8月11日 山の日 極楽への誘い


長く閉じていた目を開く。

瞬間、意識の外にやっていた蝉の声や木々のざわめきがフェードインしてくる。色とりどりの花の間で、細く揺れる線香の煙を追って、空を見上げれば、鮮やかな青さに目が眩んだけれど、それもほんの一瞬。


「行こう、瞬」


「うん」


康太に促されて、立ち上がる。砂利を踏みしめる音があたりに響く。


──瀬良家之墓。


俺は、会ったことのないその人を想って、一礼した。


──康太に、出会わせてくれて、ありがとうございます。


──叶うなら、直接お会いして、伝えたかったことがたくさんあったな……。


背を向けて、康太と並んで歩き出す。康太が肘を軽く当ててきたかと思ったら、俺の手を取って、きゅっと握った。俺はそれを握り返した。


少し離れた先に停めた車の前で、実春さんが俺達を待っていることに気付くと、俺達はそっと手を離した。でも、後部座席に並んで座った時、またこっそり繋いだ。気付いてるのかいないのか、ハンドルを握りながら、実春さんは「お昼は道の駅にでも行こうかしら、どう?」と俺達に声を掛けた。





「あー……暑かったな」


「うん、なんだか蒸し暑かったね……」


康晃さんのお墓参りから帰ってきて。


俺は実春さんに今日のお礼を言って、その後は、また、俺の部屋で、康太と二人で過ごしていた。


【条件】があった頃は、意識的に毎日康太と顔を合わせていたけれど、なんだか最近は、特に意識しなくても、こうして二人でいるような気がする。でも、俺達は元々こんな感じだったかもしれない。こうしていることがすごく自然なのだ。居心地がいいというか……康太との関係に新しい面が生まれても、この感覚は今までと特別に変わってはない。……まあ、もちろん、今までにない期待も、ないと言ったら嘘にはなるけど。


そんなわけで、からから、と氷の入った麦茶入りのグラスを傾けながら、エアコンの効き始めた、まだ少し熱の残る部屋で、たわいもない話をぽつぽつとしつつ、のんびりする。


お互いの進路のこととか、昨日見たテレビのこととか、この前学校に行ったら誰がどうだったとか……そのうちに、話題は夏休みの予定のことに移る。


「そういえば……盆休みは、結局どうする?」


「あー……そっか。そんな話もしてたね……」


夏休みに入ってすぐの頃だったか。康太と夏の予定について話していたことを思い出す。この夏は、お互いに進路関係の予定が詰まってるけど、お盆休みなら、そういう予定は入らないから、二人で何かするならこのあたりか……なんて言ってたんだよね。


「でも、台風が来るって言うから、やっぱりお出かけは難しいかなあ……お天気も読めないしね」


「あんまり晴れてても暑いもんな……それに混んでそうだし。遊びに行くにしても、近場の方がいいか?」


「もしどこかに行くとしたら、康太はどこがいい?」


「家」


「近場すぎるよ」


うん。そうだ……康太は「世界一デートに向かない男」なんだった。まず、お出かけではしゃぐタイプじゃない。というか、さっきから言葉の端々に「どこも行きたくない感」が滲み出てる。


かく言う俺も、是が非でも康太とどこかに行きたい……というわけでもない。悪天候や猛暑のリスクはよく分かるし、混雑してるところに無理に出かけるよりも、こうして康太と二人で過ごせればそれでいいというのが、正直な気持ちだったり……。


──それなら、前も提案した、俺の家にお泊まりとか、どうかな?


「寝床問題」はあるけど、そこはまあ……無理に一緒に寝なくてもいいのだ。というか、このベッドで一緒に寝たら普通に狭いし。俺の家にはお客さん用の布団の用意があるんだから、そこで寝ればいいんだし。よし、康太にもう一度提案して──。


「あー……でも、温泉とかは行きてえな……」


「どっちなんだよ!」


さっきまであんなに「お出かけ」を渋ってたくせに。温泉はお出かけに入らないの!?

思わずツッコんでしまった俺に、康太が目を丸くしてびっくりしている。俺は「ごめん」と言ってから続けた。


「でも、温泉だってお出かけだよ?混んでるかもしれないのに、いいの?」


「いや、二駅先のあそこならバスで行けるし、そんなに混んでねえしいいかな……って、急に思って」


「急すぎる」


俺ははあ、とため息を吐いた。康太の言っている「二駅先のあそこ」というのは、いわゆる健康ランドだ。プールや温泉、サウナ、お食事処や仮眠室なんかがあるところで、俺達も小さな頃に連れて行ってもらったことがある。古い施設だけど、最近リニューアルしたばかりで、かなり綺麗になったって聞いたし……駅からは離れてるけどバスが出ている。確かにいいかもしれないけど──。


少し考え込む俺に、康太は何か察したのか、頭を掻きながら言った。


「いや、振り回してごめん。瞬も、せっかくならどっか行きてえよなって思って……ちょっと考えたんだけど」


項垂れる康太に、俺は、はっとして「ありがとう」と言う。それから、迷ったけど──俺は、康太に伝えた。


「ごめんね、康太。前も言ったかもしれないけど、俺、温泉って苦手で……人前で裸になるのが、ちょっと」


「あ、そうだったな……悪い」


「ううん。俺の問題だから」


そう言うと、部屋の空気が少し重たくなってしまった。康太には悪いことしちゃったな。康太なりに俺のことを考えてくれたのに……。

今も、康太は気まずそうに麦茶を啜っている──ここは、俺から話を振るべきだろうと思って、どうしようかと頭を巡らせる。


すると、そんな重い沈黙を打ち破るように、聞き慣れた声が降ってくる。


「夏のご予定にお困りって感じやなあ」


「なんだよ」


声のする方を康太が睨む。そこにいたのは、もちろん、澄矢さんだ。

部屋の隅に現れたかと思えば、腕を組んで、いつものヘラヘラ顔で俺達を眺めている。俺はなんだか嫌な予感がして、尋ねる。


「何か用事?」


「いやなあ、ご主人様が困っとったら、儂の出番やん。せやから、こうして出張ってんねんで」


「そっか。じゃあ、特に困ってないから大丈夫だよ。今日はもう上がって」


「お疲れ、クソ矢」


「帰すな」


「まあ、話聞けって」と俺達を制する澄矢さんをどうしようかと、康太と目でやり取りする。結果──まあ、聞かなきゃ帰らないだろう、という結論に至り、とりあえず、耳を貸すことにする。


「クソみてえな話だったら、塩を撒くぞ」


「儂はナメクジか。守護霊にそんなん効かんて。まあ、ええわ……瞬ちゃん」


「何?」


「今の状況を整理すると、や。要するにお前らは、天候に左右されず、あんまり混んでなくて、二人きりでのんびり過ごせるような近場の夏デートスポットがあったらええのになあ~って感じやろ?」


「うーん、まあ……そう、なるのかな?」


「で、このすけべクソガキは、温泉なら行きたいと」


「誰がすけべクソガキだ。瞬が嫌がるなら、別に行きたくはねえけど……」


「あるで」


「ある?」


俺が訊き返すと、澄矢さんが自信たっぷりに頷く。隣で康太が「おい無視すんな」と言ったけど、それは一旦、置いておく。

澄矢さんは俺に「あるやんか」とにっと笑って言った。


「前にご祝儀あげたやん。超高級スパリゾートのペア宿泊券」


「前に……?」


このひと月くらい、色々ありすぎたせいでぱっとは思い出せない。すると、澄矢さんが「忘れてもうたか」と肩を落とす。


「じゃあ、説明すんのだるいから、アレや。『6月24日』や。そこを見てな。なんか今右側とかに出てるやろ、一覧。知らんけど→」


「適当すぎるだろ」


康太が呆れた顔でツッコむ。この適当関西人はついに、URLも張らなくなったらしい。いや、URLって何のことか分からないけど……。

ただ一応、澄矢さん曰く「アレは神様の力を借りてやってたことやから、今の儂にアレはできんねん」とのことだった。決して手抜きではない。まあ、何でもいいけど。


「でも、なんとなく思い出したよ。澄矢さんが言ってるのは……『極楽天』だっけ?」


「せや」


「ごくらくてん?」


首を傾げる康太に、俺はさっくり説明した。


俺が【条件】を引き受けている間、「サムシング・フォー・チャレンジ」というものがあったということ。


その達成報酬として、超高級スパリゾート「極楽天」のペア宿泊券を貰ったこと。


……そして、その超高級スパリゾートがあの世にあるということ。

死んじゃうわけじゃないみたいだけど、向こうに行くためには、体感三日くらい魂を剥がされるとかなんとか、ってこと。


それを受けての康太の反応がこちら。


「俺の時はそんな報酬なかっただろ!ふざけんな、クソ幽霊が」


「そこやないやろ」


これには澄矢さんの方が呆れていた。俺もそう思うけど、まあ、康太らしい反応だ。


「て、ことだから……そんなところ、行くわけないでしょ。澄矢さんには悪いけど、やっぱりこれは返すから──」


「まあ、待て待て。このリゾートを儂が薦めるんは、ええとこやってこと以外に理由があんねんて」


「なんだよ、それ」


康太が訊くと、澄矢さんは康太を見つめる。その目はさっきまでと違って、なんだか真剣で……一体何を、と身構える。

何かを感じたのは、康太の方も同じらしく、康太も澄矢さんを静かに睨む。


俺達の視線を受けて──澄矢さんが口を開く。


「康太。よう聞け」


「……なんだ」


澄矢さんは康太を真っ直ぐに見据えて、こう言った。


「──ここにはな、今……お前の親父がおるんよ」

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