8月6日 ハッピーサマーウェディング
「ふう……」
部屋の姿見の前で、息を吐く。それから、髪は乱れてないか、服に皺や汚れがないか……もう一度、念入りに確認をする。
──大丈夫、大丈夫……。
とくとく、といつもよりも速く鳴る胸を抑えて、自分に言い聞かせた。
今日は、康太と、康太のお母さんである──実春さんに、挨拶をする日だ。
――つまり、俺達の関係を……打ち明けるということ。
一昨日、康太から「母さんに瞬を恋人として紹介したい」と話があって……そこから、俺達は「これから」の話をした。
訊けば、康太がその話をしようと思ったのが、他ならない実春さんから「付き合ってる子がいるって聞いたけど、どんな子なの」と言われたのが、きっかけだったみたいで。
『西山や森谷には、まあ流れでというか……何となく、知られることになっただろ。だから、全然考えてなかったけど……俺達の身の回りの人達に、それも、どのくらいまでの間柄の人に打ち明けるかとか、決めてなかったなって』
『俺と瞬は付き合い長いけど、でも、通じ合ってるのと、勝手に動くってのは違うって思う。大事なことだからこそ、むしろ……言葉にして、瞬と、ちゃんと話したいって思った』
『これからも……瞬と一緒にいたいから』
──康太がそう言ってくれたことが、俺は本当に嬉しかった。
俺も、康太と考えていること、望んでいることは同じだった。
だからこそ、それを言葉にして、確かめ合えて良かったと思う。
そして、お互いの気持ちを確認した俺達は、話し合った。
その結果、決めたこと――。
まず、実春さんと、俺の両親には話すこと。
それから、相談に乗ってくれたことがある猿島や、舞原さんや湯川さんには、時期を見て話すこと。
他の学校の皆には──敢えて話すことはしないけど、隠すこともしないこと。
これはたぶん、俺達の方から言わなくても、いずれ皆にはバレてしまうだろう……という考えからだ。
俺達が打ち明けた人達が漏らさなくても、こういうのは雰囲気で何となく分かってしまうものだ。
それに、俺達は一度噂になったこともある。
変に隠すのは余計に疲弊するだけだし、そんなことに一度しかない「高校生活」の貴重な時間を費やすのは無意味だというのは、三月の「春聞砲」騒ぎで学んでいる。
『隠すような、後ろ暗いことじゃねえしな』と康太は言った。それも、その通りだ。
それに――。
『……俺、これからも康太のそばにいたいって思う。でもね』
『それって、それだけじゃダメなんだって。この前、康太が倒れちゃった時に……気付いた』
『俺……あの時、全然、康太のそばにいられなかった。無力で……何もできなかった。今の俺は、康太のそばにいて、康太を守れる存在には足りないんだって気付いた』
『これから一緒に生きていく中で、またそんなことに、ぶつかるかもしれない。その時に、俺はちゃんと康太のそばにいて、守れる存在でありたい。だから、これは――』
そのための、第一歩だ。
――こん、こん。
その時、部屋の外から、ドアがノックされる音がした。康太だ。
俺は「よし」と拳を握ってから、部屋を出た。
☆
「母さん……あー、こいつ……じゃない。この……えっと……」
眉を寄せて言葉に詰まった康太が、助けを求めるように、ちらりと俺を見る。俺は小声で「この方」と言った。すると、康太は「それだ」という顔で頷いてから、続けた。
「この方……が、俺が、その……今、付き合ってる、方で、瞬……立花瞬、さんです……」
康太が手のひらで俺を差したのを合図に、ぺこり、とお辞儀をする。小さく息を吸ってから、対面に座る実春さんに言った。
「立花瞬です。今日はお時間をいただき、ありがとうございます。私は、康太さんと真剣にお付き合いさせていただいています。えっと……」
口を動かしながら、俺はふと、澄矢さんのアドバイスを思い出した。こういう時は――。
『恋人の親への挨拶に必要なんは、とにかく誠意や。親はな、目の前のこいつに、自分の大事な子を任せてええか心配やねん。ちゃんと、息子を愛してくれる人に任せたいやろ?せやから、とにかく誠意を示して、あなたの大事な息子さん、ほんまに愛してますよっちゅうのを見せなあかん』
『なるほど……でも、どうやって?』
『そら愛を示すんに、いっちゃんええんはチューや!親の前でめちゃくちゃチューして見せつけんねん。それが手っ取り早いわ!』
――うん。役に立たないアドバイスだったな。
俺はそのアドバイスを頭から追い出して、自分で調べた「挨拶のポイント」を思い出し、実春さんに言った。
「康太さんと同じ、高校三年生で、一緒にクラス委員もしています。いつも、助けていただいていて、すごく頼りにしています。私も、そんな康太さんを支えたいと思っていますし、責任を持って、必ず、幸せにします。これからも、二人で一歩ずつ交際を深めて――」
「ちょ、ちょっと、ちょっと」
と、ここで実春さんからストップが入る。俺と康太が声を揃えて「はい?」と訊くと、実春さんは「はい?じゃないわよ」と言って続けた。
「慣れない喋り方はやめてよ。なんだか、落ち着かないじゃない……瞬ちゃんも、そんなに畏まらなくていいのよ」
「こういう話だからって気遣ってくれてありがとうね」と実春さんは俺に微笑んだ。俺はそれで、さっきまで力んでいた肩から、ふっと力が抜けるのを感じた。康太は「そうか」と言って、頭を掻いている。
「そうか、じゃないわよ。もう……びっくりしたじゃない」
「そうだよな。いきなり、瞬が俺の恋人だなんて、驚くよな」
「それは別に驚いてないわよ」
「驚けよ」
康太が実春さんにツッコむ。まあ、驚きがなかったことはよかった……?のかな。
だけど、俺としては、それをどう思ってるのかが気になってしまって。すると、それを察したのか、実春さんは俺と康太を交互に見ながら、こう言った。
「あんた達がそうなんじゃないか……っていうのは、付き合ってる子がいるって聞いた時から、なんとなく分かってたわ。だから、康太がどういうつもりでいるのかと思って、この前、ちょっと訊いてみたんだけどね」
「な、なんだよ。それなら、そうだって言えよ」
「あんたが隠す気だったら、迂闊に触れるわけにいかないじゃない……誰にでも、触れてほしくないことはあるわ。親にも、言えないことはあるでしょ。これでも、あんたのことは一応、考えてるつもりよ」
「……」
そう言われて康太は、実春さんから顔を逸らした。実春さんが自分を想ってくれてることは、康太にもよく伝わってるはずだ。
そんな康太に代わって、俺は実春さんに訊いた。
「……どう、思いますか」
「瞬ちゃんは、どう思うかしら」
その言葉に、少し考えてから……俺は答えた。
「俺は……さっき伝えた通りです。康太をそばで支えたい……守りたいです。一緒に、色んなことを分かち合って、生きていきたいです。どんなことがあっても、その気持ちに迷いはありませんし、揺らぐこともありません」
「なら、それが私の気持ちよ」
「実春さんの……?」
実春さんが頷く。
「瞬ちゃんが康太をそう思ってくれているなら、私も同じように……何があっても、あんた達の味方よ。それに」
「なんだよ……?」
康太に視線を遣ってから、実春さんは言った。
「バカ息子をここまで想ってくれる人なんて、他にいないわよ」
ふっと笑った実春さんの目は、温かかった。
それから、実春さんは康太に「それにしても、あんたはもっとしゃんとしなさいよ」とか、さらには「こんなんじゃ、あんたに瞬ちゃんのこと任せられないわよ」とか……まるで実春さんの方が俺の母さんみたいなことを言い出した。
……そして、それに対して康太が珍しく「はい」と背中を丸めて、大人しく聞いていたのが、ちょっと面白かった。
そんな調子で一時間程が経ち、そろそろお暇を……と思った時だった。
「瞬ちゃん……一つ、頼まれてくれる?」
「はい、何ですか?」
実春さんに手招きされ、居間の「ある場所」の前に俺は立った。そうだ――。
「……康晃にも、さっきのこと伝えてくれる?」
「はい。是非」
そこは、仏壇――康太のお父さん、「康晃さん」の前だった。俺は「りん」を鳴らしてから、目を閉じて、康晃さんに手を合わせて、挨拶した。
――康晃さん。あなたの息子さんを、康太を……必ず幸せにします。
康晃さんにも、改めてそう誓うと、実春さんは「ありがとう」と俺に言った。すると、康太も「俺も」と康晃さんの前で、手を合わせた。
実春さんに挨拶をして、康太の家を出る。すぐ近くなのに、康太は俺を「送って行く」と言った。たぶん……実春さんの命令だ。
並んで階段を上りながら、康太は言った。
「瞬」
「ん?」
返事をすると、康太は足を止めて、俺を真っ直ぐに見つめて、こう言った。
「……俺のこと、好きになってくれて、ありがとう」
――胸がいっぱいになった。
ぐっと込み上げてくる、そんないっぱいの気持ちを込めて、俺は康太に言った。
「……俺の方こそ、だよ」
――好きになってくれて、ありがとう。
俺もそう伝えると、康太も何か込み上げるものがあったのかもしれない。
康太は人目も憚らず、俺をぎゅっと抱きしめた。
はじめは少しびっくりしたけど、やっぱり、俺もそうしたかったから、康太の背中に手を回した。
「……場所は選びなさいよ」
ふいに階下から掛けられた声に振り向くと、そこには、ちょうど階段のあたりを通りがかった実春さんが、苦笑いしていた。
俺と康太は慌ててお互いを離すと、声を揃えて「はい」と項垂れた……。
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