさい』って言って、立ち会わせてくれなかったんだ。俺はもう気が気じゃなくてよ……だって、壁一枚隔てた向こうで、今まさに、俺達の子が生まれてこようとしてて、実春は命懸けるような思いで戦ってるんだぜ。俺はそれになんもできねえなんてよ……」


ぽとり、と身体を伝っていく汗が床に落ちる。頭が焼けるような熱さに耐えようと、ふっと息を吐く。だが、吐いたそばから、熱い空気が肺に流れ込んできて、今度は身体の内側が燃えるようだった。膝の上で組んだ手を落ち着きなく組み替えて、俺は床を見つめる。


「暗い廊下で一晩中壁に耳を擦りつけるようにしながら、待ってたんだ。そんで──あれは、明け方だったな。『生まれましたよ』って聞いた時はもう、何もかも吹き飛んだぜ。扉をぶち破るくらいの勢いで、駆けつけたな。そこで、ほやほやの宇宙人みてえな……ちっちゃくて、まだ目も開いてないお前を見た時は、涙が出たんだよな……ベッドで寝てた実春に『何泣いてんのよ、らしくないわね』って言われたっけな。で──」


「……」


「あ、名前はもう決めてあったんだぜ。俺、自分の子ができたら、名前に俺と同じ字を入れたかったんだ。俺の親はもう、どっちもいなくなってたから、俺にとって親が残してくれたもんは、自分の名前くらいしかなかったからよ。でも、候補がいっぱいありすぎて、なかなか絞れなかったんだよな。そういや、康太が腹の中にいるって分かった後、名付け辞典を五冊くらい買って帰ったら『こんなに買ってどうすんのよ』って怒られてよ。じゃあ、二人目の名前を考える時にも使えるだろって言ったら『気が早いわよ』って、ケツを思いきり蹴られた。懐かしいな……なあ、康太」


「……あつい」


「あ?なんだって?」


きょとんとした顔で、そう訊いてきた父親に、俺は言った。


「……だから、あついんだって」


「ん?ああ……そうか。確かにまあ、今のはちょっと熱い話だったかもな。でもな、お前にはどうしても──」


「いや、そっちじゃなくて」


俺はおもむろに、丸めていた背中を伸ばして、父親に向き直ってから言った。


「なんで、親子で色々語りあうのにサウナなんだよ!暑すぎるだろ、全然話入って来ねえわ!」


言われて「え!?」と驚く父親に、俺は、熱いため息を吐いた。





大浴場の一角にあったサウナを出た俺達は、水風呂に並んで浸かり、燃えるような肌を冷ましていた。


頭にタオルを載せた父親が、俺に言う。


「なんだよ。暑かったなら、すぐ言ってくれりゃよかったのに。我慢することなかっただろ」


「いや……だって、脱いで、大浴場に入るなり、父さんが『行こうぜ』って無理やり連れ込んだんだろ……」


「そりゃあ、向こうでは最近、サウナが流行ってるって聞いたから、お前もどうかと思ったんだよ。違ったのか?」


「まあ、たしかに流行ってるけど……話し込むのには向いてねえだろ……どう考えても」


「そうか?」


父親はまた、最初に会った時みたいに、首を傾げた。瞬が、俺によく似てるって言った仕草だ。遺影を見てもぴんとは来なかったし、そんな風に言われても……今も、よくは分からねえけど。


──俺、この人の……息子なんだな。


「話が入って来ねえ」なんて言っちまったけど、本当はその内容はちゃんと聞いていた。……俺が生まれてきた時の話だ。

聞いてどう思ったかは、言葉にするとこそばゆくて、上手く言えない。


それでも、ひとつ言えるのは──俺はたしかに、母さんと父さんの子なんだってことだ。


さっき聞いた話を頭の中で転がしていると、ふいに、父さんが「ああ、そうだ」と口を開く。


「……なんだよ」


「康太……ひとつ、訊きてえことがあったんだけどよ」


父さんは、神妙な顔つきで、俺にこう訊いてきた。


「……実春って、新しい男とか、できてねえよな?」


「いや、知らねえよ……」


年頃の息子に微妙なこと訊くなよ。

そう思っていると、父さんは「だってよ」と言って続けた。


「俺がいきなり死んで、あいつには随分苦労かけちまっただろ。でも、康太をここまで育ててくれて……その康太にも、頼もしい相手がちゃんといるだろ。だから、実春にも……もし、そういう相手がいるなら、前に進んでほしい……って思ったんだけどよ。でも、それはそれでなんか嫌っていうか、悔しいって気持ちもあんだよ。もしいたらと思うと、妬きそうになんだよ。俺は複雑なんだよ……どうしたらいいと思う、康太」


「もっと知るか!そんなの」


だから、年頃の息子にそんな話をしないでほしい。と、そこでふと、俺は気になったことがあり、父親に尋ねる。


「てか、そんなの……毎年墓参りに行った時とかに、そういう近況的な話するだろ。それこそ、俺と瞬が……付き合ってるって話もよ。まさか、墓前で話したことって、父さんには伝わんねえのか?」


「いや、そんなことはねえぞ。ちゃんと届く。けど、今は時期が悪いな」


「時期?」


俺が首を傾げると、父さんは「ああ」と頷いてから、続けた。


「墓とか仏壇ってのは、いわば、『端末』なんだよ。あの世っていう『クラウド』にアクセスするためのな。で、そこで祈られて、伝えられたことってのは、こっちにも届くようになってる。ただ、盆とかそういう墓参りシーズンは、各地の墓からあの世にアクセスが集中するから、パンクしねえように制限がかかって、それで、こっちまで届くのにラグがあんだよ。だから、お前らが墓の前でしてくれたらしい報告も、俺のとこにはまだ届いてねえんだ。悪いな」


「そ、そうなのか」


父さんの話に一応、納得した体で頷くが、飲み込むには時間がかかりそうな話だ。だが、渋い顔をしていたらしい俺に、父さんは、がはは、と笑いながら言った。


「ま、俺も今のは、クソ坊主とかの受け売りだからよ。よく意味は分かんねえんだけど、要するに、この時期は向こうでも色々混んでて、その影響があの世にも及んでるってことだな」


そこまで言ったところで、父さんが「身体が冷えて来たな。他の風呂に入ろうぜ」と水風呂から上がる。ガタイのいい、筋肉質で締まった父親の裸身が、ふと目に入る。俺と六個しか変わらないとか言ってた(たぶん、亡くなった年齢のままなんだろう)が、それでも、こうも身体つきが俺と違うものか、とつい、じっと見てしまう。


すると、俺のそんな視線に気付いたのか、父親も俺の身体をじっと見つめて言った。


「康太、お前……ちょっと細いんじゃねえか。ちゃんと好き嫌いしないで食べてるか?睡眠も大事だぞ。若いから起きてられるかもしれねえけど、夜はちゃんと寝ろよ。夜中のエロい番組とか見てえかもしれねえけど、夜更かしは色々と響くぞ」


「そんなもん見ねえよ……」


大体、夜中のエロい番組って一体いつの時代の話をしてるんだよ……と言いかけて、そうか、父親は亡くなった十数年前で時が止まってるのか、と思い当たり、その言葉を飲む。それを察したのか、父さんは話題を変えるように「あっちの風呂にしよう」と俺を「炭酸風呂」と書いてある風呂に連れて行く。


今度はそこで湯に浸かる。さっきよりもぬるい湯が肌に染みて気持ち良い……と思いそうになったその時、父さんは俺にこんなことを訊いてきた。


「そういや康太。お前、瞬ちゃんとは『まだ』だって言ってたけどよ、部屋の風呂には一緒に入ったのか?」


「な、なんだよ急に!」


おかげで、気持ち良さは飛ばすことができたが──俺は息を吐いてから、答えた。


「まあ、きまりにもあるから一緒には入ったけど……瞬は水着だったし、別に何もねえよ」


「水着……?ああ、そうか。それでフロントの奴、そんなもん用意してたのか」


父さんが納得したように頷く。しかし、それから一転、首を捻りながら言った。


「男同士で……それも恋人同士でも、抵抗あるのか?裸」


「まあ、瞬は人前で脱いだりすんの、昔から嫌がるからな……。体育の時も、わざわざトイレまで着替えに行くし……銭湯も誘っても、断るし。部屋の風呂だって、水着ならいいって言って──」


そこまで俺が言うと、父さんは腕を組んで何かを考えるような素振りを見せる。しばらくそうしてから、父さんは「なあ」と、また真剣な顔で口を開いた。


「まさか、とは思うんだけどよ……」


「……なんだよ」


「瞬ちゃんって、実は女の子──だったりしねえよな?」


「そんなわけねえだろ」


断固として否定した。そんなわけねえ。俺は瞬と何年一緒にいると思ってんだ。瞬は男だ──だが、父さんはその仮定をやめない。


「でもお前、瞬ちゃんの裸……見たことあるか?」


「そんなのもちろん──……ねえな」


「ということは、『ついてる』のを確認したわけじゃないんだよな?」


「そ、そりゃ……そんなとこ、裸が嫌なんだから見るわけないだろ」


「じゃあお前は何をもって、瞬ちゃんを男だと認識してるんだ?」


「それは──」


何を言ってるんだ、と俺は反論の材料を並べようとする。だが……それが、浮かばない。


──性格……は今どき、男だからどう、とかもないよな。そうなると、身体的な特徴で、あくまでも生物学的に、男だと断定できる根拠が何かって話だ。


なら筋肉とかか?いや……それも、瞬はそんなにがっちりした体格じゃない。むしろ華奢な方というか。じゃあ、声?いや、それも別に……瞬は野太い声はしてないし、ちょっとハスキーな女子だったら、ああいう声の人はいるだろう。あれ?


「……」


なんということだろう。


俺は「瞬は男」だという根拠を何一つ示せなかった。何故かは分からないが、これはすごく重要で、覆してはいけない、何としても証明しなければならないことの気がするのに、俺にその力は無かった……。


言葉に詰まる俺に、父さんは言った。


「……シュレーディンガーの猫、ってやつだな」


箱の中の猫の生死は、箱を開けて目視するまでは決定できない、というやつだ。つまり、これも同じだった。

裸の瞬を目視するまで、生物学的な瞬の性別は決定できない──「シュレーディンガーの瞬」だ。


「まあ、瞬ちゃん……喉仏がはっきりあったのを見たから、間違いなく男だけどな」


「てめえ、このクソ親父──!」


豪快に笑う父親に掴みかかると、父親は目を細めて「俺が生きてて、康太に反抗期ってのがあったら、こんなんだったんだろうなあ……」としみじみしていた。


そう言われると、なんだかもう、怒る気も失せた……。





「そう言えばさ──」


「ん、何や?」


康太と康晃さんを待ちながら──シアタールームで、古い映画を見ている時だった。俺はふと、気になったことがあって、横で寝転がっている澄矢さんに尋ねる。


「澄矢さんは、どうして康晃さんと知り合いなの?」


「ああ……なんや、そんなことか」


澄矢さんがぐっと伸びをしながら、身体を起こす。それから、頭をぽりぽり掻きながら言った。


「せやな……まあ、瞬ちゃんやし、話してもええかな」


「もしかして、あんまり言いたくないこと?」


「いや別に、そういうわけでもないけどな……」


澄矢さんは伸ばした脚をぶらぶらさせながら、言った。


「なんてことはないで。儂もまあ……今みたいになる前は、普通に人として生きてたことがあったんよ。で、何が原因かは忘れたけど、死んだんや。ただ、理由は分からなくても、分からないなりに『生への執着』はかなりあった。ほんで、それがどうにもならんくて、ほとんど悪霊に堕ちかかってたんやけど」


澄矢さんがちらりと俺を見遣ったので、俺は黙って頷いて、先を促す。澄矢さんは続けた。


「そこを、この『極楽天』で親父に救ってもらったんよ。それでやっと、こっち側のもんになれて──そっからまあ、さらに色々あって今がある。せやからまあ……儂は、あの親父にはでかい借りがあんねん。だから、お前らのことも──」


と、そこまで言いかけて澄矢さんは「あかん」と口を閉じた。


「澄矢さん?」


「これ以上は言えんわ。親父にも言わんといてって止められとるしな。まあ、今の話も忘れてくれてええよ」


「え、え……?」


なんだかすごく大事な話だったと思うのに。

だけど、それ以降、どう訊いても、澄矢さんははぐらかすばかりで、ちっとも教えてくれなかった。

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