8月2日 惚気クソ息子
「えー……持ち物はこれでいいか……」
夜──学校で貰って来た資料と照らし合わせながら、トートバッグの中身を確認していく。
明日は、前々から予定していた企業見学の日だからな。
先週の騒動もあって、学校も先方も「無理はせずに」とは言ってくれたが、そう甘えているわけにもいかない。第一、あの騒動は俺に原因がある。
だから、土曜日に学校と話をした時に「身体は問題ないから予定通りお願いします」と言って、そのまま見学させてもらえることになった。
必要な物や、注意点、当日のスケジュール等は、既に学校を通して資料を貰っている。今見ていたやつがそうだ。瞬に見せたら「なんか心配だから、俺、ついて行きたい」と言われた。
たしかに、企業によっては、見学で、親や担当教員の同伴を歓迎しているところもあるみたいだが……さすがに、瞬はダメだろう。まあ、これは冗談にしても、だ。
「康太ー!あんた、明日着るシャツ持って来なさいよ。アイロンするから」
……ここにも、俺を心配する人物がいる。母さんだ。部屋の外から呼ばれた声に、俺は「今行く」と答え、タンスから引っぱり出したシャツを一枚、居間に持って行く。
母さんは用意していたアイロン台の上にシャツを広げ、その上でアイロンを滑らせながら、俺に小言を垂れた。
「あんた、明日はちゃんと、向こうの人に挨拶するのよ。失礼がないようにね。背筋もしゃきっとして、ぼーっとしてたらダメよ」
「分かってるよ……」
「ただついて行くだけじゃダメなんだからね。自分がここで働くっていうイメージを持って、自分から積極的に質問するのよ。はいはい、って聞いてるだけじゃなくてね。分かってるの?」
「分かってるって言ってるだろ……んなこと、学校で百万回言われてる」
「本当に?全く……」
ぶつぶつ言いながらも、シャツの皺は綺麗に伸ばされて、シャツは、ぱりっと美しいものになる。瞬く間に、すっかり余所行き用のシャツへと変わったそれを、母さんは俺に放るように渡してきた。
俺はそれをキャッチしてから、ぼそりと言った。
「……ありがとう」
「はいはい」
母さんがアイロンのコードを抜いて、くるくると巻き、まとめる。それから、アイロン台を小脇に抱えて、母さんが居間を出ようとした時、ふと、母さんは俺を振り返って訊いてきた。
「そういえば、あんた……」
「何だよ」
「前に言ってた、付き合ってるって子。どうしたのよ」
「はあ?」
いきなり、そんなことを訊かれて、ついそんな声を上げてしまう。すると、母さんは「だって」と言って、続けた。
「あんたが一週間も寝てた間、その子、随分心配してたんじゃないの。お見舞いもほとんど来れなかっただろうし……ちゃんとフォローしてるんでしょうね」
「は、はあ……」
何て答えるべきか分からず、返す言葉に詰まる。母さんにはまだ言ってないが、「付き合ってる子」というのは当然、瞬のことだ。ちゃんと、フォロー……はむしろ、俺の方が瞬にされてるような気がするが、ていうか、そもそも、俺の恋人は瞬だってことを言うべきかどうか……。
ここに来て、そうか、そういうことも考えなくちゃいけないのか、と気付く。
西山と森谷には成り行きで話すことにはなったが、他の奴……例えば、文芸部の奴らとか、クラスの奴──瞬なら、仲良くしてた舞原や湯川とか。それこそ、俺が母さんに言うかどうか迷うように、瞬だって、志緒利さんや淳一さんに、言うかどうか、考えるだろう。
どこまでの人間に、この関係を話すかっていう問題は、いずれ、考えなくちゃいけない。
──瞬の考えもあるだろうし、今、ここで勝手に言うわけにはいかねえよな……。
明日……は、会う時間が取れないかもしれないが、明後日にでも。次に会った時には、少し、そういう話をしないと。
なんて、考え込んで、つい黙っていた俺に、母さんは何を勘違いしたのか、少し憐れむような顔で、俺にこう言った。
「あんた、まさか……もう、別れたの?」
「そんなわけねえだろ!順調だ、めちゃくちゃ仲良い」
「そ、そう……」
つい、ムキになってそう否定した俺に、母さんが引いている。
ちょうどいい。誤魔化すのも心苦しいし、これ以上、余計なことを訊かれる前に、さっさと部屋を出よう──そう思って、俺も居間を出ようとすると、母さんが「待ちなさいよ」と俺を引き留めた。
「どんな子なのよ。教えなさい」
「は、はあ!?何だよ、何でもいいだろ……そんなの」
「気になるじゃない。あんたみたいなのわざわざ選んでくれるようないい子、どんな子なのか」
「そりゃあ、いい子には違いねえけど……」
またしても、答えに窮してしまう。瞬のことを思えば、たとえ、嘘でも、適当な特徴を言うのは、あまり気分が悪いし、かといって、ありのまま答えすぎれば、母さんは瞬だと気付くかもしれねえ。
どうするか──迷った末に、俺は母さんに言った。
「すごく……可愛い」
「息子のこういうのってちょっとキツイわね」
「お前が訊いたんだろ」
母さんはさっきよりもドン引いていた。何だよ。
ぼんやりと、これだけでは瞬とは分からないような、ぼんやりとした特徴を言ってみただけなんだが。
しかし、幸か不幸か、俺の答えで、母さんはそれ以上、訊く気を無くしたらしい。
「まあ、大事にしなさいよ」と言って、居間を出て行った。
俺はやれやれ、と肩を竦めてから、ひとまず、ほっとした。
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