絶対に気持ち良くなってはいけないスパリゾート24時 ⑥
「──で、なあ。あの時のあいつと来たら『あんたはうるさいし、いても役に立たないから外で黙って待ってなさい』って言って、立ち会わせてくれなかったんだ。俺はもう気が気じゃなくてよ……だって、壁一枚隔てた向こうで、今まさに、俺達の子が生まれてこようとしてて、実春は命懸けるような思いで戦ってるんだぜ。俺はそれになんもできねえなんてよ……」
ぽとり、と身体を伝っていく汗が床に落ちる。頭が焼けるような熱さに耐えようと、ふっと息を吐く。だが、吐いたそばから、熱い空気が肺に流れ込んできて、今度は身体の内側が燃えるようだった。膝の上で組んだ手を落ち着きなく組み替えて、俺は床を見つめる。
「暗い廊下で一晩中壁に耳を擦りつけるようにしながら、待ってたんだ。そんで──あれは、明け方だったな。『生まれましたよ』って聞いた時はもう、何もかも吹き飛んだぜ。扉をぶち破るくらいの勢いで、駆けつけたな。そこで、ほやほやの宇宙人みてえな……ちっちゃくて、まだ目も開いてないお前を見た時は、涙が出たんだよな……ベッドで寝てた実春に『何泣いてんのよ、らしくないわね』って言われたっけな。で──」
「……」
「あ、名前はもう決めてあったんだぜ。俺、自分の子ができたら、名前に俺と同じ字を入れたかったんだ。俺の親はもう、どっちもいなくなってたから、俺にとって親が残してくれたもんは、自分の名前くらいしかなかったからよ。でも、候補がいっぱいありすぎて、なかなか絞れなかったんだよな。そういや、康太が腹の中にいるって分かった後、名付け辞典を五冊くらい買って帰ったら『こんなに買ってどうすんのよ』って怒られてよ。じゃあ、二人目の名前を考える時にも使えるだろって言ったら『気が早いわよ』って、ケツを思いきり蹴られた。懐かしいな……なあ、康太」
「……あつい」
「あ?なんだって?」
きょとんとした顔で、そう訊いてきた父親に、俺は言った。
「……だから、あついんだって」
「ん?ああ……そうか。確かにまあ、今のはちょっと熱い話だったかもな。でもな、お前にはどうしても──」
「いや、そっちじゃなくて」
俺はおもむろに、丸めていた背中を伸ばして、父親に向き直ってから言った。
「なんで、親子で色々語りあうのにサウナなんだよ!暑すぎるだろ、全然話入って来ねえわ!」
言われて「え!?」と驚く父親に、俺は、熱いため息を吐いた。
☆
大浴場の一角にあったサウナを出た俺達は、水風呂に並んで浸かり、燃えるような肌を冷ましていた。
頭にタオルを載せた父親が、俺に言う。
「なんだよ。暑かったなら、すぐ言ってくれりゃよかったのに。我慢することなかっただろ」
「いや……だって、脱いで、大浴場に入るなり、父さんが『行こうぜ』って無理やり連れ込んだんだろ……」
「そりゃあ、向こうでは最近、サウナが流行ってるって聞いたから、お前もどうかと思ったんだよ。違ったのか?」
「まあ、たしかに流行ってるけど……話し込むのには向いてねえだろ……どう考えても」
「そうか?」
父親はまた、最初に会った時みたいに、首を傾げた。瞬が、俺によく似てるって言った仕草だ。遺影を見てもぴんとは来なかったし、そんな風に言われても……今も、よくは分からねえけど。
──俺、この人の……息子なんだな。
「話が入って来ねえ」なんて言っちまったけど、本当はその内容はちゃんと聞いていた。……俺が生まれてきた時の話だ。
聞いてどう思ったかは、言葉にするとこそばゆくて、上手く言えない。
それでも、ひとつ言えるのは──俺はたしかに、母さんと父さんの子なんだってことだ。
さっき聞いた話を頭の中で転がしていると、ふいに、父さんが「ああ、そうだ」と口を開く。
「……なんだよ」
「康太……ひとつ、訊きてえことがあったんだけどよ」
父さんは、神妙な顔つきで、俺にこう訊いてきた。
「……実春って、新しい男とか、できてねえよな?」
「いや、知らねえよ……」
年頃の息子に微妙なこと訊くなよ。
そう思っていると、父さんは「だってよ」と言って続けた。
「俺がいきなり死んで、あいつには随分苦労かけちまっただろ。でも、康太をここまで育ててくれて……その康太にも、頼もしい相手がちゃんといるだろ。だから、実春にも……もし、そういう相手がいるなら、前に進んでほしい……って思ったんだけどよ。でも、それはそれでなんか嫌っていうか、悔しいって気持ちもあんだよ。もしいたらと思うと、妬きそうになんだよ。俺は複雑なんだよ……どうしたらいいと思う、康太」
「もっと知るか!そんなの」
だから、年頃の息子にそんな話をしないでほしい。と、そこでふと、俺は気になったことがあり、父親に尋ねる。
「てか、そんなの……毎年墓参りに行った時とかに、そういう近況的な話するだろ。それこそ、俺と瞬が……付き合ってるって話もよ。まさか、墓前で話したことって、父さんには伝わんねえのか?」
「いや、そんなことはねえぞ。ちゃんと届く。けど、今は時期が悪いな」
「時期?」
俺が首を傾げると、父さんは「ああ」と頷いてから、続けた。
「墓とか仏壇ってのは、いわば、『端末』なんだよ。あの世っていう『クラウド』にアクセスするためのな。で、そこで祈られて、伝えられたことってのは、こっちにも届くようになってる。ただ、盆とかそういう墓参りシーズンは、各地の墓からあの世にアクセスが集中するから、パンクしねえように制限がかかって、それで、こっちまで届くのにラグがあんだよ。だから、お前らが墓の前でしてくれたらしい報告も、俺のとこにはまだ届いてねえんだ。悪いな」
「そ、そうなのか」
父さんの話に一応、納得した体で頷くが、飲み込むには時間がかかりそうな話だ。だが、渋い顔をしていたらしい俺に、父さんは、がはは、と笑いながら言った。
「ま、俺も今のは、クソ坊主とかの受け売りだからよ。よく意味は分かんねえんだけど、要するに、この時期は向こうでも色々混んでて、その影響があの世にも及んでるってことだな」
そこまで言ったところで、父さんが「身体が冷えて来たな。他の風呂に入ろうぜ」と水風呂から上がる。ガタイのいい、筋肉質で締まった父親の裸身が、ふと目に入る。俺と六個しか変わらないとか言ってた(たぶん、亡くなった年齢のままなんだろう)が、それでも、こうも身体つきが俺と違うものか、とつい、じっと見てしまう。
すると、俺のそんな視線に気付いたのか、父親も俺の身体をじっと見つめて言った。
「康太、お前……ちょっと細いんじゃねえか。ちゃんと好き嫌いしないで食べてるか?睡眠も大事だぞ。若いから起きてられるかもしれねえけど、夜はちゃんと寝ろよ。夜中のエロい番組とか見てえかもしれねえけど、夜更かしは色々と響くぞ」
「そんなもん見ねえよ……」
大体、夜中のエロい番組って一体いつの時代の話をしてるんだよ……と言いかけて、そうか、父親は亡くなった十数年前で時が止まってるのか、と思い当たり、その言葉を飲む。それを察したのか、父さんは話題を変えるように「あっちの風呂にしよう」と俺を「炭酸風呂」と書いてある風呂に連れて行く。
今度はそこで湯に浸かる。さっきよりもぬるい湯が肌に染みて気持ち良い……と思いそうになったその時、父さんは俺にこんなことを訊いてきた。
「そういや康太。お前、瞬ちゃんとは『まだ』だって言ってたけどよ、部屋の風呂には一緒に入ったのか?」
「な、なんだよ急に!」
おかげで、気持ち良さは飛ばすことができたが──俺は息を吐いてから、答えた。
「まあ、きまりにもあるから一緒には入ったけど……瞬は水着だったし、別に何もねえよ」
「水着……?ああ、そうか。それでフロントの奴、そんなもん用意してたのか」
父さんが納得したように頷く。しかし、それから一転、首を捻りながら言った。
「男同士で……それも恋人同士でも、抵抗あるのか?裸」
「まあ、瞬は人前で脱いだりすんの、昔から嫌がるからな……。体育の時も、わざわざトイレまで着替えに行くし……銭湯も誘っても、断るし。部屋の風呂だって、水着ならいいって言って──」
そこまで俺が言うと、父さんは腕を組んで何かを考えるような素振りを見せる。しばらくそうしてから、父さんは「なあ」と、また真剣な顔で口を開いた。
「まさか、とは思うんだけどよ……」
「……なんだよ」
「瞬ちゃんって、実は女の子──だったりしねえよな?」
「そんなわけねえだろ」
断固として否定した。そんなわけねえ。俺は瞬と何年一緒にいると思ってんだ。瞬は男だ──だが、父さんはその仮定をやめない。
「でもお前、瞬ちゃんの裸……見たことあるか?」
「そんなのもちろん──……ねえな」
「ということは、『ついてる』のを確認したわけじゃないんだよな?」
「そ、そりゃ……そんなとこ、裸が嫌なんだから見るわけないだろ」
「じゃあお前は何をもって、瞬ちゃんを男だと認識してるんだ?」
「それは──」
何を言ってるんだ、と俺は反論の材料を並べようとする。だが……それが、浮かばない。
──性格……は今どき、男だからどう、とかもないよな。そうなると、身体的な特徴で、あくまでも生物学的に、男だと断定できる根拠が何かって話だ。
なら筋肉とかか?いや……それも、瞬はそんなにがっちりした体格じゃない。むしろ華奢な方というか。じゃあ、声?いや、それも別に……瞬は野太い声はしてないし、ちょっとハスキーな女子だったら、ああいう声の人はいるだろう。あれ?
「……」
なんということだろう。
俺は「瞬は男」だという根拠を何一つ示せなかった。何故かは分からないが、これはすごく重要で、覆してはいけない、何としても証明しなければならないことの気がするのに、俺にその力は無かった……。
言葉に詰まる俺に、父さんは言った。
「……シュレーディンガーの猫、ってやつだな」
箱の中の猫の生死は、箱を開けて目視するまでは決定できない、というやつだ。つまり、これも同じだった。
裸の瞬を目視するまで、生物学的な瞬の性別は決定できない──「シュレーディンガーの瞬」だ。
「まあ、瞬ちゃん……喉仏がはっきりあったのを見たから、間違いなく男だけどな」
「てめえ、このクソ親父──!」
豪快に笑う父親に掴みかかると、父親は目を細めて「俺が生きてて、康太に反抗期ってのがあったら、こんなんだったんだろうなあ……」としみじみしていた。
そう言われると、なんだかもう、怒る気も失せた……。
☆
「そう言えばさ──」
「ん、何や?」
康太と康晃さんを待ちながら──シアタールームで、古い映画を見ている時だった。俺はふと、気になったことがあって、横で寝転がっている澄矢さんに尋ねる。
「澄矢さんは、どうして康晃さんと知り合いなの?」
「ああ……なんや、そんなことか」
澄矢さんがぐっと伸びをしながら、身体を起こす。それから、頭をぽりぽり掻きながら言った。
「せやな……まあ、瞬ちゃんやし、話してもええかな」
「もしかして、あんまり言いたくないこと?」
「いや別に、そういうわけでもないけどな……」
澄矢さんは伸ばした脚をぶらぶらさせながら、言った。
「なんてことはないで。儂もまあ……今みたいになる前は、普通に人として生きてたことがあったんよ。で、何が原因かは忘れたけど、死んだんや。ただ、理由は分からなくても、分からないなりに『生への執着』はかなりあった。ほんで、それがどうにもならんくて、ほとんど悪霊に堕ちかかってたんやけど」
澄矢さんがちらりと俺を見遣ったので、俺は黙って頷いて、先を促す。澄矢さんは続けた。
「そこを、この『極楽天』で親父に救ってもらったんよ。それでやっと、こっち側のもんになれて──そっからまあ、さらに色々あって今がある。せやからまあ……儂は、あの親父にはでかい借りがあんねん。だから、お前らのことも──」
と、そこまで言いかけて澄矢さんは「あかん」と口を閉じた。
「澄矢さん?」
「これ以上は言えんわ。親父にも言わんといてって止められとるしな。まあ、今の話も忘れてくれてええよ」
「え、え……?」
なんだかすごく大事な話だったと思うのに。
だけど、それ以降、どう訊いても、澄矢さんははぐらかすばかりで、ちっとも教えてくれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます