8月3日 森谷裕斗は気付いてしまう


「あー、やべ!遅刻する~……!」


──8:55。


今、昇降口をダッシュで潜り、講習会場である教室へと廊下を全力疾走している俺は──県立春和高校に通うごく普通の高校生・森谷裕斗もりやひろと


強いて違うところをあげるとすれば、俺には、このクソ暑い中、9:00から始まる夏期講習にも熱心に参加できる程、心を奪われたクラスメイトがいる──ってとこかな。


そいつの名前は──。


「あ、森谷。おはよう」


「っ……!おう!立花、おはよう!」


「うん、おはよう」


立花瞬。


開始ギリギリに教室に駆け込んだ俺みたいな奴にでも、にこりと微笑んでくれる、このクラスメイトこそが、俺が心を奪われている存在だ。


クラス委員も務める真面目な優等生らしく、立花は教室の一番前の席に座っていたので、俺はさりげなく、その隣をゲットする。


──うひょー……今日も最高に可愛いぜ……。


隣に座るなり、俺はすぐに立花を横目でさっと堪能した。立花は、俺の視線になど気付かず、講習前にノートを開いて予習でもしているのだろう。それでいい。俺はそれを観察するさ。


──相変わらず、触りたくなるような綺麗な肌だな……。


持って生まれた体質なのか、スキンケアの成果なのか、どっちもなのか──立花の肌は、年頃だってのに、ニキビひとつない、白くて綺麗な肌だ。


今はスラックスで隠れているが、体育の時に脱げば、その下には細くて、でも意外とがっちりしている、すべすべのおみ足があるのを、俺は知っている。


肌だけじゃない。立花の髪は、黒くて艶やかでさらさらだ。俺リサーチによると、立花はシャンプーはそれほどこだわってないらしいが、肌が強くないから、刺激の弱いものを選んでるらしい。

生まれ変わったら、立花御用達のシャンプーになって、立花の頭皮に入りてえな……と、俺はたまに思う。


「ん、森谷?どうしたの?」


「いや、何でもないぜ」


「そう?」


立花が首を傾げながら、再び、手元のノートへと視線を落とす。


おっと、さすがに気付かれちまったか。


──と、まあ、立花の魅力は挙げればキリがないんだが。

いずれにしても、「立花瞬」というこの最高のクラスメイトは、俺にとっては、まさに「金輪際現れない一番星の生まれ変わり」であることは間違いないし、どんなアイドルよりも俺を夢中にさせている。


今、俺の心臓が跳ねているのだって、ダッシュしてきたせいじゃない──立花が俺を狂わせているのだ。


責任を取ってほしい──そんな目で立花を見ていると、ふいに、立花はポケットからスマホを取り出した。


「……ふふ」


立花がスマホを見て、微笑んでいる。その横顔は幸せいっぱいに見える。

……この世界で、立花をそんな顔にできるのは一人しかいない。


「瀬良か?」


「え、え!?」


つい、「そいつ」の名前を出すと、立花はびっくりしたのか、目を丸くして、俺を見つめる。それから、ちょっと恥ずかしそうに「うん」と頷いた。


──瀬良康太。


立花と幼稚園の頃からの幼馴染にして、立花の彼氏だ。彼氏と言ってもそうなったのは、夏休みちょっと前のことらしい。


夏休みに入る直前のある日、俺は偶然、西山と立花と瀬良がその話をしているところにかち合ってしまって、知ることになった。素直におめでとうという気持ちが大きかった。だって、もうずーっと前から、立花は瀬良のこと好きだったもんな。


それなのに、あいつときたら、ちっとも気付かないんだ。それどころか、無神経に「好き」とかやたら言ってたし……それでも、最後はようやく気付いて、結ばれたんだ。本当によかったって思う。


──だって、幸せそうな立花は本当に可愛いもんな。俺にはこんな可愛さは引き出せないぜ。


そんなことを思いつつ、俺は立花に「何があったんだよ」と訊いた。すると、立花は「あのね……」と、はにかみつつも、今、瀬良としていたやり取りのことを教えてくれようとする……が、時間切れだ。


ちょうど、教室に教師が入って来たところだ。俺と立花は会話を切り上げ、前を向いた。





「瀬良、すっかり良さそうだな。安心した」


「うん。ありがとう、心配してくれて」


講習会が終わり──机に広げたあれこれを片付けながら、立花とさっきの話の続きをする。


立花の話だと、瀬良は今日、元々予定していた企業見学に行ったらしい。まだ、退院したばっからしいのにすげえな……と言ったら、立花は笑いながら「康太って結構丈夫だから」と言った。まあ……ヤワな感じはしないな、たしかに。


でも、あの時はマジで……俺は心配した。もちろん、立花を。


──瀬良が倒れて救急車で運ばれたって聞いたのは、先週の頭だった。


講習終わりで昇降口を出ようとした三年生のほとんどが、やたらぴりついた先生達と、門から入ってくる救急車を目撃してる。その中で、俺は呆然とその様子を見ている立花の姿も、見た。


立花は救急隊員っぽい人に、何かを言っていたようだが、すぐに、先生達に連れられて校舎の中に入っていった。たぶん……自分もついて行きたいって言ったんだろうな。それに、かなり取り乱してるようにも見えた。そりゃあそうだろ、立花にとってなによりも大切な存在なんだから。


俺はその姿に、ひどく心が痛くなったし、瀬良に内心「何やってんだよ」とも思った。だけど、あとはただ、無事を祈った……まあ、本当、ちゃんと立花のとこに帰って来てくれてよかったな。


荷物をまとめ、教室を出る前に、俺は立花に言った。


「やっぱ最近暑かったりするもんな……立花も、気を付けろよ」


「うん。森谷も気を付けてね」


リュックを背負った立花が俺に手を振る。可愛すぎる!

俺の中の「血中立花濃度」が急速に増していくのを感じた。たったこれだけで、熱中症どころか、どんな病にも罹らない抵抗力を手に入れられそうだ。ん?待てよ……。


──熱中症?


ここで、俺はあることに気が付く。俺は早速、それを立花に言ってみた。


「あ、そうだ立花」


「何?」


「ちょっと……熱中症って、言ってみてくれないか」


「え?」


立花がきょとん、と俺を見つめる。「頼む」と手を合わせると、立花は「い、いいけど……」と戸惑いつつも、言ってくれた。


「ね、熱中症?」


「ごめん。もっと……ゆっくり言ってくれるか」


「ねっ……ちゅうしょう?」


「もっと、言えるか?」


「ねっ……ちゅう、しょう?」


「一文字、一文字、丁寧に言ってみてくれ」


「ねっ……ちゅう、し、よ、う……?」


「もっとこう……情感を込めて。もうこの際だからはっきり『ねえ、チューしよう』──ってぇ!?」


「何やってんだ」


いきなり、頭を叩かれたので、一体誰が!と後ろを振り向く。そこにいたのは西山だった。

クソ……今日は瀬良がいないから、いけると思ったのに……。


すると、そんな俺の考えを見透かしたかのように、西山は言った。


「瀬良に言われてんだ、お前を見張っとけってな。いいか、お前のやろうとしたことは立派なセクハラだ。立花はもう瀬良のもんなんだ。お前がちょっかいをかけていい奴じゃない」


「分かってるよ」


「え、えっと?」


立花は、俺と西山を交互にきょろきょろと見ていた。西山が立花の肩に手を置いて「気にすんな」と言う。一方、俺は俺で、西山の言ったことから、つい想像を広げていた。


──立花は瀬良のもん……か。瀬良と立花は普段、どんな風に……ごくり。


俺の見立てでは、立花の方が結構積極的なんじゃないかって気がする。で、瀬良は結構ヘタレ。

でも、立花も瀬良に無理強いはしたくないから、なんだかんだで、お互いまだそんなには進んでないと見た。ふうん……いいな。


「おい、立花が行ったからって、妙なことを考えるな」


「何でそんなこと分かるんだよ、俺が妙なことを考えてるって」


「妙だって自覚はあるんだな……まあいい。その下世話な妄想は、家でしろ。帰るぞ」


「おう……そうだな」


言われなくても、そうするさ。俺は、西山と並んで教室を出た。

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